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21.名を残した黒猫

森の中でハヤトはふと足を止めた。

歩き慣れたはずの道なのに、今日は少しだけ足取りが遅い。

「……こないだの、猫って……」

森で出会った、不思議な黒い猫。

見間違いだったのかもしれない。
そう思いながらも、気づけばあの日と同じ方角に足が向いていた。

しばらく進むと、例の倒木が見えてくる。
前に、黒い影が乗っていた場所。

今日はもう、いないだろう。

そう思ったとき、視界の奥に黒い輪郭が浮かび上がった。


「……いた!」

黒猫が、そこにいた。

同じ黒。
けれど前より、輪郭が少し曖昧だった。

光は当たっているのに、
どこか遠くにいるみたいに見える。

猫はじっとこちらを見ている。
警戒しているわけでもない。
近づいてくるわけでもない。

ただそこに「いる」だけなのに、森の空気がほんの少し重くなる。
ハヤトは前と同じ距離で立ち止まった。近付きすぎると、何かが変わってしまいそうだったから。

「……また、会ったね」

猫は答えない。
ただゆっくり尾を揺らす。

やがて倒木からするりと降り、森の奥へ歩き出した。

その動きに合わせて首元の毛がわずかにずれ、何かがキラリと光る。

「……首輪?」

ハヤトは思わず一歩踏み出した。
枯れ葉が、ぱり、と小さく鳴る。

その音を聞いたのか、猫はふいっと背を向ける。そして消える前に、ちらりとこちらを振り返った。

首輪の少し下。
毛に隠れた場所に、小さな文字が光っている。

KIKI

「……キキ」

声に出した途端、胸の奥が少し落ち着いた。

理由はわからない。
けれど名前があると、それだけで少し近くなる。

「キキ!
きみ、キキって言うんだね!」

猫は何も答えない。

「待って!」

「行かないで!」

伸ばしかけた手が、空を掴む。

黒猫は音もなく向きを変え、気配だけを残して森の奥へ溶けていった。

倒木の上には、最初から何もなかったみたいに苔の緑だけが残る。

ハヤトはその場に立ち尽くしたまま、胸に残った感覚を確かめた。

(名前……あったんだ)

風が木の葉を揺らす。
その音に混じって、森の奥で小さく枝が鳴った。

まるで──
森のどこかで、その名前を覚えたみたいに。



ハヤトとキキが初めて出会った日⬇︎




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