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音楽がティーンエイジャーの文化になった時


記憶の針を落とす Vol.19 



音楽は、最初から“ポピュラー”ではなかった。

──ポピュラーミュージック(POPS)

この言葉が意味してきたものを、私は長く音楽と関わる中で理解してきたつもりだ。けれど、年を重ね、音楽が生活の中に自然に溶け込んでしまった今、ふと立ち止まりたくなる瞬間がある。

“自分にとってのポピュラーミュージックとは、何だったのか?”

音楽が遠かった時代のこと。
部屋に流れ込んできた最初の音のこと。
そして、いつの間にか自分の人生の一部になっていたこと。

今回はそんなお話し。


「POPS」とは何?


現在、当たり前のように使われている「POPS」と言う言葉。
直訳すれば “大衆音楽”となる。

流行歌。ヒット曲。街で誰かが口ずさむメロディ。
たしかにどれも正しい。
けれど本質は、もっと人の生活に近いところにある。

“音楽が暮らしの中に入り、誰かの記憶に刻まれていった瞬間の積み重ね”

それこそが、ポピュラーミュージックの正体だと私は思う。

そんなことを考えるのは、最近ふと、若いころに初めて部屋に流れ込んできた“あの音”を思い出したからだ。
ラジオのスイッチを入れた瞬間に、世界が少し広がった気がした。
あの感覚が、今も自分の中に残っている。


音楽は最初から“ポピュラー”ではなかった


音楽は、もともと誰かの生活の中から漏れ出た声だった。

Vol.3 でも書いたように、ブルースは労働者の嘆きや祈りから生まれ、安酒場や路地裏の匂いとともに鳴っていた。

そこには高価な機材も、産業としての音楽もない。

音楽は“限られた場所でだけ鳴る特別なもの”だった。
誰でも触れられるものではなかった。


“大衆”が誕生し、音楽の居場所が街へ広がった


19世紀末から20世紀はじめ。
工場が生まれ、人が都市に集まり、“マス(大衆)”という存在が初めてこの世に出現した。

すると音楽は静かに場所を移し始めた。

街角のブラスバンド。劇場前で歌う曲売りのメロディ。
酒場のピアノ。

音楽は少しずつ“街の音”になり、人の集まる場所で自然に鳴るようになった。

私が初めて“街の音”を意識したのは、仙台のアーケードで流れていた洋楽だった。
誰が流しているのかも分からないその音が、自分の世界の外側にまだ広い景色があることを教えてくれた。


技術が音楽を“暮らし”へ押し広げた


技術は音楽の居場所を決定的に変えた。

レコード、ラジオ、映画のサウンドトラック、
そして家庭用ステレオ。

Vol.10 でも触れたように、スピーカーの前に座って聴くしかなかった音楽は、やがて歩きながら、移動しながら聴けるものへ変わっていった。

技術は音楽を“高い場所”から下ろし、生活の手の届くところに置いた。


ティーンエイジャーが購買層になった瞬間、音楽は文化になった


ただ、技術だけでは音楽はポピュラーにならない。

1950年代のアメリカ。
朝鮮戦争による軍需景気が、労働者階級の家庭にも“使えるお金”を生み出した。

そのお金は、初めてティーンエイジャーの手に渡った。
週給数ドルの小遣いが、レコード市場を動かし始めた。

それまで音楽は“大人が買うもの”だった。
再生装置(ステレオプレーヤー)もレコード盤も高価なものだった。

ジュークボックスの曲リスト

しかしこの時代、子どもたちがレコードを買い、ジュークボックスにコインを入れ、コンサートにチケットを買って行くようになる。

その瞬間から音楽の中心は大人から若者へ、一気に移った。

ポピュラーミュージックは、“ティーンエイジャーが金銭的に支える文化”となったことでそう呼ばれるようになる。

音楽が文化になったのは、ティーンエイジャーが金を持った時だ。
そして、その裏側には、朝鮮戦争による思わぬ「副作用」があった。


子どもたちが金を出したとき、POPSが生まれた


もちろん、ロックンロール以前にも、大衆に聴かれる音楽はあった。
流行歌も、ジャズも、スウィングも、映画音楽もあった。
それらも広い意味では、ポピュラーミュージックだった。

しかし、現代的な意味でのPOPS、つまり若者が消費し、若者が支え、若者の感情を代弁する音楽文化は、ロックンロール以降に成立した。

まだ社会で働いているわけではない子どもたちが、親から渡された小遣いでレコードを買う。
ジュークボックスにコインを入れる。
ラジオに耳を傾け、気に入った曲を自分たちのものにしていく。

音楽はそのとき初めて、大人が与える流行から、若者自身が選び取る文化へ変わった。

その中心にあったのが、ロックンロールだった。

Bill Haley & His Comets

1954年。
Bill Haley & His Comets「Rock Around the Clock」

3つのコードと跳ねるビート。身体が勝手に動いてしまうリズム。

映画『暴力教室』で使われ、ラジオが繰り返し流し、全米がこの曲に揺れた。当時としては異例の600万枚以上を売り上げた。

黒人音楽でも白人音楽でもない。
そのどちらの要素も飲み込んだ“新しい音”。

この曲が、音楽を“大人の流行”から“若者自身の文化”へ変え、やがて“若者自身の表現”へ押し広げていく起点となった。

後に私もこの曲を聴いたとき、時代の匂いがそのまま音になっているように感じた。
1950年代を知らないはずなのに、なぜか胸の奥がざわつくような、奇妙な懐かしさがあった。


扉を押し広げたのが、エルヴィス・プレスリー


エルヴィス・プレスリー(1950年代)


