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【創作】猫行灯 前編

この創作はくまさんとのコラボ作品になります。前編を僕が書いて、後編をくまさんが書いております。記事の最後に後編へのリンクが貼ってありますので、まずはこちらの前編から読んでいただけると幸いです。

🐈🐈🐈


「なんなんだ、ここは……?」
 震えた声が、俺の乾いた喉から、零れ落ちた。

 俺は自分が若くはないことを自覚している。最近では、体の節々に痛みが走る。目もかすむようになってきた。だが、ボケるにはまだ早すぎる。頭の方は至って正常なはずだ。
 そんな俺の頭が叫んでいる。「ここは現世ではない」と——。

***

伊邪岐いざき先生。

今作の世界観は【ホラー】でお願いします。比良坂ひらさか先生は和風ホラーが好みのようです。その方向で一度考えてもらっていいですか。まずは大まかなあらすじと登場人物設定を送ってください。

コミックブーム編集部 天手あまて

 1週間前に担当編集者から送られてきたメールを、俺はもう何度か見直していた。このかん、和風ホラーの物語を書いては消して、また書いては消してを繰り返していたが、結局一文字も書けていなかった。ネームの締め切りまで、あと1週間を切っていた。
「クソが。たまにはてめえで考えろよ」
 そんな悪態をついても状況は何も変わらない。漫画家になれなかった俺が、生きていくためにはやるしかなかった。俺が考えるしかないのだ。

 昔は、俺も漫画家だった。
 俺は美大を卒業して、ある有名漫画家のアシスタントとなった。その5年後に少年誌の漫画コンテストで佳作を受賞し、デビューが決まった。漫画界では期待の新星としてもてはやされて、順風満帆だった。だが俺のピークはそこまでだった。
 文学寄りの俺の漫画は少年誌の読者には全くうけず、早々と3ヶ月で打ち切りになった。その後、何本か読み切りを書いたが、人気が出ることはなかった。漫画家のアシスタントを転々とした後、結局今はWEB漫画家をやっている。いや、漫画家とは名ばかりか。ただ原作のプロットを編集部に送るだけ。いわゆる「原作協力者」として飯を食っている漫画家崩れが俺だった。
 担当編集者は俺に気を使って今でも「先生」と呼んでくれるが、俺が連載をしていたのはもう20年以上前で、そんな俺を「先生」と呼ぶのはもはや嫌味でしかなかった。

 窓の外は雨が降り続いていた。都内のアパートは湿気でカビ臭く、俺の気分をさらに沈ませる。机の上には散らかったスケッチブックと山盛りの灰皿。飲みかけの缶コーヒーが部屋中に散乱していた。
 アイデアは全く浮かばない。和風ホラー……幽霊、妖怪、呪い。そんな陳腐なものをどう捻れば面白くなるのか。

「……実家に行ってみるか」
 美大に入学すると同時に俺は故郷を出た。実家を離れてからもう三十年が経とうとしている。両親は既に他界しているが、それでも俺はまだ、そのままのかたちで実家を残していた。田舎の古い家屋、誰も住んでいない実家を俺は手放せなかった。
 昔からアイデアに煮詰まると、俺は決まって実家に帰りたくなるのだ。実家に行くと気持ちが落ち着くのか、不思議と物語の構想が頭の中に降りてくることがあった。今回もいい案が浮かばない俺は、誰もいなくなった古い家に戻ることにした。

 故郷は山間の小さな村。電車を降りてバスに乗り換え、細い道を歩いてようやく辿り着く。周囲は竹林に囲まれ、夜になると風が竹を叩く音が不気味に響く。ポツポツと民家が建ち並ぶが、ほとんどの家には住人はおらず、廃屋となっていた。

 固くなった玄関の鍵を開けて中に入ると、埃っぽい空気が鼻を突いた。畳の匂い、木の軋み。二階の自分の部屋は、三十年前とほとんど変わっていない。
 意味もなく部屋の中を物色する。押入れの奥から、埃をかぶったままぽつんと置かれている行灯が一つ見つかった。
 黒塗りの木枠に、薄い和紙が貼られ、正面には猫が一匹、丸まって眠っている浮世絵風の絵が描かれている。
「おばあちゃんが大事にしてた猫行灯だって……」
 母親が亡くなる少し前、そう言って見せてくれたものだった。火を灯すと、猫のシルエットがゆらゆらと壁に映る仕掛けらしい。
 祖母は古い民話や妖怪の話をよく俺に聞かせてくれた。猫は黄泉の使い、死者の魂を導く存在だとか。
「和風ホラーに丁度いいかもな」
 俺は試しに小さなロウソクを入れて火を灯してみた。

