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なぜ僕たちは、自己紹介で職業を聞くのだろう

自己紹介の場で必ず聞かれる質問。
「今は何をされてるんですか?」
それは今この瞬間の話ではなくて、いつも“職業”のことを指している。
僕はこれにいつも違和感がある。職業でしか人を見ていないような気がして。


同窓会や初対面の人と話すとき、確かに職業はその人を知るための一つの情報だ。
仕事というもの、いや何を糧に生活をしているかは誰にとっても切っても切り離すことはできないので、「何をされてるんですか」はそのまま「何を糧に生きてるんですか」を指している。

ただこれっていつも裏側にはその人の立ち位置を測るような探り合いが行われている気がして、気が滅入る。
「医者です」と答えられたら「すごい」と言うのだろうし、
「普通の会社員です」と答えられたら「へ〜」としか言わないのだろう。

同級生が久しぶりに集まった同窓会で、1人の女子メンバーが男子メンバー1人ずつに同じ質問をしていき、「すごい」と「へ〜」を交互に繰り返していた。
あれだけ仲良かった男子メンバーの僕たちは、「すごいグループ」と「へ〜グループ」に仕分けされた。

なんかもうこれがめんどくさい。
僕たちが関わり合いたいのは職業や肩書きではなくてもっと奥底にある感情的な部分であって、久しぶりに会った同級生が医者になっていようが会社員だろうか何だっていいのだ。


職業の肩書きがその人の全てだった時代、それはもう昭和や平成でとっくに終わっていると思っている。
今はどうだろう。生き方の選択肢は昔と比べものにならないくらいに増えたように思う。

例えば平日の日中は平凡な会社員だったとしても、それだけでその人のすべてを測ることは難しい。
帰宅後は配信活動で昼間の仕事以上に稼いでいるかもしれないし、実は投資でめちゃくちゃ儲かっているかもしれない。
その他にもクリエイターやカウンセラーとして活動しているかもしれない。
僕も昼間は平凡なメガネ屋店員にすぎないが、仕事が終わればこうやって発信を行っている。

肩書きでしか見られないのであれば、この発信は僕であって僕の中身には含まれないのだろうか。

いわゆる二足の草鞋のように、人には誰しもグラデーションがあるように思う。
職業の肩書きだけで見えるのはそのグラデーションの片側なだけで、移り変わったもう一方も含めて、その人の面白さな気がする。

例えば釣りがめちゃくちゃ好きで、釣りをするには朝の時間が最適だから、仕事は午前10時が始業時間なところを選んでいる人もいるかもしれない。
その人を知ろうと思ったら、職業ではなくて釣りの方を深掘りたい。きっとその方が面白い。


職業や肩書きだけで人を判断するのは、オールドタイプだなぁと思う。
未だに昭和平成の感覚から抜け出せなくて、重力に縛られて生きている。

その人が「何をしているか」という問いよりも、「どう生きているか」という問いの方が、相手をもっと知ることができる質問かもしれない。

初対面でいきなり「どう生きているのですか?」と質問するのも、哲学的すぎて答えに困るかもしれないけれど。
そこは何か他の表現を探したい。


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コリ|メガネ屋エッセイスト 路上にチップもらう用のシルクハットを置いてパントマイムするの、実はやってみたかったんです

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