ビル・ヘイリーが扉を開けたなら、その扉を全開にしたのがエルヴィスだった。

ブルース、カントリー、ゴスペル。
本来は異なる土壌で育ったそれらの音楽を、エルヴィスは理屈ではなく自分の身体でひとつに溶かし、歌そのものを若者の感情の器に変えてしまった。

スタジオで腰を揺らしながら絞り出される声は、鍛えられた技巧というより、内側から押し出されてくる衝動そのものだった。

エルヴィスが登場したとき、ロックンロールは“音楽”を越え、若者のアイデンティティそのものになった。


ロックンロールは“ロック”へ変わり、世界を照らした


The Beatles

その光はアメリカを越え、イギリスへ渡り、やがてビートルズに火をつける。

彼らはロックンロールを、単なる踊れる音楽から"ロック"という新しい思想へと変えた。
自分たちで曲を書き、自分たちで音を作り、複雑なコード進行を臆せず持ち込む。その一連の姿勢が、音楽を「演じるもの」から「表現するもの」へと押し上げた。

音楽の主体が“聴き手”から“作り手”へと拡大した瞬間だった。
そしてその光は海を越え、私が育った 地方都市 にまで届いた。


1970年代、地方都市の部屋にも“世界の音”が流れ込んできた


常に音楽がそばにいた


1970年代。私は仙台にいた。

洋楽は遠い存在で、ラジオが世界への細い窓だった。
FM放送がようやく広がり始めた時代でもあった。

同じような記憶を持っている人もいるかもしれない。

ビートルズはすでに解散していた。
けれど彼らが解き放った光は、まだ空気の中に漂っていた。

その光に続くようにして、スティーヴィー・ワンダー、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、クイーン、KISS……

世界中のアーティストが、それまでの価値観を次々と塗り替えるように新しい音を生み出していた。

新しい音楽がまるで洪水のように押し寄せてきたあの時代、その流れは確実に私にも届いていた。

GSブームがガレージの匂いを街角に残し、荒井由実が言葉と情景ごと更新した世界観を差し出し、大瀧詠一やはっぴいえんどが日本語でロックを鳴らせることを証明し、山下達郎たちが都会の光沢をポップスに封じ込めた。

それぞれがまったく異なる扉を開けながら、どれもあの時代の空気を吸って育った音楽だった。

アルバム単位で聴かれる音楽が、日本でも定着し始めた。
音楽は単なる流行やヒットではなく、“新しい世界の見え方”そのものだった。

ふと、武田鉄矢さんの言葉を思い出す。

「かぐや姫を聞いたとき、三畳一間の下宿が歌詞に出てきて、
これなら自分たちにも作れると思った。
でも荒井由実が出てきて、
‘ソーダ水の中を貨物船が通る…’ と聞いたとき、
この世界はもう作れない、無理だ、と本気で思った。」

武田鉄矢さんがテレビで語っていた言葉

この言葉が示す通り、ニューミュージックという音楽は、日本のポップスに“別の地平”を開いた。

それまでの延長線にはない、圧倒的な感性の跳躍。
情景そのものが音になった瞬間。

私が地方都市の小さな部屋で耳にしていたのは、まさにその“時代が変わる音”だった。

音楽は東京の文化だったはずなのに、それはいつの間にか私の小さな部屋にも流れ込んできた。
レコードの匂いと、窓を叩く風の音と、季節の匂いが混ざり合ったその空気ごと、メロディは部屋に染み込んでいった。
気がついたときには、音楽は私の人生の一部になっていた。

そしてこの経験こそ、「ポピュラーとは何か」を私に教えてくれた最初の"実感"だった。
音楽は、まず暮らしの中に入ってくる。
そして気がつけば、記憶の中に住みついている。
その二段階が揃ったとき、はじめて"自分のポピュラー"になるのだと思う。


音楽は「物語」から「風景」へ


ウォークマンはその関係を変えた。音楽は部屋の中だけで聴くものではなく、歩く速度や街の匂いと混ざり合うものになった。

そしてiPod以降、音楽はさらに個人の内側へ入り込んでいく。

技術の進歩というより、音楽が「外側のもの」から「内側のもの」へ移動した、ということだと思う。


ポピュラーが“ポピュラー”であるために


ポピュラーミュージックとは、チャートや売上のことではない。
誰かの日常の中に入り、その人の「習慣」や「呼吸」になること。

ブルースが働く人の嘆きとともに生まれたように、
ロックが若者の衝動とともに跳ね上がったように。

音楽は常に“その時代の人々の生活に合わせて形を変えてきた”。

だからこそポピュラーは時代を映す鏡なのだ。



音楽が“個人の記憶”と結びついた瞬間、ポピュラーになる

→ その“最初の記憶”に戻れる一枚

ジュークジョイントのブルースも、家のステレオで聴いた名盤も、
ウォークマンで聴いた好きな曲も、iPod に詰め込んだ数千曲も。

どれも“その人の生活の中で特別な意味を持った瞬間、ポピュラーミュージックになる”。

それは流行ではなく、ランキングでもなく、記憶の中に刻まれる時間のことだ。





文中で触れた音楽の軌跡を、12曲の小さなプレイリストにまとめました。
文章を読み終えたあと、ゆっくりと余韻として聴いてみてください。

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✒筆者関連シリーズ

もし、筆者に興味があれば、こちらもご覧ください。
→「記憶の前で ― 入門篇」


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浅川幸三 | クリエイティブプロデューサー 共感でも、違和感でも。 何かが残ったなら、それで本望です。 サポートは次の一行のために。