見出し画像

【創作】猫行灯 後編

コッシーさんと猫の日に共作しております🐈‍⬛

この創作はコッシーさんとのコラボ作品になります。前編をコッシーさんが書いて、後編をわたくしが書いております。
コッシーさんの前編をまずお読み頂いてから、後編をお楽しみください。



「猫を追いなさい」

 すすり泣くような低い声は次第に明瞭さを帯びた。

「猫を追いなさい」

 奇怪にささやく。

 猫?猫なんていない。猫はいずこに……。

 先ほどの化け猫も姿は見えず。

 あたりを見回しても生き物の気配はなし。

 じきに声色はするりと変化を遂げる。

 とんとことんとん、ととん、どんどん。

 ひゅーひゃらり。

 かんかん、かんかんかん。

 耳にするは祭囃子の
 たどるは記憶の回路。祖母と社殿へ向かう参道でお囃子を聴いたのは昭和の頃。御神木の横の境内社の陰で怯えている一匹の黒猫。飲み物を与え「クロ」と名付けて介抱した。人生唯一の猫に触れた記憶。


 ああ、步けども、歩けども。

 どのくらいさまよったのか、わからない。

 りーん

 りーん

 鈴の音だけは途絶えない。左右前後という方向感覚もなく、脳内に直接鳴り響き。耳を塞いでも音はおさまるどころかいたづらに増幅し、ただ不快に脳髄を震わし、全身のあらゆる筋肉をこわばらせる。ふくらはぎがつれる。眼球が痙攣する。喉がからからに渇く。血流が滞りたちまち体温が急降下する。空と地面の境界線も不明確なままあたりは霧が立ち込め、熟した柿を踏んだように地面は湿り気を持ち足がぬかるむ。腐敗した死臭が体中にまとわりつく。

 あまりに現実離れした情景への恐怖からか、いつの間にか笑い出している自分に気づいた。

 あははははは、はは、は。

 自分の声ではないように聴こえた。

 舌がもつれる。

 何をしている、ネームを書かねばならぬ。

 現実的な思考が風に吹かれた行燈の灯りと同じように小さく揺らめき、皮膚をつねり己のちっぽけな存在を確かめる。比良坂ひらさかのにやにやとした小賢しい笑みが頭に浮びあがる。気障ったらしい四角い眼鏡がむかつく。インフルエンサー気取りでフォロワー数が多い癖に「たいしたことない」「僕は嫌われている」と自己憐憫丸出しで同情を買う演出がむかつく。三流アイドルとお互いの指で作ったハートマークの結婚報告インスタ画像がむかつく。苛立ちを覚え、その場で立ち尽くし、舌打ちをしながら目を閉じた。


「どうされました?」


 目を開けた。目の前は、猫……ではなく、つややかな黒髪の金色の瞳の女性がいた。着物をまとい婀娜あだっぽいまなざしで扇子をひらりひらりと仰がれている。餅のようなあたたかい柔肌を後頭部に感じ、膝枕をされていることに気づく。眠くないのにまぶたが重たい。お香のような匂いが鼻孔をかすめた。周囲を見回すと旅館のような風情であった。

「先ほどまで湯治に出かけておりました」

「湯治……?」

「ここの湯は疲労回復、慢性痛の緩和、切り傷、冷え性、肩こり、慢性湿疹などに効力があるとかないとか……」

 白魚のような細い指を額にひたっと添えられた。長いまつげを揺らしニ、三度まばたきをする。

伊邪岐いざき先生」

 通りを歩く下駄の音。名前を呼ばれたことに一瞬違和感が浮かび、たちまち雲のように霞んで消えた。この女子おなご只者ではない。疑念を抱くが、不可思議な力に抗えず魅了されていることに気づいた。目が離せない。

「湯あたりしたのか、お足元が悪かったのか、湯治中に倒れられたと。幸いお怪我はありませぬようですが本日は休まれた方がよろしいかと」

 起き上がり、窓を覗く。湯畑から湯気が立ち、日本庭園の松の木がこちらに枝を伸ばしていた。温泉地なのか......?敷布団を整えていた彼女はこちらを曰くありげに深い金色の瞳でまなざす。秋の黄金色の稲穂のような懐かしさ。そこから意識がぷつんと途絶えた。

 どれほど寝ていたのか。静けさの中で朝靄に包まれる。金色の瞳の女性は「おけい」と名乗った。脂の乗った刺身、やわらかく味の染みた野菜の煮物、炊き立ての白米、小味のきいた季節の天ぷら、豪奢な食事を三食三度、女中と共に運び込み「遠慮なさらず召し上がってくださいまし」と日が暮れると芳醇な酒をお酌された。温泉に入るようにすすめられ、湯に入り身体が弛緩しまどろむ。がらがらと戸が開き「お背中をお流しします」とおけいが湯浴み姿で現れる。ゆっくりと肩甲骨から脊椎、骨盤のあたりまでタオルで撫で上げられる。

 まるで天国のようだ。

 ずっとこのままぬるま湯のような場所にいたい。おそらくここは現世ではないのだろう。あの時俺は死んでしまったのかもしれない。けれどもこの苦しみも悲しみも怒りもない極楽浄土の世界で過ごせるのならば本望だ。

 何日、何ヶ月過ごしたのか刻の流れもわからぬままふと鏡を久方ぶりに覗いた。奇妙なことに、両頬から長くのびた白い髭のようなものが何本か飛び出ていた。鼻はてっぺんが黒ずんでいるようである。

