短編【オルゴールだった木箱】小説
「あれ?このネックレス……。どうして」
里佳子は鏡台の前で思わずつぶやいた。そのネックレスは三年前に縁を切った男が買ってくれたものだ。とっくに捨てたものだと思っていた。それがオルゴールだった木箱の中に入っていたのだ。
オルゴールだった木箱。
それは小学生の頃、図画工作の時間に里佳子が作ったものだった。
何も細工のされていない縦10センチ横18センチの真っ新な木箱と彫刻刀、そしてビニール袋に個包装された金メッキのオルゴールメカを配られた日を里佳子は今でも覚えている。
教室に差し込む陽射しの暑さが日に日に増してゆく。同時にもうすぐやってくる夏休みへの期待感も膨らんでゆく。そんな日だった。
里佳子は慣れない手つきで彫刻刀を握った。慣れないながらも器用に花びらを木箱に彫ってゆく。
木箱の縁取りは大きめの花びらで埋めて、木箱の中央にいくにしたがって少しずつ花びらを小さくしていく。花びらのグラデーション。
という工夫を思いついた時、里佳子は楽しくて楽しくて仕方がなかった。夢中になって花びらを彫っていった。あの時の喜びが今の仕事の原体験になっているのだろう。
里佳子は服飾デザイナーをしている。
二十数年前に木箱に取り付けられたオルゴールメカはとっくに寿命が切れてシリンダーは動かなくなっていた。ショパンの『別れの曲』をはじく事はもうない。
そのオルゴールだった木箱の中に、あのネックレスが有ったのだ。
里佳子が愛した三人の男たちの中で一番付き合いが長く一番古い男から貰ったネックレスだった。
里佳子が覚えている浩一郎との最初の思い出と、浩一郎が覚えている里佳子との最初の思い出は時期が少しずれている。
浩一郎の思い出は小学四年生の頃。友達数十名とかくれんぼをした時に小学校の東校舎一階と二階をつなぐ階段下の空きスペースに里佳子と二人で隠れていた。それが一番古い記憶だと言う。
里佳子の記憶はそれから二年後、小学六年生の夏休み前のあの日にあった。
木箱に彫られた花びらに色を塗りニスを塗ったあと里佳子はオルゴールメカの取り付け作業をした。
直径五ミリの皿ネジをドライバーで捩じ込んで金メッキのオルゴールメカを木箱の底に固定する。その作業に悪戦苦闘していた。箱の底にいくつかネジ馬鹿を作ってしまい、これ以上不要な穴が増えるとオルゴールメカを取り付ける場所が無くなってしまう。という状態に里佳子は焦っていた。
その時。
かして。
そう言って里佳子からドライバーを取り上げて数分でオルゴールメカを取り付けたのが浩一郎だった。
その時の太陽の光りと窓枠の影のコントラストが浩一郎の小さくて逞しい手の甲に映っていた事を里佳子は覚えている。
里佳子はかくれんぼの事は覚えていなかったし、浩一郎もオルゴールの事は覚えていなかたった。
初めて二人が身体を重ねた夜、その出来事を話してお互いに笑い合った。
なぜ浩一郎と別れたのか。
里佳子は一から十まで理路整然と説明できる。でも浩一郎に対する想いを、感情を言葉にすると、そこに意味を持たせると本当の理由から遠ざかっていく気がする。
本心を言葉の嘘で塗り固めてしまうような気になる。
ネックレスをゴミ箱に投げ捨てたあの日。一人で浴びるように何杯もビールを飲んだ。六缶目の缶ビールを飲み干した時、里佳子は泣きながらネックレスをゴミ箱から拾いオルゴールだった箱の中に大切に仕舞い込んだ。
そして、そのオルゴールを鏡台の引出しの奥へ押し込んだのだ。
その事を里佳子が思い出す事は生涯なかった。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
