【前編】野球嫌いによる野球嫌いのための「ここがヘンだよ野球用語」
はじめに
突然ですがみなさん、野球はお好きですか? 私は嫌いです。
ピーーー(しばらくお待ちください)
ごほん。仮にもプロ野球球団を保有する新聞社にあって、野球が嫌いな社員などいるわけがありません。ええそうでしょうとも。いいぞがんばれドラゴンズ‼
さて。
野球がかつて「娯楽の王様」といわれた(諸説あり)往時ほどではないにせよ、「野球」の記事が今でも新聞紙面において特別な位置を占めているのは間違いありません。であればその校閲業務にも怠りがあってはならず、校閲記者たるもの、スポーツは苦手だからスポーツ面の担当を免れるなんて甘ったれたことは通りません。
しかしながらスポーツ、とりわけ野球の記事はその使用語彙にしてからが特有の専門性に彩られており、根っからスポーツ嫌いの私にも慣れるまでそれなりの苦労がありました。
一体野球の言葉の何がどう分かりにくいのか。私見では、その構造的要因は大きくわけて二つです。
① 数字が分かりにくい
② 略語が分かりにくい
なんだか当たり前のようですが、以下、難癖を、もとい事例を紹介していきます。
当アカウントは「コトバのゲンバ」なので、「勝利投手条件」「自責点」「打数と打席数」など真の意味でややこしい競技ルール上のことではなく、あくまで「言葉の在り方」のレベルで、野球になじみのない人からは野球用語がどう見えているか、に焦点を当てます。
野球がお好きでない方は「そうだそうだ、これだから野球は。調子に乗るな」、お好きな方は「そんなことで引っかかる? でも言われてみればそうかも」などとご笑覧いただき、本稿が野球嫌いと野球好きの海より深い溝を埋める一助になれば幸いです。
第1章 数字が分からない
1章 第1節 「番号」が多すぎる
野球素人にはまことに恐るべき事実に映るのですが、野球では個々の選手に付随する「番号」が「打順、守備番号、背番号」の3種類もあります。なん、だと…⁉
▼「打順」
「4番、サード、新田君」「子供の頃からエースで4番」
仮に野球を全く知らない人がこれを聞いたらどう思うでしょうか。
thirdは「3番目」だから、「4番なのか3番なのかどっちかにしろ!」。エースはA=アルファベットの「1番目」の意味だから、「1番なのか4番なのかどっちかにしろ!」と言いたくなります。
というのはまあ半分冗談として、「4番」(ヨバン。ヨンバンと読むと野球人に笑われます。 ひどい!)が、バッターが打席に立つ順番であることは試合を見ていれば分かりそうです。
ここで新聞紙面に載っているテーブルスコア(試合の情報を凝縮した表)の打順の部分を見てみます。

さて「4番」は誰でしょう。上から数えて4番目に決まっているではないか。え、決まってない? なぜだ‼(坊やだから?)…答えは(右)翼手、(二)塁手など「守備位置略称にかっこが付いている人だけを数えて4番目」。これを知らなかった頃、記事に「4番細川」とあるのでテーブルを見て「1、2、3、あれ、細川は5番目だぞ」などと混乱することがありました。かっこ付きの選手が試合開始から出場するいわゆるスタメン、かっこが付いていない選手は交代要員です。しかし丸がっこの一般的用法ではむしろ「かっこ付きの方が副次的」ではないかと思うのですがどうでしょうか。
▼「守備番号」
攻撃側の番号が打順なら、守備側にも番号があるという事実は野球好き以外には果たしてどれほど知られているものなのでしょうか。私は知りませんでした。たとえば「6-4-3のダブルプレー」。この番号の意味は知らないと全くお手上げです。6ひく4ひく3=-1…?
ここでの番号は、チームが守備側のときに9人の選手の役割ごとに割り振られる「守備番号」だそうですよ奥さん。

