侍50万人 vs 黒船艦隊1,000人──本当に「日本は怯えていた」のか?
世の中おかしい Vol.2
教科書で習う『黒船来航』
教科書の話は、だいたいこうだ。
「幕末、アメリカのペリー提督が四隻の黒船を率いて浦賀に来航。
鎖国を続けていた日本は時代に取り残され、
黒船に怯えて渋々開国した・・。」
おそらく今でも、この物語が一般的なイメージだろう。
本当にそうだろうか?
私は昔から、この話に違和感があった。
そしてある本をきっかけに、その違和感は確信に変わった。
当時のアメリカは「超大国」ではなかった
まず、前提をひとつ崩しておく。
当時のアメリカは、今のアメリカではない。
黒船がやってきたのは嘉永6年(1853年)。
独立してまだ80年も経っていない国。
ヨーロッパ列強から見れば、後発の“中堅国”に過ぎない。
たとえば1839年、
アメリカとカナダの国境で
イギリス人スパイが拘束される事件が起きる。
本来ならスパイは処刑されるが、
イギリスのパーマストン外相は
アメリカを脅した上、取り戻している。
「我々がその気になれば、ニューヨークでもワシントンでも灰にできる」
アメリカのビューレン大統領は、
泣き寝入りするしかなかった。
つまり──
「黒船=絶対的な強者」という前提自体が、後付けだ。
ペリーの「黒船艦隊」は太平洋を渡っていない?
ペリーの肩書きは「東インド艦隊司令長官」。
「太平洋艦隊」ではない。

黒船は、アメリカ東海岸を出発し、
大西洋、インド洋を経て浦賀にやってきた。
つまり、黒船は「太平洋を横断してきた」のではない。
そして、アメリカよりもイギリスやフランスなどの
ヨーロッパの大国の方が日本に近かった。

江戸には50万人の侍がいた
黒船来航の「戦力差」を冷静に見てみよう。
アメリカ公文書やペリー自身の回想録によれば、
初来航時のアメリカ艦隊はわずか4隻、
乗員は軍人以外を含めても約1,000人。
翌年の再来航でも、6隻・約1,800人規模にすぎない。
一方、江戸幕府の本拠地である江戸には約50万人の侍がいた。
旗本・御家人はもちろん、参勤交代で滞在する諸藩の家臣団を含む数だ。
侍とは、刀を帯びた“生まれながらの戦士階級”。
単なる市民兵ではない。
戦争とは、最終的に陸上で「その土地を制圧できるか」で決まる。
もし1,000人の米軍が50万人の武士のいる江戸に上陸したら。
考えるまでもない。
戦闘になった瞬間に殲滅されるだろう。
軍人にとって、戦う前に相手の戦力を見極めることは戦略の第一段階。
幕府の役人も武士であり、ペリーもプロの軍人だ。
この圧倒的な戦力差を理解していなかったはずがない。
実際、外交交渉の記録には、
岩瀬忠震らが 「やれるものならやってみろ」 と
強気の姿勢を示した言葉が残っている。
つまり幕府は、黒船に怯えていたわけではなく、
理性的に“交渉すべき相手”としてアメリカを見ていた。
では、なぜアメリカを受け入れたのか?
幕府は怯えていたのではない。
選んでいた。
当時、日本の周りには
イギリス、フランスという“本物”がいた。
清はすでにアヘン戦争で崩れている。
つまり状況はこうだ。
開国は避けられない。
だが、相手は選べる
だったらどうするか。
いちばんマシな相手を選ぶ。
それがアメリカだった。
それは「屈服」ではない。
戦略だった。
300年続いた政権が、
何も見えていなかったと思う方が不自然だ。
情報も、分析も、判断も。
全部やっている。
その上で「開国」した。
南北戦争と日本への影響
その後、アメリカでは南北戦争(1861~1865)が勃発。
皮肉なことに、日米和親条約で得た日本の銀が、
北軍の資金源の一部になった。
そして、戦争終結後に大量に余った軍服や武器が日本へ流入。
戊辰戦争では、旧幕府軍も新政府軍も西洋式の軍服に身を包み、
同じ銃と大砲で撃ち合うことになる。
その背後で、イギリスとフランスがそれぞれの陣営を支援していたのは、
もはや有名な話だ。

なぜ「黒船ショック」の物語が定着したのか?
「怯えていた日本」という物語が定着した。
その理由は2つ考えられる。
明治政府が徳川幕府を悪役にした
維新の正当性を高めるため、旧幕府を「無能な時代遅れ」と描く必要があった。戦後のアメリカコンプレックス
敗戦後、日本の学者たちがアメリカの記録やペリーの自伝を鵜呑みにし、黒船=圧倒的強者という物語を再生産した。
この2つが重なり、私たちの教科書に「怯える日本」のイメージが刷り込まれていった。
「黒船ショック」という幻想
歴史は事実ではなく、都合で編集される。
真実はもっと静かで、もっと戦略的だった。
幕府は怯えていなかった。
むしろ、冷静に世界を見据え、未来を選んだのだ。
一般に語られる「黒船ショック」説は、アメリカの蒸気船の威圧感や当時の日本の軍備の遅れを根拠としている。
実際、蒸気船の黒煙や大砲の音は、当時の人々にとって未知の恐怖でもあっただろう。
しかし、それは“心理的衝撃”であって“軍事的脅威”ではなかった・・。
歴史は、いつも書き換えられる。
そして私たちは、「教科書で習った」という理由だけで信じてしまう。
でも一度疑うと、見え方は変わる。
あなたが信じている歴史は、本当に“そのまま”だろうか。
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