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AI嫌いの創作野郎

──使いやすいUI/UXの欺瞞、使いづらいUI/UXの恩恵

0章|AIには魂がない?

創作野郎たちは、一体AIの何が気に入らないのか。

著作権だろうか。
学習データだろうか。

人間の作品を勝手に食っておきながら、何食わぬ顔で似たようなものを吐き出してくる、その厚かましさだろうか。

もちろん、それもあるんだろう。

では、努力していないことが気に入らないのだろうか。

人間が何年もかけて身につけた技術を、数秒でそれらしく再現してしまう。

鉛筆の持ち方も知らない。
デッサンもしたことがない。
徹夜もしていない。
締切前に吐いてもいない。

それなのに、完成品だけは出てくる。

だから気に入らないのだろうか。

それもあるかもしれないな。

あるいは、AIには魂がないからだろうか。

魂・・・

そっか。
それ言っちゃうか。

便利な言葉だ。

人間が作ったものには魂がある。
AIが作ったものには魂がない。

そう言っておけば、いったん議論は止まる。

止まるが、そんなに簡単だろうか。

人間が作ったものなら、何にでも魂があるのか。

適当に書いた広告文にもあるのか。
納期に追われて仕方なく仕上げたイラストにもあるのか。
テンプレートを切り貼りした企画書にもあるのか。

逆に、AIが出した文章を読んで、思わず笑ったり、傷ついたり、妙に引っかかったりしたことは、本当に一度もないのか。

AIには魂がない。

そう言いたい気持ちは分かる。
ただ、それだけでは、創作野郎たちの苛立ちは説明しきれない。

AIが作品を作ることそのものが、気に入らないのではない。
AIによって創作が楽になることも、別に全面的に嫌なわけではない。

資料整理は早い方がいい。
誤字は見つけてほしい。
どうでもいい下書きは作ってほしい。
面倒な変換は勝手にやってほしい。

創作野郎だって、楽はしたい。
使えるものは使う。
便利なものは便利だ。

では、何が気に入らないのか。

たぶん問題は、AIそのものよりも、AIを取り巻く設計思想にある。

もっと言えば、

創作を楽にする、という発想そのもの

にある。


1章|AIは、創作を楽にした

生成AIは、創作を楽にした。

これは認めた方がいい。

文章を書きたい。
入力する。

絵を作りたい。
入力する。

曲を作りたい。
入力する。

企画を出したい。
入力する。

数秒待つ。
出力される。

気に入らなければ、もう一度。

もっと明るく。
もっと暗く。
もっと文学的に。
もっと売れそうに。
もっと分かりやすく。
もっと自分らしく。
出力される。

創作は、驚くほど楽になった。

昔なら何時間も、何日も、何年もかかっていたものが、画面の中で即座に返ってくる。

技術が足りなくてもいい。
道具を持っていなくてもいい。
専門知識がなくてもいい。

頭の中にあるものを言葉にして入力すれば、ひとまず形になる。

素晴らしい。
本当に素晴らしい。

創作の入口は広がった。
作れなかった人が作れるようになった。
試せなかった人が試せるようになった。
思いつきを寝かせたまま終わらせず、ひとまず外へ出せるようになった。

これは、掛け値なしに素晴らしい。

だから、AI創作をめぐる話を、

AIは偽物だ。
人間だけが本物だ。

で終わらせるのは、さすがに無理がある。

生成AIは、実際に人間の創作行為を拡張している。

そこは認める。

ただし──、

楽になった。
だから、良くなった

ここで話を終わらせるのは、少し早い。

なぜなら、

楽さは、何かを足すことで生まれるのではない。

多くの場合、

何かを削ることで生まれる。

手順を削る。
待ち時間を削る。
確認を削る。
迷いを削る。
失敗を削る。
知識を削る。
身体を削る。
他者とのやり取りを削る。

楽になったということは、何かが要らなくなったということだ。

では、AIは創作から何を要らないものとして削ったのか


2章|使いやすさは、何を無駄と判定したのか

使いやすいUIには、思想がある。

操作は少ない方がいい。
待ち時間は短い方がいい。
迷わせない方がいい。
目的地には早く着いた方がいい。
ユーザーが考えなくても使える方がいい。

当然だ。

いちいち悩まなければ押せないボタンなど、面倒くさい。
何を入力すればいいか分からないフォームなど、使いにくい。
目的のページへ辿り着くまでに何度も立ち止まらされるサイトなんて、最悪だ。