上図の通り「6-4-3」は遊撃手→ 二塁手→ 一塁手にボールが投げ渡されたことを表しています。この中で曲者は3と4と5です。新聞をはじめ、一塁二塁三塁は漢数字で書く傾向が比較的強いですが、あえてアラビア数字にそろえて書けば「1(塁)が3」で「2が4」で「3が5」という不快な「ずれ」があります。数字が苦手な性分の筆者などはこれだけで頭がぼんやりしてしまいます。いっそ、1=一塁手、2=二塁手、3=三塁手、4=投手…とかではだめなのでしょうか。だめですか。そうですか。
もっとも、このようにややこしいためか守備番号自体が記事に出てくることはあまりありません。ただし校閲資料のスコアブックを読み込む際などには遺憾ながら知識は必要です。
ちなみにこの「-」でつないだ数字の意味するところは他にもあり、地味に野球無知勢を悩ませます。記事の中で単に「2-1」とあればその時点での両チームの得点を表し(文脈上で主語になっている側の得点が先。文脈によって入れ替わるので困る)、「カウント2-1」とあれば1打席のその時点の状況「2ボール、1ストライク」。かの大谷翔平選手が達成した「50-50」(フィフティー・フィフティー)はホームランと盗塁を1シーズンで各50回記録したこと。あまりに皆が騒いでいるので冷やかしがてら「50ひく50で、価値ゼロだな」とおやじギャグを進呈したところ、野球ファンの後輩から生ごみを見るような視線を浴びました。
▼「背番号」
「野球の番号」と言われて素人にまず思い浮かぶのは「背番号」ではないでしょうか。何しろユニホームにでかでかと書いてあるのですから。守備番号や打順はユニホームに書いてありません。にもかかわらず背番号は試合を理解する上では守備番号、打順に比べてほとんど重要ではありません。
少年野球や高校野球ではレギュラー選手の背番号は守備番号と一致するなど、背番号の決め方に一定の傾向や慣習はあるらしいのですが、プロではけっこう自由だとか。有力選手は縁起を担いで好きな数字を選べるとか、伝説の名選手の記念日なので敵味方全員その選手と同じ背番号をつけて試合しますとか、ユニホームを忘れたので同僚のものを借りてプレーしましたとか。もしや何でもいいのか。
試合ごとにコロコロ変わったりしない固有の番号としての利点はあり、新聞の写真の説明文で「打球を取り損ねる岡林①」とあれば「手前右から3人目」などと書くより一目瞭然という場合もあります。
青春野球漫画の巨匠、あだち充先生原作のアニメ「MIX」にこんな場面がありました。
第15話。試合を勝利で終えた直後、主人公の兄弟バッテリーが相手チームの打者2人を評して語り合います。投手弟は「(打順)4番の強敵打者を最後は三振に打ち取る」と意気込んでいました。しかしその前の3番打者が意外にしぶとくて苦労させられた。それを受けてのやりとりです。
捕手兄「最後はあの4番を三振に取って終わらせる約束じゃなかったっけ?」
投手弟「気を抜かせてくれなかったんだよ、あの3番が」
この台詞の次、相手チームの打者2人の後ろ姿のカットがこれです。

私の戸惑いをご理解いただけるでしょうか。はい? あれ? どっちがどっち? 後ろ姿で顔は見えません。敗戦にうなだれる3番打者(右)に4番打者(左)が肩を貸しています。4番打者は一塁手で、高校野球なので背番号が3です。3番打者は右翼手で背番号は9。4番の3番が3番の9番を…??? おれがあいつであいつがおれで…?
「ふつう野球で3番4番と言ったら打順のことで背番号は関係ない」という野球常識を備えている人はこんなことで迷ったりはしないのでしょう。しかし混迷する現代社会において価値観は多様化し「常識」もまた揺らいでいます。野球好きの常識が一般人の常識とは限りません。(ちなみに原作漫画の方がコマ割りのせいかまだ分かりやすく感じました)
1章 第2節 「〇回」の怪
「番号」に続いて、我ら野球知らない勢を惑わせるにっくき数字は「三回表2死二塁」「3回4安打無失点」などというときの「回」です。
▼「三回」と「3回」
まずもって「三回」と「3回」で表記がバラバラじゃないか、おい校閲、ちゃんと仕事しろよ、と思いますよね。
なんと、この両者はそれぞれ意味が違うというのです。この違いについて職場で新入社員などに説明する際のよくある言い回しは「漢数字の〇回は〈特定のイニング〉、アラビア数字の〇回は〈積み重ねたイニング〉」。…これで分かりますか?
投手が投げて打者や走者を3人アウトにするまでが一つの「イニング」。試合延長がなければ基本的に9回あるうちの、1から数えた3番目のイニングだけを指すのが「三回」。1人の投手が第1イニングから第3イニングまで投げて降板すると合計で「3回」。