 これじゃ......まるで......。

 障子が音を立てず横に開き、おけいがしずしずと入ってきた。

「あら、伊邪岐先生、いかがなされましたか?」

「俺の顔、変じゃないか?」

 くすくすと可笑しげに扇子で口元を隠しながら近寄り肩さきにもたれる。紫の柳柄の着物の裾がヒラメのようにすっと畳を滑り、ほのかに白梅のような香りが漂う。

「動物のひげ、みたいな......」

「あははははははははは」

 おけいは突然高らかに声を立てて笑い始めた。俺はびくりとして彼女を見つめた。おけいは体をゆするほど調子はずれな声を出し、にやりといびつに微笑んだ。薄気味悪いので思わず後退りする。

「ほんのひとさじですの。少しずつ少しずつ......。薬を仕込みました。お食事にも湯治の湯にも私の舌の上にも.....。あなたさまはそのうち猫になれます。仮に、今まで悪しきことを為されたのなら火車で地獄へ落とされるでしょう。それが獣の世のしきたりです。さぁ、先生はどちらへ向かわれるのでしょうね」

「い、いやだ!なぜこんなことをするんだ。俺は元の世界に帰りたい。猫になどなりたくないし地獄へも行きたくない!」

「いけませんことよ。だってあの時、私たちの世界の入り口を開けたから......行灯に火をつけましたでしょう」

「行灯......?」

(武ちゃんは悪い事したらあかんよ)

 祖母の声が不意に脳内に響く。祖母の行灯に火をつけ、化け猫が現れた。あんなことをしなければよかった。今更後悔してもあとの祭りだ。このまま猫になって地獄へ連れて行かれるのか───

と、全てをあきらめかけた俺の目の前を、黒い物体が素早く横切ってひらりと着地した。

「早くこちらへ」

 黒い物体は小さな黒猫であった。どうやら俺に話しかけているらしい。何が何やらわからぬまま、俺は振り返る事なく黒猫の後を必死の形相でついていった。

 背後から何やら禍々しい吐息が聞こえる。おけいが金色の瞳の化け猫となって俺たちを追いかけてきているようだ。

「祭囃子の音に集中するのです」

 黒猫が俺に語りかける。俺は言われた通り、耳を澄ましながらお囃子の音を聞き取り、黒猫と走り抜けた。

 とんとことんとん、ととん、どんどん。

 ひゅーひゃらり。

 かんかん、かんかんかん。

 目は乾いて喉もからから。呼吸が乱れる。足がもつれそうになりながらも一心不乱に進んだ。

「もう少しです。これはあの時のお礼です。自分を......まわりを信じてください」

 クロ......?

 光が急にあたりを包んだ。俺はまた意識を失った。


 目が覚めると俺は自宅のベッドに横たわっていた。時計の音がちくたくと聴こえる。今はいつだ?あぁそれよりも顔はどうなった?ベッドを飛び出し洗面所に向かう。白いひげも鼻の頭の黒ずみも無くなっていた。はぁとため息をついた。

 悪夢でも見たか?

 俺は祖母の家に行って黄泉の国へ逝きかけていた。あの猫行灯。もう2度と触れたくはない。祖母はなぜあの行灯を残しておいたのだろう。

 ブーン、ブーンと突如振動音が鳴る。

 スマホを持ち電話に出る。

 編集部の天手あまてだった。

「伊邪岐先生、御進捗はどうですか。お話したいことがあるのですが」

「あぁ?必死に考えてるよ。話って、なんか用なのか?」

「比良坂先生からことづけがありまして。直接おっしゃったらいいのに、私から伝えてほしいと」

「なんなんだよ、また路線変更でもすんのか?冗談じゃねえよ、こちとら振り回されるのは金輪際ごめんだ......」

「いえ、違います。ではお伝えしますね。『拝啓伊邪岐さま。この度はご多忙中とは存じておりましたが、小生の執筆のための原作協力者を快く引き受けてくださり、まことにありがとうございました。実は、先生が描かれた漫画コンテストの佳作作品「群青色の坂道」の大ファンです。先生の作品の独特な感性、鋭い視点、登場人物の多層性、情景のあざやかな立ち上がり方に感銘を受けました。今回の作品は和製ホラーというテーマにさせてもらいましたが、先生ならきっとすばらしいアイディアを生み出してくださると信じております。お身体にお気をつけてご自愛ください。遅くなってもかまいませんので、お待ち申し上げております』ですって」

 俺は目を白黒させながら電話越しの天手のことばを呆然としながら聞いていた。比良坂......俺はあいつのことをかなり誤解していたのかもしれない。
「伊邪岐先生、確かに伝えましたからね!ところで何かアイディアは浮かびましたか?」

 俺は天井を仰ぎながら息を大きく吸って吐き出した。


「タイトルは『猫行灯』だ。キャットオーランタンでもいいぞ。その前にチュールでも猫缶でもなんでもいいからえさを飼ってくれないか、俺の実家の近くの寺に今から行こう。お前もついてこい」

「え?は?ちょっと待ってください、先生──」

 スマホを切った。俺は祖母の顔を思い浮かべながら、机の上の飲みかけの缶コーヒーと山盛りの灰皿を片し始めた。スケッチブックを新しいページに差し替える。


 鈴の音がどこからかともなくりーんと鳴り響いたような気がした。



いいなと思ったら応援しよう!

くま サポートは読んでくれただけで充分です。あなたの資源はぜひ他のことにお使い下さい。それでもいただけるのであれば、私も他の方に渡していきたいです。