短編【明日は昨日のニ日後】小説
「あの、夏菜」
「なに?」
「実は来週……」
「仕事?」
「うん。出張で岩手の工場に」
「休み、出してたんじゃないの」
「そうなんだけと……」
「いいよ。仕方ない。瑞穂と行くよ」
「申し訳ない。瑞穂ちゃんによろしく。この埋め合わせはーー」
この埋め合わせはー。何度この言葉を使ったのだろうか。
一ヶ月も前から計画していたタイ旅行の約束を反故にしてしまった。夏菜は怒ることもなく拗ねることもなく一瞬視線を落としただけで、すぐに話題を変えてくれた。
夏菜が約束をたがえた事は一度もない。破るのはいつも僕だ。
どんな事があっても夏菜は僕の味方だった。
「バイト辞めて就職しようと思うん」
「小説は?」
僕の言葉が終わるのを待たずに夏菜は言った。小説はもう書かないの。夏菜の口調は心残りで寂しげだった。
二十三年前、僕は小説家として世に出た。処女作の【シャリオン幻想記】はそこそこヒットしたが後が続かなかった。二十三年間の作家生活で単行本一冊と短編集を二冊出しただけで、もう十年前から本は出してはいない。作家と呼べる境遇ではなかった。
恋人の夏菜は一回り以上歳下で、そのせいか僕に対して怒ったのは一度しかなかった。
昔、付き合っていた女性から誕生日に桜餅を貰ったという、ちょっとした惚気話をした時にあからさまに機嫌を悪くした。夏菜が本気で怒ったのは、その一度きりだった。
誕生日に桜餅だけプレゼントするなんておかしい。私だったら、もっといい物をプレゼントする。何が欲しい?と言う夏菜に。
「別に要らないよ。夏菜が居ればいい。夏菜は何が欲しい?」
と、逆に質問をすると夏菜は、貴方が書く新作の小説が
「欲しい。書くって約束して」
と言った。
もう、小説には未練はないはずだったのに。僕は文章配信サイトnoteに仕事の合間を縫って小説を書き始めた。タイトルは【明日は昨日の二日後】
そのタイトルに全く意味はない。題名なんて、どうでもよかった。
大学在学中に盗作をしてまで小説家になった男が夢半ばで朽ちてゆく。そんな自虐的な自伝小説を書き始めたー。
もうすぐ盛岡に着く。東北新幹線に乗って東京から二時間弱の旅だった。夏菜はもうタイに出発しただろうか。向こうは七時間の旅だ。今頃、親友の瑞穂ちゃんと僕の陰口で盛り上がっているだろう。
noteに書いた【明日は昨日の二日後】は書き上げて一週間が過ぎていた。スキの数も順調に伸びている。
スキ、というのは文章配信サイトnote特有の評価システムのことで、note内で配信された文章が面白ければハートマークのスキを一票送り、その記事を評価することが出来る、というものだ。
そのスキの数に自己満足感を満たした僕はnoteのアプリを閉じようとした。ちょうどその時、note編集部からコメントが入った。
僕はそのコメントを何度も何度も読んだ。
そこには、気まぐれで応募した小説【明日は昨日の二日後】が『note創作大賞』の最優秀作品賞を受賞したとの旨が書かれていた。
いつも約束を破ってばかりの僕だけど。
今回こそは夏菜との約束を守れそうだ。
