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世界が壊れたあとで|第3章:聖地巡礼――天空のチベットで出会った、祈りという光

【前回のあらすじ】
アメリカで目撃した同時多発テロという「世界の崩壊」。その衝撃を抱えたまま帰国した私を待っていたのは、あまりにも静かな、そして残酷な「個人の崩壊」だった。今回の物語では、前章までの暗く張り詰めた地下室のような絶望から、物語は一気に、世界の屋根と呼ばれる高地へと舞台を移す。


今から20年ほど前、 私は「リタン(理塘)」という未知の地へ足を踏み入れた。チベットに行くきっかけとなったのは、総本山金剛峯寺の得度式で留学僧(現在の兄弟弟子)に出会った「縁」に端を発する。

兄弟弟子との不思議な縁は今も続き、初めて訪れたリタンでの記憶は、私の心の中に深く静かに刻まれている。

四川省の成都から車を走らせ、リタンを目指した。早朝まだ薄暗いうちから西へ、さらに西へ。太陽がゆっくりと辺りを照らし始めると、遥か遠くに万年雪をたたえた山々が浮かび上がってきた。道は次第に急な勾配や曲がりくねった悪路に変わり、私は高山病特有の激しい息苦しさを覚え始めた。

沿道には、タルチョー(祈祷旗)が風になびいている。老若男女、大人から子どもまでが、経文や真言(マントラ)の刻まれた「マニ車」を回し、祈りを捧げていた。その響きは、砂漠に降り注ぐ慈雨のように、私の心にそっと寄り添い、潤してくれた。

巡礼者たちは五体投地を繰り返す。砂埃の舞う硬い地面に全身を投げ出し、額を地につけ、じっと祈る。その姿は、凝り固まっていた私の心を少しずつ解きほぐしていくようだった。

それは、「信仰」という言葉が、観念ではなく、生々しい「命の営み」として眼前に現れた瞬間だった。

彼らは何を願い、何のためにここまで身を削るのか。その問いかけは、親友を救えなかった自分自身への問いでもあった。

そんなある日、一人の少女と出会った。

彼女はまだ十歳にも満たない年頃だった。しかし、生まれつき目が見えなかった。

少女は祖母に手を引かれながら、小さなマニ車を胸の前で大切そうに回していた。私は思わず、その姿に目を奪われた。険しい山道にもかかわらず、彼女は一歩一歩、大地を確かめるように力強く歩いていた。

やがて彼女は、私の存在に気づいたように顔を上げ、ゆっくりと微笑んだ。

不思議だった。

彼女の瞳は光を映していないはずなのに、その笑顔は、私がこれまで見てきたどんな景色よりも明るかった。

祖母は穏やかな声でこう言った。

「この子は毎日、“世界のみんなが幸せになりますように”と祈っているんです」

私は言葉を失った。

なぜ、この子が――。

その瞬間、胸の奥に長い間凍りついていた何かが、音を立てて崩れていくのを感じた。

私はずっと、「なぜ救えなかったのか」という過去ばかりを見つめていた。失った命、自責の念、取り返せない後悔。その闇の中で、自分自身もまた、生きる意味を見失っていた。

しかし、その少女は、絶望の中にあってなお、他者の幸せを祈っていた。

その祈りは、言葉ではなく、生き方そのものだった。

別れ際、少女は私の手をぎゅっと握り、小さな声で「オン・マニ・ペメ・フーム」と唱えた。

それは、観音様の「六字真言(ろくじしんごん)」だった。

「この世のすべての生きとし生けるものが、苦しみから解放されますように」――その短い響きには、そんな深い願いが込められている。
それ以来、私がその真言を口にするたび、不思議と彼女のぬくもりがすぐ傍によみがえる。

あの天空の大地で出会った祈りは、今もなお、私の心の中で静かに生き続けている。

標高四千メートルを超えるリタンの空は、今にも吸い込まれそうなほど深く澄み渡っていた。肺の奥まで入り込む空気は冷たく鋭い。それでも、その時の私は、初めて心の奥に小さな温もりが灯るのを感じていた。

「人は、どれほど傷ついても、再び光を見つけることができるのかもしれない」

そう思えたのは、あの少女の微笑みがあったからだ。

祈りとは何だろうか。

それは特定の宗教の儀式ではなく、人が他者の幸せを願う時に自然と溢れ出す、「慈悲」という名の呼吸なのだと、私は初めて肌で理解した。

この地もまた、過酷な運命を辿ってきた歴史がある。家族を失い、悲しみを背負いながら、それでも彼らは祈る。

「生きとし生けるものすべてが、幸せでありますように」

その祈りは、憎しみや悲しみの連鎖を断ち切る、「心の平和」そのものだった。

その時、まるで天から誰かがひそかに語りかけるように、一つの確信が胸に降りてきた。

「祈りとは、外にある何かに縋るものではない。それぞれの心の中にある、他者を思い、慈しみ、尊ぶ、純真な心そのものなのだ」と。

このリタンでの体験は、私の中に散らばっていた「天」と「光」という二つの感覚を、一つの確信へと結びつけてくれた。

「天」とは、すべてを包み込む慈悲の広がりであり、「光」とは、自らの内にある仏性を呼び覚まし、他者を照らす力。

この不毛と思えた大地に、確かに奇跡は宿っていた。

私が授かったのは、単なる旅の記憶ではない。

それは、絶望の果てで再び見出した、微かな、けれど揺るぎない「生きる決意」そのものだった。

(第4章:嵐の遍路道で見つけた「祈り」――母の死と宿命の導き につづく)※全5回、約1万文字の物語です。

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