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【後編】野球嫌いによる野球嫌いのための「ここがヘンだよ野球用語」

【これまでのあらすじ】
・野球用語が分からない
・野球は「番号」が分からない
・野球は「〇回」が分からない
・野球は略語が分からない

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第2章 第2節  略語の読み方が分からない?

(承前)

野球用語の分かりにくさにねちねちと迫る当連載。前回取り上げたのは「遊ゴロ」「左飛」「中越え」「2ラン」など野球(記事)特有の略語の数々でした。引き続きそのお話です。

この手の専門略語で困るのは「そもそも読み方が分からない」ものがあることです。一般的な辞書では「三遊間(さんゆうかん)」だけはなぜか載っているものがあります。野球用語辞典の類では「右中間(うちゅうかん)」「左中間(さちゅうかん)」「三本間(さんぽんかん)」「二遊間(にゆうかん)」「犠飛(ぎひ)」などが確認できました。しかし確認できない中で特に不安なのは「右前(打)」「左前(打)」「中前(打)」です。

ウヨク、イチルイ、サンユウカンが音読みなので、音読みでそろえるならばウゼンダ、サゼンダ、チュウゼンダ。しかし右越えはミギゴエでウゴエとは考えにくく、となると首長を「くびちょう」、経常を「けいつね」のように同音異義語の区別のために音訓を変えて言う習慣をふまえればミギマエダ、ヒダリマエダ、ナカマエダも考えられる。え、チュウマエダ? ヒダリゼンダ? 周りの野球好きに聴取してみると訓読み派が優勢ながら音読み派、あるいはハイブリッド系もいて、「改めて聞かれると…」と皆一様に首をかしげます。おいおいしっかりしてくださいよ。

若干一名余計なのがおりますが

(※なお上のリンクは完全に余談です。ご存じの方だけニヤリ)

野球中継の実況などでは「右前打」なら「ライトまえヒット」などカタカナ語で言うことが基本のようですし、野球ルール解説本の類でもカタカナ表記ばかりです。確かに「中前適時打」より「センターへのタイムリーヒット」、「捕邪飛」(ほじゃひ?)より「キャッチャーファウルフライ」と言われたほうがまだ分かりそうです。「本気と書いてマジと読む」ごとく「左飛と書いて〈レフトフライ〉と読む」という人もいました。

▼書き言葉専用?

私は普段野球の話など誰ともしないので、本当にこうした略語を口頭では使わないのかどうか実感として分からないのですが、たまたま読んだ40年前の本に当時の新聞投書の引用がありました。

私たちは野球観戦をする場合「右飛」とか「重盗」などの言葉は実際使用しません。やはり「セーフティーバント」や「ヘッドスライディング」でなければ、あの野球のスリリングな試合展開を表現出来ないでしょう。

(石綿敏雄「日本語のなかの外国語」岩波新書、1985)

この引用を受けた著者のまとめが「スポーツ用語の場合、書きことばとして漢語はあっても、話しことばでは使わない。話しことばでは外来語を用いる」。読み方に言及したものではありませんが、野球略語が書き言葉専用の傾向が強いことの傍証にはなりそうです。

ここで野球記事のプロである、本紙運動部のデスクの一人に聞いてみたところ「自身ではミギマエ、ヒダリマエ、ナカマエだが、言われてみればはっきり決まっているわけではないのでは」とのことでした。「書き言葉であって、現場のプレーヤーもこんな言い方はしない」とも。

そもそもほぼ書き言葉限定でしかも「符丁」に近いようなものであれば、読み方がどうでも意味が分かればよく(まあ私は意味も分からなかったからこんなものを書いてるわけですが)、記号性が優先で口に出して使うことをあまり想定していない節があります。でも仕事でやりとりするときに「このサゼンダなんですけど」「は?」と意思疎通に支障があると困りそうです。

これらは「野球用語」というより、限られた紙幅の中で情報を圧縮して伝えるための「野球記事用語」なのではないかとも推測したのですが、日本プロフェッショナル野球組織・全日本野球協会編「公認野球規則」(ベースボール・マガジン社刊)をめくると「一ゴロ」「投ゴロ」「左前安打」「中前安打」などの記載が確認できます。となると野球報道の独自用語とも言い切れません。報道に限らず文章で試合展開を詳述するときの「戦評用語」といったところでしょうか。

▼右、左、中の闇

とりえあえず現象として言えるのは「右、左、中を含む野球略語は音訓が一定しない」。左犠飛(ひだりぎひ、さぎひ?)、中ゴロ(ちゅうごろ、なかごろ?)、右飛(うひ、みぎひ?)、右犠飛(うぎひ、みぎぎひ?)、うひひ、ぎひひひひ…。

音読み訓読みどちらもあり、は日本語表記の特徴の一つではあります。「私立/わたくしりつ」のように、正式に堅く言うとウゼンダで、聞き取りやすく崩して言うとミギマエダ、という使い分けの可能性も考えられるものの(特に右[う]、遊[ゆう]、中[ちゅう]は紛らわしい)、「右前打」にウゼンダと読みを付す資料でも見つけてこないと証明は難しそうです。