「……おぉ」
 猫の影は予想以上に大きく、柔らかく壁を這っている。まるで今にも鳴き声が聴こえてきそうなほど現実感があった。炎の揺らめきが、猫の影に命を吹き込んだのか、首を傾げて尻尾をゆっくり振っているように見えた。
たけちゃん。猫の化け物がね、黄泉の国への案内をするんよ」
 祖母の声が聴こえた気がした。それと同時に幼い頃、祖母と見た猫行灯の記憶が頭の中にありありと蘇った。今と同じように壁に映し出された猫が、ゆらゆらと揺れていた。祖母は穏やかな笑みを浮かべて俺に言う。
「極悪人は化け猫が火車に乗せて地獄へ運ぶんよ。たけちゃんは悪い事したらあかんよ」
 あの頃の俺は、祖母の言う事を信じ込んでいた。悪い事をしたら、化け猫に地獄へ連れていかれると本気で思っていた。仮にそれが本当ならば、今の俺はとっくに地獄行きだろう。

「ふん、バカバカしい」
 特にアイデアも降りてこず、俺はロウソクを消そうと猫行灯に近づいた。すると、かすかに鈴が鳴るような音が聴こえた。辺りを見渡すが何もいない。ただ壁に猫がゆらゆらと揺れているだけだ。
 どことなく周りの空気がひんやりしたような気がする。背筋に悪寒が走る。
「気のせいか……」
 誰に言うでもなく口に出した。怖がっている自分が少し滑稽で、思わず笑みをこぼす。再びロウソクに手をかけようとしたその時、先ほどよりも、はっきりと鈴の音が聴こえた。
「誰かいるのか! いるなら出てこいよ!」
 俺の叫び声は狭い部屋に虚しく響いた。誰かが出てくる気配はない。ふと壁に目をやると、さっきまで揺れていた猫の姿が消えていた。ロウソクに火は灯ったままだった。

 鈴の音がどんどんと大きくなっていく。リン、リン、リンと……まるで誰かが忍び寄るかのように、俺の耳に近づいてくる。
 __突然、俺の足元に何かが触れた。
「……!」
 驚いて声を上げたつもりが、言葉が一言も出てこない。それどころか身体が硬直して全く動かなかった。
 俺の足元から、何かがゆっくりと這い上がってくる感覚がある。なんとか眼球だけ動かして、視線を少し下に向けた。

 深い金色の瞳、柔らかく広がる毛、二又に別れた尻尾。
 首につけた鈴を鳴らしながら、俺に近づいてくる化け猫を視界の端でとらえた。影のように揺らめきながら、化け猫は俺の胸元まで這い上がると、鼻先を近づけてきた。息が冷たく、死の匂いを感じた。化け猫は大きく口を開けると、耳をつんざくほどの恐ろしい叫び声を上げた。

 その瞬間、俺は意識を失ったのだった。

 気が付くと俺は外にいた。
 目の前には灰色の空が無限に広がっている。風はなく、ただじっとりと肌にまとわりつくような冷たさだけが残る。腐葉土のような甘く澱んだ臭いが鼻につき、地面はところどころにぬかるんでいた。遠くからは、誰かが呻くような、泣くような、しかし言葉にならない低い声が途切れ途切れに聞こえてくる。
「なんなんだ、ここは……?」
 ここがどこかは分からなかった。だが現世ではないことだけは、ハッキリと分かっていた。化け猫の姿はもうないが、なんとなくその気配は感じていた。
「武ちゃん、悪い事したらあかんよ……」
 祖母の声が、遠くから聴こえた気がした。

 二度と元の明るい世界には戻れない、そんな静かで絶対的な絶望を感じていた。俺の耳には鈴の音がいつまでも鳴り響いていた。


つづく

※ヘッダー:くまさん作

後編はくまさんのnoteへ

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