【創作】同じ月を見ている
「でさ、課長は絶対自分のミスを認めないの。もうやんなっちゃう」
スピーカーにしたスマホから、少し低くなった優奈の声が響く。俺はソファに深く背を預けたまま、適当に相槌を打っていた。
「へえ、大変だったな」
電話の向こうで優奈がどんな顔をしているのか、今の俺には想像がつかない。いつもの、どこにでもある仕事の愚痴。かつては、そんな彼女の小さな不満を聞くことさえ愛おしいと思えた時期があった。一生懸命に今日あったことを話す彼女を、愛らしく思っていたはずなのに。
俺たちの遠距離恋愛が始まって、もう二年が経つ。きっかけは、俺の急な地方転勤だった。
東京と、そこから新幹線で数時間離れたこの街。旅立つ前夜、泣きじゃくる優奈を抱きしめながら、二人の未来を信じて疑わなかった。
「毎週会いに行くから」
「卓也が来れない時は、私がそっちに行くね」
あの頃、確かにそう誓い合った。けれど、現実はそれほど甘くはない。
毎週だった約束は、いつしか二週間に一度になり、やがて一ヶ月、二ヶ月と間隔が空いていく。互いの生活リズムのズレ、移動にかかる時間と費用、そして何より、会えない時間が逆に育んでしまった心の距離。
今ではもう、最後に会ってから三ヶ月が経とうとしていた。
優奈とは大学のサークルで出会った。
初めて話したとき、彼女はまんまるな顔の形をさらに丸くして、口を大きく開けて思い切り笑った。その屈託のない笑顔を俺は可愛いと思った。きっとこの時もう恋に落ちていた。
夏のキャンプだった。夜、皆が寝静まった頃、二人で抜け出して夜空を見上げた。満月が、驚くほど綺麗に輝いている中、緊張で震える声を隠しながら、俺は優奈に気持ちを伝えた。
優奈は一瞬驚いたあと、いつもの元気な笑い方とは違う、少しはにかんだ笑顔で「よろしくね」と言ってくれた。優奈の白い肌が月光に照らされて、まるでその笑顔自体が満月のように輝いて見えたのを、今でも鮮明に覚えている。
大学を卒業して社会人になってからも、俺たちの距離は変わらなかった。優奈はいつも隣で笑っていたし、俺はその顔を見るのが何より幸せだった。
それなのに。俺の転勤が決まってから、何かが決定的に変わってしまった。連絡の頻度が減るにつれ、俺の記憶の中にいる優奈は、だんだんと笑わなくなっていった。それどころか、どこか遠くを向いているように思えた。
会えない時間は、愛を育てるのではなく、ただ熱を奪っていく。どこかで繋ぎ止めなければいけないと分かっていながら、お互いに傷つくのを恐れて、ぬるま湯のような関係をダラダラと続けてきてしまった。
もう、終わりかもしれないな。
いや、きっと今日で終わりにすべきなんだ。お互いのためにも、別れを切り出そう__そう心に決めた、まさにその時だった。
「ねぇ、そっちは月が見えてる?」
ふいに、優奈がそれまでの愚痴とは全く違う、少し弾んだ声を上げる。
「月。こっち、すごく綺麗に見えてるの」
促されるように、俺は重い身体をソファから起こす。ゆっくりとした足取りで窓辺へと歩き、カーテンを開けた。冷たいガラス窓をスライドさせると、夜のひんやりとした空気が一気に流れ込んできて頬を撫でる。
夜空を見上げた。
そこには、満月よりほんの少しだけ欠けた月が、息を飲むほど鮮やかに佇んでいた。
「……ああ、見えるよ。もうちょっとで満月だな」
そう口にした瞬間、胸の奥がツンと痛んだ。
脳裏をよぎったのは、あの夏の夜の光景だった。
涼しいキャンプ場の夜風。緊張で震えながら伝えた告白。受け入れてくれた時の月光に照らされた優奈の笑顔。
あの、世界中の何よりも輝いて見えた「満月のような笑顔」が、今見上げている月と、あまりにも鮮明に重なった。
俺の中の優奈はもう笑っていない、なんて、嘘だ。
俺が勝手に彼女を心の隅に追いやって、笑顔を忘れたフリをしていただけじゃないか。
「ふふ、やっぱり見えるんだ。なんか、すごいよね」
優奈の声が、笑っているように聞こえた。彼女も今、同じようにあの夜のことを思い出しているのだろうか。
「離れてるのにさ、卓也と私、いま、全く同じ月を見てるんだよ……」
スマホ越しに、かすかに衣類が擦れる音が聞こえた。優奈もきっと、遠く離れたあの部屋のベランダで、夜風に吹かれながら空を見上げている。
同じ月。同じ光。
どんなに距離が離れても、どんなに会えない時間が重なっても、俺たちは今、同じ一つのものを見つめている。
諦めかけていた心が、ドクンと激しく脈打った。愛おしさと、手放しそうになっていた恐怖が、濁流のように押し寄せてきて視界が滲む。
まだ、間に合う。いや、絶対に手放したくない。
「優奈、あのさ、俺……」
俺は声が震えないように手をギュッと強く握る。
月の光が俺の顔を優しく照らした。あの日と同じように、俺と優奈は今、同じ月を見ている。
おしまい
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こちらの企画に参加しています。
創作大賞の恋愛部門の素敵過ぎる応募作品をいくつか読んだせいか、最近、恋愛小説を書きたい願望が沸々と湧き上がっていまして、今回の【チャレがや】では恋愛小説に挑戦しました。
もっともっと人々の胸を打つ恋愛小説を書きたいと思っていますので、今後も修行していきたいと思います!
#ドキドキさせる恋愛小説を書きたいんじゃ
そして、たくさんの恋愛小説を読みたいので、よろしければ皆さんの恋愛小説を読ませてください!
#おじさんだってドキドキしたいんじゃ
よろしくお願いいたします。
コッシー
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