短編【水虫とミサイル】小説
左の足の親指が黒く変色し始めたのは四年ほど前だった。その頃、志島朋美は小規模デイサービス『木漏日と和菓子』でバイトをしていた。
『木漏日と和菓子』は、誰も住んでいない一軒家を改装した介護施設で全国でチェーン展開している。主な業務はデイサービスなのだが、介護度別に設定された価格で、格安に宿泊も出来る。予約待ちで入所が困難な特別養護老人ホームに代わって利用者も増えてる。
志島朋美が働いていた『木漏日と和菓子』は庭付き一軒平屋で広々としたリビングから庭に植えられた桜の木を眺める事が出来た。桜の咲く季節には高齢の利用者たちと一緒にリビングからお花見会をやったりした。
そんなある日、水虫を持つ利用者が入所する事になった。他の利用者や職員の水虫感染の予防のため、職員も利用者も全員靴下を履く、スリッパなどの履き物も各者専用の物を使用する、などの取り決めが作られた。
だが、入浴介助をするときは当然、靴下を脱いで入浴介助が終わったら新しい靴下を履き替える。志島朋美はそれを面倒がって、ときどき素足のままリビングを歩いた。
それがいけなかったと黒く変色した左の足の爪をみて朋美は思った。確実に、あの時期、水虫に感染したのだ。
朋美は『木漏日と和菓子』で八ヶ月ほどバイトをして、その後、看護学校に行き看護師となった。
24歳の朋美が恋愛に消極的になっているのは、この水虫に侵された爪にも一因があった。黒ずんだ足の爪を見られるのが恥ずかしいのだ。
恋人が出来れば当然、愛を囁き合うだろう。愛を囁き合えば当然、褥を共にするだろう。褥を共にするならば当然、左の足の親指を見られるだろう。左の足の親指を見られたら…。それが恥ずかしかった。
この爪水虫が治らなければ恋も出来ない。朋美はその一心で皮膚科の水虫外来を受診して治療薬を手に入れた。その薬を使って治療を始めて一ヶ月が過ぎた。水虫の治療は根気よく続けなければならない。
朋美は毎日毎日、ジェル状の薬を患部に染み込ませる。朋美は早く薬が効くように白癬菌の一つ一つが死滅してゆくイメージを思い浮かべる。喰らえ!喰らえ!これは核爆弾だ!水虫ども!お前らを全滅させてやる!朋美は薬を塗布するたびに核の炎に包まれて悶えて苦しんで死んでゆく白癬菌を想像した。
治療を始めて半年が過ぎたころには左の親指の爪の黒さは徐々に色味が落ちていった。
その半年の間にロシアはウクライナを攻め、そのどさくさに紛れて北朝鮮がミサイルを打ち、そのミサイルは青森県沖の排他的経済水域に落ちた。
朋世は、その報道を湯上りに見た。頭にバスタオルを巻き付けつけて歳不相応なハローキティのパジャマを着て、左足に水虫の薬を塗っている時に見た。喰らえ!喰らえ!これは核爆弾だ!水虫ども!お前らを全滅させてやる!と思っている時にミサイル発射の報道を見た。
朋美はテレビを見つめて薬を塗布する手を止めた。
同じだ。核爆弾に見立てて水虫を全滅させようとしている行為と核戦争の引金になるかも知れないミサイル発射。どっちも同じだ。とても醜い行為だ。と志島朋美は思った。
いやいやいや!それとこれは違うよ!と言う作者の私の声など全く届かず、志島朋美は「白癬菌だって生きている。一生懸命生きている」という、ちょっと怖い独り言を呟いて治療をやめてしまった。
志島朋美は、そういう少し変わった、言葉を替えれば素直で純粋な女性なのです。
作者の私は彼女に素敵な恋人が現れることを心から、心から願っているのです。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