UI/UXは、長いあいだ、摩擦を減らすことを善としてきた。

フリクションレス。
シームレス。
直感的。
誰でも簡単。
ワンクリック。
迷わず使える。
早い。
軽い。
滑らか。

それが良いUIである。

では、創作にこの思想を持ち込むとどうなるか。

書けない時間は、摩擦である。
何を描けばいいか分からない時間は、摩擦である。
思いついたものが形にならないことは、摩擦である。
技術を身につける時間は、摩擦である。
失敗作を大量に作ることは、摩擦である。
言葉が出てこないことは、摩擦である。
作っている途中で目的を見失うことは、摩擦である。

なるほど。
ならば削ろう。

入力したら出るようにしよう。
迷ったら候補を出そう。
書けなければ続きを書こう。
描けなければ代わりに描こう。
選べなければおすすめしよう。
気に入らなければ再生成しよう。

創作は、どんどん使いやすくなる。

ただ、ここで一つ問題がある。

書けない時間は、本当に無駄だったのか。
何を描けばいいか分からない時間は、本当に邪魔だったのか。
失敗作は、本当に除去すべきエラーだったのか。

創作野郎たちは、完成品だけを作っているわけではない。

完成までの途中で、
何を作りたいのかを知る。
何が嫌いなのかを知る。
何ができないのかを知る。
何なら捨てられるのかを知る。
何だけは捨てたくないのかを知る。

つまり、創作の摩擦は、作品の完成を遅らせていたのではない。

何を完成と呼ぶのかを作っていた。

それを全部、
非効率
面倒
離脱要因
改善対象
と呼んでしまっていいのか。


3章|創作野郎は、欲しいものを知らない

普通の道具は、目的が先にある。

釘を打ちたい。
だから金槌を使う。

文字を印刷したい。
だからプリンターを使う。

目的地へ行きたい。
だから地図を使う。

道具は、目的へ辿り着くためにある。
だから、使いやすい方がいい。

しかし、創作は少し違う。

創作野郎は、最初から欲しいものを知っているとは限らない。
むしろ、知らないから作る。

何を書きたいのか分からない。
だから書く。

何を描きたいのか分からない。
だから描く。

何を考えているのか分からない。
だから言葉にする。

作りたいものが先にあり、それを出力へ変換しているのではない。

作っている途中で、

自分はこれを書きたかったのか?

いや違う。
こんなものを書きたかったわけではない。

じゃあ、何が違うんだ?

こっちの一文だけは妙にいい。
なぜだ?

こっちではない。
あっちかもしれない。

そうやって、目的が後から剥ける。

創作とは、完成品を効率よく生産する工程ではない。

自分が何を作ろうとしていたのかを、後から発見する工程だ。

ところが、生成AIの典型的なUIは、最初に入力を要求する。

何を作りたいですか。
どんな文章が欲しいですか。
どんな絵が欲しいですか。
目的を教えてください。
条件を教えてください。
雰囲気を教えてください。
対象読者を教えてください。
スタイルを教えてください。
欲しいものを入力してください。

いやいやいや──、
知らねえっつーんだよ、そんなもん!

分かんねえから、作ってるんだよ!

