文明とは、時間を省略することなのか
音と記憶の間に― ひとりごとの記録 71
築地から、職人が消え始めている
仕事の都合で築地に行った。
相変わらず、世界各国からの観光客で賑わっている。
市場が豊洲に移って、もう8年。
それでも「TSUKIJI」という名前は、まだ観光地として機能している。
看板というのは、なかなか優秀だ。
昔は、たまに飯を食いに来る場所だった。
ラーメン、あじフライ、寿司。
どれも「日常の延長」にあった。来ればちゃんと満たされる。
手頃な値段でちょっとだけ贅沢できる場所だった。
今は違う。
印象的なのは、寿司屋が減って、海鮮丼屋が増えていることだ。
主役は海鮮丼に移り、値段は数千円。
中には1万円を超えるものも珍しくない。
円安もあって、海外から来た人には、それが特別に高いとは感じられないのかもしれない。こちらが戸惑っているあいだに、相場だけが先に動いている。
寿司は、本来、職人の仕事だった。
客の前に立つまでに10年かかると言われてきた。
一方で、海鮮丼は違う。
材料とマニュアルがあれば、昨日入ったアルバイトでも、見た目の整った一杯は作れる。むしろ、見本に忠実であるぶん、安心感さえある。
職人がいなくても困らない食べ物が、いつの間にか日本を代表する顔になっている。そしてこれは、食べ物だけの話ではない。
オーダースーツの店も減っている。
仕立屋という職業は、いつの間にか「選択肢のひとつ」になっていた。
用意された生地、決められた形、あらかじめ用意されたサイズの中から、自分に合うものを探すという選択肢に。
昔はそれを「既製品」と呼んでいたが、今はそれが標準になった。
技術がなくなったわけではない。
ただ、それを必要とする場面が、少しずつ減っている。
必要なのは、「うまいもの」よりも、「説明のいらないもの」なのかもしれない。見た目で判断できて、誰が作っても同じ。
そのほうが、話が早い。
写真も、アプリひとつで、光も色もきれいに整う。
デザインも、テンプレートを選べば、見栄えのする形にはなる。
音楽も、最初から用意された音を並べれば、曲らしく聴こえる。
そしていつの間にか、人と人との付き合い方までもが、テンプレート化していく。「タイパ」の名のもとに、相手の面倒な部分を避け、都合の良い瞬間だけを選び取るような関係。
技術が失われたのではなく、技術を"待つ"人が減っただけだ。
つまりこれは、「時間をかけて積み上げる工程」を、省略していく流れだ。
もしそれを文明と呼ぶなら、文明とは、時間の消費を減らしていく仕組みなのかもしれない。
こうした便利さの先に、どんな未来が待っているのか。
たぶん、それも見本のように、わかりやすく並べられているのだろう。
きちんと並んだ切り身の向こうには、本来そこにあったはずの時間が、そっと省略されている。その省略に、いまのところ誰も困ってはいない。
けれど、それが当たり前になったとき、失われたものの名前さえ、残らなくなるのかもしれない。
すべてが手際よく省略されていくこの街で、せめて私は、あの職人が一瞬に込める時間の深みを、忘れずに覚えておきたい。
便利になることで、仕事の中にあった時間や手触りが消えていく。
そんなことを、制作の現場についても書いています。
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この文章の背景にある、仕事と記憶の出発点については、
こちらにまとめています。
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