なんだか野球(記事)用語の触れてはいけない「闇」に近づいてしまったような気がして怖いので、結論を保留したまま本項を撤収します。逃げろっ。

▼伝統と特権

新聞は基本的に「分かりやすい記事」を目指します。分りにくい略語などは初出をフル表記にしたりカッコで説明書きを付けたりするのが通例です。もはや分かりきっているような語でも初出はあくまで「スマートフォン」(同じ記事内で2回目からは「スマホ」)、「人工知能(AI)」「交流サイト(SNS)」などと律儀に表記します。ただしスポーツ面など「趣味の領域」になるとやや例外で、「分かる人に分かればいい」という構えがあるのは否定できません。中でも野球は1点入るまでの経過が長く複雑というせいもあるのでしょうが、素人にとってはこうもわけの分からない略語が(読み方も不確定のまま?)当たり前のような顔で通用しているのは驚きです。同じスポーツでも他の競技でここまでのものはないと思います。匹敵するとしたら囲碁・将棋や大相撲の記事でしょうか。

他の競技でも専門語を多用して詳しく描写しようと思えばいくらでもできるだろうとはいえ、ほぼ野球にだけその紙幅が常に確保されているというのはよく言えば「伝統」であり、あるいは特権性の表れであるように見えます。それを享受できる野球ファンの方々は実にずるい うらやましいですね(ご愛顧ありがとうございます)。

終章 「野球のことは嫌いでも、野球記事のことは嫌いにならないでください!」

ふと考えてみると、ものすごく基本的であるにもかかわらずよく分からない野球の言葉があります。

審判が投球を判定するときの「ボール」「ストライク」です。最後にこれらに言及してからバットを置きたいと思います(そんな慣用句はあるのか?        どうやらあるみたいです)。

▼「ボールがボールだ!」

ボールといったらのことに決まっています。球に対して「球だ!」と宣告して何の意味があるんだ…というほど私も狭量ではありません。よほどの事情があるのでしょうから話を聞いてあげましょう。ものの本にはunfair ball(しかるべき範囲を外れた球)の略、とあります。略すならballじゃなくてunfairの方を残した方がいいんじゃないのと思わなくもないですが、省略は言語の常なので「ボール球(だま)」は重複表現だ、などとつまらないことも言いっこなし。日本語では普通名詞のボールと野球用語のボールはアクセントで明確に区別されているので「投げたボールがボールになった」も音で聞けば理解は容易なのも面白い現象です。活字上では前掲「公認野球規則」が使用球を「ボール」、投球判定を「ボール」(太字)と区別しています。そうきたか。

▼一方そのころ「ストライク」

投手が投げて、打者が空振りしたり、その球がしかるべき範囲に入っていたのに打者が振らなかったりすると、審判が「ストライク」を宣告します。ストライクといえば直訳で「打つ」。しかし「打ってない」のに「ストライク=打つ」とは話が逆に見えます。それともキャッチャーミットに球がズバンと当たったことをストライク(当たる)と言っているのでしょうか。ボウリングでは1投で10本全部のピンを倒すことが「ストライク」であることからすると、野球で打者が打てなければ投手が打者を比喩的に「倒した」ことになるからストライク、なのでしょうか。

ここでは「審判が『ストライク!』と叫ぶ」という状況自体に理解の鍵があります。あの「ストライク!」は名詞ではなく、動詞の命令形「打て!」だというのです。「おいおい今のは打つべきだろ、打てよ!」という感じでしょうか。文法の話なわけですね。これを知ったとき、それなら野球どうこう以前に「言葉」の問題として私のような者にも面白いと思えてきました。こりゃ駄文がひとくさり書けそうだぞと思ったきっかけです。そしてかような長駄文が錬成されてしまいました。
(参考文献:佐山和夫「ベースボールと日本野球」中公新書、1998)

▼へんないきもの

野球嫌いの御多分にもれず、見たいアニメが野球中継でつぶれたり、運動音痴でバカにされたりして子供の頃からすっかり野球およびスポーツ全般(とスポーツに熱狂する人々)を憎悪している私ですが、野球自体に興味はなくてもこのように野球の「言葉」はそれなりに面白がることができます。数字や略語の複雑さにしても、「記号操作のフェティシズム」としては正直言って嫌いではありません。だったらいっそ言葉「のみ」によって野球を理解してやろうとするのが校閲記者というへんないきものなのです(お前と一緒にするなの声多数)。執筆している内になんだか野球自体も憎からず思えるような気がしてきました。なんたる不覚か。

というわけで私は、野球が嫌いではないと言っても過言ではない可能性がなきにしもあらずとは言い切れないかもしれない気がする程度には野球が好きになりました。めでたしめでたし。

野球がお好きな方もお嫌いな方も、長文にお付き合いいただきありがとうございました。(了)

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