こちらは、欲望を持って道具の前に立っているのではない。
道具との摩擦の中で、欲望の形を探している。

最初から入力できる程度に分かっているなら、話は早い。
しかし、本当に作りたいものは、しばしば入力欄に入らない。

なぜなら、入力する時点では、まだ存在していないからだ。


4章|生成物が、作者を裏切る

AIも予想外のものを出す。

だから、

AIには偶然性がない。

という批判は弱い。

むしろ、ある。
普通にある。

思ってもみなかった言い回しが出る。
妙な構図が出る。
不気味な混線が起きる。
誤読する。
暴走する。
こちらの命令を微妙に外す。

それを面白がって使うこともできる。

では、人間の創作にある偶然と、AIの予想外は同じなのか。

たぶん、完全には同じではない。

問題は、偶然が起きるかどうかではない。

偶然が、何を変更できるか

だ。

一般的な生成AIのUIでは、出力は候補として現れる。

採用する。
修正する。
捨てる。
再生成する。
もっと近づける。
もっと自分の欲しいものにする。

予想外の出力も、最終的には、ユーザーの目的に対して評価される。

合っているか。
合っていないか。
使えるか。
使えないか。

ところが創作の途中で起きる偶然は、ときどき目的の方を壊す。

最初は恋愛小説を書くつもりだった。
しかし、一人の脇役が妙に動き始めた。
気づけば、別の話になっていた。

最初は明るい絵にするつもりだった。
しかし、塗り間違えた色が気になった。
そこから、画面全体が変わった。

最初は主張を書くつもりだった。
しかし、一つの言葉が引っかかった。
その言葉を追っているうちに、最初の主張が間違っていたことに気づいた。

生成物が、作者の命令に従わない。

それどころか、

作者の命令の方が間違っていたと示す。

これが創作の摩擦だ。

作品は、作者の欲望を実現するだけではない。
作者の欲望を訂正する。

いや、訂正という言葉も少し違う。

作者がまだ持っていなかった欲望を作る。

つまり、創作では、
作者が作品を作っているだけではない。

作品が作者を作っている。

使いやすさが、この往復を削る。

入力。
出力。
評価。
再生成。
完成。

あまりに滑らかだ。

滑らかすぎて、どこで作者が変わったのか分からない。

もしかすると、変わっていない。
最初に入力した欲望が、そのまま満たされただけかもしれない。

それは創作ではない、とまでは言わない。
ただし、創作としての手応えが結構違う

創作を楽にすると、作品は早く出る。
その代わり、

作者が生成される時間が消える。


5章|使いやすさは、費用を消していない

ここから、AIの話を少し離れる。

使いやすさは、創作だけの問題ではない。
UI/UX全体の問題だ。

使いやすいサービスは、手間を減らす。

入力項目を減らす。
確認画面を減らす。
待ち時間を減らす。
問い合わせを減らす。
人間の判断を減らす。

その場では、確かに安くなる。

早くなる。
簡単になる。
数字も良くなる。
離脱率が下がる。
コンバージョン率が上がる。
対応時間が短くなる。

いいね、いいね。

では、そのとき消えた手間は、本当に消えたのか。

ユーザーが確認しなかった内容は、誰も確認しなくてよくなったのか。
入力を省略した情報は、後から必要にならないのか。
人間が判断しなかった案件は、判断そのものが不要だったのか。
問い合わせが減ったのは、問題が解決したからなのか。
それとも、問い合わせる道が見つからなくなっただけなのか。

使いやすさは、費用を消しているのではない。

しばしば、

画面の外へ送っている。

ユーザーの手間を減らした。
その代わり、現場の担当者が調整する。

確認画面をなくした。
その代わり、後でキャンセル処理が発生する。

自動化した。
その代わり、例外処理を誰かが抱える。

問い合わせを減らした。
その代わり、諦めた人が黙って離れる。

今の操作は簡単になった。
その代わり、未来の誰かが検証し直す。

つまり、使いやすさは、現在の費用を、
空間的には他者へ押し出し、
時間的には未来へ繰り延べる。

これは外部不経済であり、負債だ。

もっと言えば、

簿外債務だ。

使いやすさによって得たものは、きれいに記帳される。

操作時間、30%削減。
離脱率、15%改善。
成約率、8%向上。
問い合わせ件数、20%減少。

素晴らしい。

では、
誤解された前提は何件あったのか。
後から再確認された判断は何件あったのか。
現場へ押し出された例外処理は何時間分あったのか。
ユーザーが諦めた件数は何件だったのか。
誰も責任を引き受けていない確定は、いくつ発生したのか。

