17歳の下宿部屋に、アメリカの風が吹いた──Native Son『Coast To Coast』
記憶の針を落とす Vol.11
下宿部屋で聴いた、アメリカの風
冬の夜、下宿の薄い壁の向こうから、
誰かの部屋のレコードがかすかに鳴っていた。
知らない街、慣れない暮らし、
心細さの隙間を埋めるように、音だけがどこまでも自由で、温かかった。
針を落とすと、アメリカの風が狭い部屋に流れ込んでくる。
→ あの冬の“アメリカの風”が、そのまま残っている一枚
まだ行ったこともない遠い世界の匂いと、
17歳の自分が見ていた冬景色が、そっと重なり合う。
Native Son『Coast To Coast』は、
あの頃、世界と自分をつないでくれた“音の窓”だった。
わずかな灯りと、回るレコードの黒い円。
そのすべてが、あの日の部屋をいまも静かに呼び起こす。
1980年という年の空気
1980年、私は高校2年生。
両親の転勤をきっかけに、初めて家を離れて暮らした。
同じ下宿には、同学年の5人がいて、
それぞれの部屋から絶えず音楽が流れていた。
廊下を挟んでドアを開ければ、
どこかの部屋ではボズ・スキャッグス、
階下の部屋ではクリームやクイーン。
お互いの部屋を行き来しては、
自分の知らない音を、教えたり、教えられたりしていた。
今から思えば、勉強よりも、
音楽のほうがずっと真剣だった気がする。
音楽が「止まった」年
私個人の環境の変化もあったが、
音楽の世界でも1980年は特別な年だった。
年初、ポール・マッカートニーが来日直後に拘留され、
“日本で音楽を鳴らせなかった”。
年末、ジョン・レノンが凶弾に倒れ、
“世界から彼の音楽が奪われた”。
ひとつの時代が始まろうとした矢先に、
ビートルズの時代が完全に幕を下ろした。
ビートルズ再結成の夢が完全に絶たれた年だった。
世界へ向かう日本の音
その一方で、YMO は海外ツアーを成功させ、
日本のミュージシャンが自国から世界を視野に入れ始めた。
音楽が国境を越えて行き来し、
ジャンルが混ざり始めた――そんな“転換点の年”だった。
そんな時代背景の中で発売されたのが、このアルバム、

あの下宿の部屋で針を落とす
出会いは、下宿仲間のひとり、ジャズ好きの友人の部屋だった。
当時の私はブルースやソウル、R&Bといった黒人音楽に傾倒していたが、
同じ黒人音楽でも“ジャズ”は完全に別世界だった。
70年代の終わり頃から、
ジャズ・ミュージシャンがロックのアルバムにゲスト参加したり、
逆にロック・ミュージシャンがジャズの要素を取り入れたりする
“越境”が始まっていた。
最初はクロスオーバーと呼ばれ、
やがて“フュージョン(融合)”という言葉が定着していく。
日本のFUSIONが世界と肩を並べた時代
当時、日本のジャズ・シーンでも“FUSION”の波が一気に広がっていた。
渡辺貞夫『California Shower』、
高中正義『JOLLY JIVE』、
カシオペア『CASIOPEA』、
そしてスクェア(のちのT-SQUARE)『Lucky Summer Lady』
当時の音楽ファンなら誰もがメロディーが浮かんでくるだろう。


彼らは海外の Weather Report や Crusaders に触発されながらも、
日本人独自のメロディ感覚と緻密なアレンジで、
世界に通用するサウンドを築き上げていった。
Native Son の『Coast To Coast』は、まさにその波の中心にあった。
“日本のフュージョンが世界でどこまで通用するか”――
その問いに正面から挑んだアルバムだった。
この“融合”は日本のポップスにも波及し、
山下達郎や大滝詠一らがジャズやソウル、R&Bを吸収して
CITY POP という都市型サウンドを生み出していった。
近年、この CITY POP が海外で再評価されているニュースを目にするたびに、あの時代の熱気と自由さを思い出す。
LIVE盤の熱――“部屋で聴くアメリカ”
――話を戻そう。
ジャズ好きの友人の部屋には、
ソニー・ロリンズやトム・スコット、クルセイダーズやウェザー・リポートなど、私の知らないレコードがずらりと並んでいた。
その中の一枚が、この『Coast To Coast (Live In USA)』。
おそらく発売されて間もない頃だったと思う。
「Native Son(ネイティブ・サン)」は、ジャズ/フュージョンを基盤としながら、ファンクやブギー的要素も交え、他のグループとは一線を画した演奏スタイルで知られたグループ。