従って「三回を無失点に抑えた」と「3回を無失点に抑えた」とでは意味が変わります。何ということでしょう。異なる体系の記号を平気で併存させる日本語表記のアクロバットに頭がくらくらします。
「三」と「3」などはキー変換の勢いで変わることなので、「第3イニング=三回」だけに通算「1回」だけ登板した投手について「3回を無失点」と記者が書いてしまうことはありえます。そこは校閲の注意力が試されるわけです。正しくは「三回を無失点」です。
なおこれはあくまで野球記事の一つのスタンダードであって、野球表記としての「絶対」ではありません。たとえば弊社発行の「中日スポーツ」では特定のイニングを漢数字ではなくアラビア数字で「3回」、積み重ねたイニングは「3㌄」と書いて区別しています。書き分けずに両方「3回」としているスポーツ紙もあります。野球に慣れた読者なら「3回2失点」と「3回に2失点」も言い回しで識別できるだろ、ということでしょうか。また中日新聞の場合、記事では「三回」と「3回」を意味によって書き分けていますが、写真の説明文やテーブルスコアではすべて「3回」になっています。
▼「五回途中」と「5回1/3」
さらに「何回」で難解なことがあります。すてきな駄洒落です。
(先発投手が)「五回途中まで投げた」と「5回1/3を投げた」
さて両者の意味は同じでしょうか。先発投手なら「一回から五回まで投げた」と「合計5回投げた」はそりゃ同じ意味でしょう。え、違う?
お察しの通り問題は「途中」「1/3」です。
「五回途中」は文字通り「第5イニングの途中まで」。第5イニングを投げ切っていないので「合計」では「5回」ではなく「4回+α」です。守備側がアウトを3個取るまでが1イニングなので、「途中」は「0/3」(ノーアウト)、「1/3」(1アウト)、「2/3」(2アウト)の3段階。いうまでもなくその次の「3/3」は「1」です。よって「4回と1/3」なら(3/3)×4+(1/3)で、テーブルスコアでは「4⅓」と表記されます。小学校で習う「帯分数」を思い出します。さんすう嫌いの私に対する野球からの嫌がらせでしょうか。やめてください。

一方「5回1/3」は第5イニングまでフルで投げてから、第6イニング(六回)の途中(1アウト)で降板したことを意味します。つまり「五回途中」は「4回x/3」であり、「5回1/3」は「六回途中」ということになります。出ましたこの気持ち悪い「ずれ」が。五が4で5が六です。ガッデム。

校閲作業中、記事に「先発マラーは五回途中で降板」と書いてあり、確認のためにテーブルスコアなどを見て「5⅔」とあれば、「六回途中なのでは?」と記事が間違っている可能性を疑わなければなりません。でも急いでいたりすると「五」と「5」の直感的照合でついスルーしてしまうことが全くありえないとは断言しかねます。
理屈では分かるけど感覚では納得できない、ということが世の中にはあるものです(遠い目)。
遠い目をしたところで試合は中編に続きます。先発誰某は勝利投手の権利を残して降板、中継ぎに後を託します(とか書いておけばたぶん野球っぽいぞ。意味はよく知らんが)。どうかめげずにお付き合いください。
〈中編につづく!〉
〈まさかの後編もあるよ!〉

