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選択のパラドックス

私たちは今、長い人類の歴史の中でも考えられないほど多くの選択肢を持つ時代を生きている。
人は「足りないこと」を嘆き、「多くを持つこと」が幸福だと考えがちだが、果たして本当にそうなのだろうか。

私は朝鮮半島情勢に強い関心があり、特に脱北者の方々の体験記をよく読む。
その中でも印象に残っている話がある。
北朝鮮の強制収容所で生まれ育ち、二十歳を過ぎて脱北し、韓国に渡ったある男性の言葉だ。

「韓国では、何にも縛られず自由に過ごせている。けれど、あまりにも制約が無さすぎて、何をしていいのかわからず、途方に暮れることがある。
収容所にいた頃は、毎日決まった時間に命じられたことをしていればよかった。
何も考えず、それさえやっていればよかったから、その意味では生活がしやすかった。」

その言葉に、自由というものの本質が垣間見える気がした。
自由とは、自分でコントロール出来なくなった場合、時に苦痛を伴うものなのかもしれない。

私は、人間にとっての真の幸福とは、「今、ここに生きている」という実感を持てることではないだろうかと思っている。
尽きることのない選択肢を追い求め、選べなかった事を後悔する。この選択のパラドックスは、私たちの“今ここ”を麻痺させ、自分が真に求めている事や考えている事見失わせているように思う。

だが、選択肢が多いこと自体は悪いことではないとも思う。
それによって人生が豊かになり、幸福感が高まる側面も確かにある。

ただ、現代はあまりにもノイズが多い。
特にスマートフォンの登場によって、24時間365日、情報と選択の嵐が吹き荒れている。
その結果、私たちは「今ここ」をやめ、幸福感を失っているのではないか。


私はスマートフォンが好きではない。便利ではあるし、相当恩恵を受けている事は間違いないのだが、自分の人生を吸い込まれている気がして嫌なのだ。

外出したり、食事にいったり、誰かと遊んでいる時や、イベントの時など、現代人はスマホを手に持ち、画面越しにそれを楽しんでいる事が多いのではないだろうか?

果たしてそれは本当に今起きている出来事を楽しめているのだろうか?スマホで動画や写真を撮る事が悪いわけではないが、それによって意識が今ここから少し遠ざかる気がする。

動画やゲーム、SNSなどはもっと意識が遠ざかる。

以前に書いた記事で述べているが、人はスマートフォン普及により、遠くのものばかりを見るようになり、近くの現実や幸せに気がつかなくなったように思う。


情報や選択の量を意識して制限し、その中でベストな選択をする。
これが現代を生きる私達に必要なスキルであり、選択のパラドックスを乗り越えるのに最適な方法ではないかと思う。


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