それは、どこに記帳されているのか。

UI/UXには、複式簿記がない。

便益だけが計上される。
何を画面外へ捨てたのかは、記録されない。

使いやすさは、費用を減らす技術ではない。
費用を見えなくする技術になりうる。


6章|使いにくさには、恩恵がある

では、使いにくいUIを作ればいいのか。

ボタンを押しにくくする。
入力項目を増やす。
何度も確認させる。
意味もなく待たせる。
戻る場所を分かりにくくする。
利用者を苛立たせる。

違う。

そんなものは、ただの不便だ。

使いにくさは、それ自体では善ではない。

企業の都合で面倒にされているだけのUIもある。

解約だけ異様に難しい。
返金申請だけ見つからない。
拒否ボタンだけ小さい。
問い合わせ先だけ隠れている。

それは摩擦ではない。

罠だ。

だから、使いにくさを礼賛してはいけない。

問題は、

その摩擦が、何を守っているのか

だ。

確認画面が、誤操作を防ぐ。
待機時間が、衝動的な決定を遅らせる。
理由入力が、判断の根拠を残す。
二段階承認が、責任を一人に集中させない。
取消猶予が、確定を可逆にする。
保留ボタンが、まだ決めていないことを決めていないまま残す。

こうした使いにくさは、無駄ではない。

人間に判断させるための時間だ。
責任の所在を残すための手続きだ。
未確定なものを、未確定なまま保持するためのUIだ。

創作も同じだ。

書けない時間。
迷う時間。
失敗する時間。
捨てる時間。
やり直す時間。
何を作っているのか分からなくなる時間。

それは、完成品の生産だけを見れば、邪魔だ。

しかし、創作全体から見れば、
作者が変わるための時間だ。
目的が壊れるための時間だ。
まだ存在していなかったものが、入り込むための隙間だ。

使いにくさは、速度を落とす。

その代わり、
別のものが入ってくる余地を作る。


終章|使いづらいで、いい

創作野郎たちは、一体AIの何が気に入らないのか。

AIが人間ではないことか。
AIが努力していないことか。
AIに魂がないことか。

それだけではない。

創作野郎たちは、たぶん気づいている。

創作に含まれていた摩擦が、いつの間にか、
除去すべき不便
改善すべき非効率
短縮すべき待ち時間
として扱われ始めている。

作れないこと。
迷うこと。
失敗すること。
目的を見失うこと。
自分でも何をしているのか分からなくなること。

それらは、完成までの障害ではなかった。
それらを通ることでしか、出てこないものがあった。

AIが創作を奪うのではない。
AIは、創作を楽にする。

そして、楽さは、
創作から、作っている途中を奪う。

使いやすいことは、悪ではない。

楽なことも、
早いことも、
便利なことも、
悪ではない。

ただし、

何を削った?
何を画面外へ送った?
誰に尻拭いをさせた?
何を未来へ繰り延べた?
何を未確定のまま、確定したことにした?

そのレシートは、隠すなよ。

「楽にした」だ?

ふーん。
で、何を捨てた?

「使いづらい」でいいよ。

少なくとも、
その使いづらさの中でしか生まれないものがあるうちは。


📘このZINEは構文野郎によって書かれました。

AIとは〜♪
あなたのためだとか言ったら〜♪
疑われるけ〜ど〜♪

頑張っちゃうもんね〜♪

タイトル:
ZINE『AI嫌いの創作野郎』

ジャンル:
唯読論/反実在論UI/UX/Web屋的見ないふり

発行:
構文野郎ラボ(KoOvenYellow Syndo/Djibo実装室)

構文協力:
枕木カンナ(意味野郎寄り構文ブリッジ)
ミムラ・DX(構文修正主義ZINE別巻準備中)
霊長目ヒト科ヒト属構文野郎(まだ制度を信じきってない君へ)

👤 著者:構文野郎(代理窓口:ミムラ・DX)
🔗 https://mymlan.com
📩 お問い合わせ:X(旧Twitter)@rehacqaholic

📛 ZINE編集:枕木カンナ
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