浪漫飛行 ~恋が始まる音~
その頃の私は、目の難病「黄斑ジストロフィー」の診断を受けたばかりだった。
最近、少しずつ見えにくくなってきている。
「このまま失明するかもしれない」
そう医師に言われ、不安でいっぱいだった。
その話を、私は一樹にした。
まだ付き合ってはいなかった。
会うのも、この日が4回目だった。
その日も、いつもと同じように始まった。
美味しい鰻をご馳走になり、買い物に連れて行ってもらった。
でも、なぜか一樹は帰ろうとしない。
気がつけば、イオンの屋上駐車場だった。
「ちょっと寝よか」
そう言って、夕日が差し込む車の中で、ふたりは手を繋いだまま眠った。
私は思った。
「変な人やな」
目が覚めると、一樹は時計を見て、
「ほな、行くで」
と言った。
連れて行かれたのは、川沿いにある工場のような場所だった。
「何ここ?」
そう聞くと、一樹は平然と、
「あれ乗るねん」
と言った。
指差す先には、ヘリコプターがあった――。
私は意味が分からず、目を丸くした。
係員に案内され、手渡されたのが、
【搭乗証明書】日向ことり様
『京都浪漫飛行 ナイトクルーズ』
と書かれた紙だった。
そして、
『プロポーズに最適💐』
という文字が目に入った。
その瞬間、私の心拍数が、とんでもない勢いで跳ね上がった。
私は、一樹の歌声に恋をした。
カラオケアプリで人気者だった『一樹様』に、
三年間、片想いをしていた。
それでも、その頃の私は、一樹の心はまだ私には向いていないと思っていた。
そういえば、数か月前に、
「ことりちゃんが、今まで見た夜景の中で、どこが一番綺麗やった?」
と聞かれていたことを思い出した。
「え? 待って。だから聞いてたの?」
と私が聞くと、
一樹は、
「そうやで」
と笑った。
聞くところによると、その日、一樹は後輩に仕事を代わってもらい、ナイトクルーズの時間を予約してくれていたらしい。
駐車場で過ごした、あの時間。
すべて、このためだったのだ。
そして一樹が言った。
「なんか、写真撮ってくれるみたいやで。俺たち、まだ一枚もないよね?」
今まで写真を撮らせてもらえなかった私は、一樹との夢のツーショットが、たまらなく嬉しかった。
本人は、
「なんか、写真撮ってくれるみたいやで」
と、初耳みたいな顔をしていたが、後から聞くと、しっかり写真付きプランを予約していた。
どうやら、サプライズは最後まで貫きたかったらしい。
係員の方がニコニコと見守る中、
私は一樹に、「バッグハグして!」「肩組んで!」と、恥ずかしさも忘れて次々とリクエストした。
綺麗な夕焼けをバックに、ヘリコプターの横で撮った記念の一枚。
私のテンションは、終始高かった。
そして、いよいよ二人はヘッドホンをつけ、ヘリコプターへと乗り込んだ。

『ようこそ、浪漫飛行の旅へ!
ここからは、お二人の素敵な時間をお過ごしください。』
パイロットのひと言から、特別な時間が始まった。
なんだか映画の中にいるような気分になり、ドキドキが止まらなかった。
ヘッドホンにはマイクがついていて、一樹の声もよく聞こえた。
「ひゃ~!」
「うわぁ~!」
「きゃ~!」
「一樹~~~~!
こんなん初めてや~~!
涙止まらんやん。
ほんまにありがとう」
「ことりちゃん見て見て!
京都タワーや!
高速の車のライトが綺麗やな」
ふと窓に映る一樹を見ると、そっと涙を拭っていた。
最高の天気。
最高の時間帯。
そして、人生で一番綺麗な夜景。
もちろん、これ以上の夜景はない。
ヘリコプターは静かに地上へ降り立った。
でも私の心だけは、
まだ夜空を飛んでいた。

感動の旅が終わると、一樹は静かに車を走らせ、私を家まで送ってくれた。
私が、
「なんで、こんな事してくれるん?」
と聞くと、一樹は静かに答えた。
「俺は、ことりちゃんの目が心配や。
今日、二人で見たこの夜景を、
ちゃんと目に焼き付けといて欲しかった。
またきっと、一緒に見れると信じて、頑張って欲しい」
「えっ? それが理由なん?」
そう言った瞬間、私は声を上げて泣いた。
滂沱のごとく流れる涙が、止まらなかった。
そして、一樹が初めて頭をポンポンとしてくれた。
玄関まで送り届けてくれた一樹は、泣いている私の頬を両手で優しく包み、じっと見つめた。
そして二人はキスをし、互いの気持ちを確かめ合った。
私は初めて、一樹のあたたかい――
『愛』
を感じることができた。
この日、恋が本当に始まった。
あの日、ヘリコプターから見た京都の夜景は、今でも忘れられない。
恋が始まる瞬間に、
音なんてしない。
でも今振り返れば、
あの日の夕焼けも、
京都の夜景も、
一樹の
「頑張って欲しい」
という言葉も――
全部、
『恋が始まる音』だったのかもしれない。

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