日本を代表するジャズ・ピアノの実力者、山下洋輔をして「荒ぶる神」と言わしめた本田竹広(竹曠)のローズピアノと峰厚介の日本ジャズ・シーンにおいて「モダンジャズ/フリージャズ」から「クロスオーバー・ジャズ/フュージョン」への橋渡し的な存在と評されるサックスを核として1978年に結成された。
そして――針を落とす。
1曲目 Wind Jammer
観客の拍手、MCの声、ステージのざらついた空気。
サックスとトロンボーンが風を切るように鳴りはじめ、狭い下宿部屋が一気に広く感じられた。
→ あの日の空気が、いまもそのまま立ち上がる
外は1月の冷たい風。
窓から見える冬景色とレコードの中の“アメリカの風”が重なっていた。
見えない距離の向こうで鳴っているはずの音が、なぜか自分の部屋の中に流れ込んでくる感覚があった。
4曲目 Savanna Hot-Line
ネイティブサンの代表曲の一つ。
そしてこのアルバムのハイライトで12分を超える長尺テイク。
タイトルの通り、熱気を帯びたグルーヴ。
サックスとキーボードが交差し、
南風のようなベースが揺れる。
大出元信のギターソロは何度聞いても名演。
まだ海外旅行などしたことがない高校生の私たちにとって、
その音は“世界”そのものだった。
9曲目 Super Safari
アルバムを締めくくる曲。
当時カセットテープのTVCMに使われていた曲。
イントロからリズム隊が疾走する。
友人はボリュームを上げ、スピーカーの前でエアドラムを叩いた。
私は当時弾いていたベースギター持ち出し、必死で合わせた。
ロックやソウルではない、
ヴォーカルのない音楽でもこんなに乗れることを知った。
窓の外には雪がちらついていたけれど、
音の中はサファリのように熱かった。
観客の歓声、サックスの高鳴り、ドラムの一撃。
最後の音が止んだ瞬間、
部屋の空気がすっと静まり返った。
ネイティブサンの音は、
アメリカのライブハウスで鳴っていたけれど、
私にとっては、あの下宿の一室で聴いた冬の夜の記憶そのものだ。
エピローグ ― 時を越えて鳴る音
あれから何十年も経った。
部屋も仲間も、それぞれの時間の中に散っていった。
けれど、あの夜の音だけは、今でもどこかで鳴り続けている気がする。
キーボードの本田さんは2006年に心不全で亡くなってしまった。
享年60歳。
私もその年になっている。
最近、久しぶりに『Coast To Coast』を聴き直した。
最初の拍手が響いた瞬間、
あの冬の空気がふっと蘇った。
ストーブの灯り、レコードの匂い、ステレオの赤いランプ、
そして友人の横顔。
あの頃、音楽を聴くということは、
もっと身体的で、もっと祈りに近い行為だった。
針を落とすたびに、
世界が少し広がり、
自分がどこかへ運ばれていくような気がした。
ネイティブサンの音は、今聴いても瑞々しい。
風を巻き込み、都市を駆け抜け、
そしてどこか懐かしい夜の匂いを残していく。
“Coast To Coast”――
その言葉は、遠いアメリカと、
あの下宿の一室をつなぐ“見えない線”のように感じる。
今日もまた、ゆっくりと針を落とす。
盤面の上で回る黒い円の中に、
過ぎ去った時間と、今の自分が重なって見える。
音楽は、記憶の中でも生きている。
それを確かめるために、私は今日も針を落とす。
💿 追記:
『Coast To Coast (Live In USA)』は、
1980年に録音されたネイティブサンのライブ・アルバム。
現在(2025年時点)では主要配信サービスでの配信は確認されておらず、
CD再発盤(JVC/VICJ-77071) のみで入手可能。
また、公式な配信がされた場合には、この欄でご報告します。
※本記事はアフィリエイトリンクを含みます。
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