20.森にいないはずの黒猫
森の中でハヤトはふと足を止めた。
風でもない、木の軋みでもない。もっと軽い、小さな音。枯れ葉がふわりと押しのけられるような、──生き物の気配。
「……誰か、いるの?」
森は答えない。けれど、何かがこちらを見ているような感覚だけが残った。
ゆっくり顔を上げると、倒木の上に小さな影があった。黒い毛並みが光を吸い込むように暗く、その中心だけが金色に光る瞳。
猫だった。
ただ座っているだけの黒猫。それだけのはずなのに、ハヤトの胸には言葉にならないざわめきが広がる。怖さではない。ただ、森のどこにも属していない何かが、そこにいるような感覚。
ハヤトは拾った小枝の束を地面に置き、そっと一歩近づいた。
そのとき、黒猫はするりと倒木から地面へ降りた。足音はない。影が落ち葉の上を滑るように動く。
猫は逃げない。ただ尾をゆっくり揺らしながら、木漏れ日の中でこちらを見ている。
「……迷子?」
猫は答えない。けれど、ほんの少し首をかしげる仕草が、まるで「違うよ」と言っているみたいだった。
ハヤトはもう一歩近づく。
「森の子……じゃないよね」
その瞬間、空気がわずかに揺れた。森の湿った匂いの中に、ほんの一瞬だけ知らない場所の気配が混じる。
ハヤトがその違和感を掴もうとしたとき、黒猫はふいっと背を向けた。足音もなく、影が森の奥へ滑っていく。
呼び止めようとして、ハヤトは息を呑む。
「……変だな」
一瞬、目を離しただけなのに、黒猫の姿はもうどこにもなかった。
ハヤトは枝の束を抱え直し、深呼吸した。穏やかな森の午後に、ひとつだけ説明のつかない記憶が残る。
後になって思い返しても、あの黒猫は森とは少しだけ違う匂いがした。
──これが、ハヤトと黒猫との最初の出会いだった。

ハヤトの違う日をのぞく⬇︎
