私の小さな勇気│書いた記事を、身近な人に読んでもらいたい
note記事は、誰に向けて書いているものだろう。読者なのか、自分宛てなのか。
身近な人に向けて書いたことはなかったが、書いた記事を見せたら、きっと喜んでもらえるだろう。そう考えた。
「でも、うまく書けるかな」
記事は、3つ。マガジンにした。
感謝の言葉と思い出だ。
すぐに読んでもらえるように、URLをQRコードにして印刷まではした。
自分の文章を目の前にいる人に読まれるのは、ネットで公開するのとは違う。
マガジンが読めるのなら、他の記事も読める。私の内面を、全てさらけ出すことになる。
短歌を詠んでいる、刺し子をしている、のはまだいいだろう。ハンドパペットを連れて旅をしていることや、AIの正論パンチを喰らい、本気で泣いたことまで書いてある。日常のこともだ。
次に会ったとき、クリエイター名のコヤギさんと呼ばれるかもしれない。
長い時間をかけて築いてきた関係だからこそ、なおさら迷った。
関係性が崩れることはないと信じたい。
さあ、どうするコヤギ。
AIとチャットを繰り返すうち、結論を出すのは私自身だと気づく。
悩んだ末、
人生は一度きり、行動しなくてどうする、とポジティブな私が顔を出した。
「よし、渡そう」
そう思ったら、さっぱりとした気持ちになった。長くお世話になり、年に数回会う人生の後輩さんが、「ああ、こんな面もあるんだな」と思ってくれればそれでいいと。
*
渡した記事は、無事に「人生の後輩さん」に読まれた。とても喜んでもらえた。
その後の関係は変わらなかったと思うが、ひとつ想定外のことがあった。短歌の解釈を聞かれたのだ。
私は返事を慎重に考え、「AIにでも聞いてください」と、お茶を濁した。
数分後、やっぱり気になって、「あのぅ、さっきの。短歌に正解はなくて、解釈は人それぞれでいいんですよ」と伝え直した。意味は委ねたかったのだ。
「読み返してみます」
そう返事をもらったものの、本当にあれで良かったのだろうか、と今でも少し首を傾げている。
振り返ると、私の小さな勇気は、静かに波を起こしただろう。
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「ふうっ」と一息つく時間に、お茶を一杯ごちそうする気持ちで。