円安か、円高か──どちらへ動いても政府が悪いのか
世の中おかしい Vol.14
2026年7月末、日本政府とアメリカ財務省は、急激な円安を抑えるため、協調して円買い介入を行った。
片山さつき財務大臣は8月3日の談話で、最近の円相場に見られた「過度な変動や無秩序な動き」に対処するためだったと説明し、今後も必要であれば、さらなる協調介入をためらわない姿勢を示した。
日本だけではなく、アメリカも円を買った。
日米が協調して円相場を動かそうとしたこと自体、異例の出来事だった。報道によれば、円は一時、1ドル163円台まで下落した後、協調介入を受けて急速に買い戻された。

急激な円安のあと、介入を受けて円が買い戻された。
円安が進むたび、ニュースでは政府や日本銀行の対応が問われる。
金利を十分に上げなかった。
財政への不安を招いた。
政府が円安を放置してきた。
さまざまな理由が並び、円安は政府の失策であり、日本経済にとって好ましくないものとして語られている。
ところが、かつて円高が進んだときにも、「輸出産業を守れなかった」、「国内の工場と雇用を海外へ流出させた」と、政府の責任が問われていた。
円安になれば政府が悪い。円高になっても政府が悪い。
為替がどちらへ動いても、結論は初めから決まっているのではないか。そんな報道や言説に触れるたび、私は違和感を覚える。
もちろん、政府や日本銀行の政策が為替に影響しないわけではない。しかし、為替は一国の政府だけが自由に動かせるものではなく、円安にも円高にも、利益を受ける人と負担を負う人がいる。
それを見ずに、目の前の不満をすべて政府の責任へ結びつけても、為替の本当の姿は見えない。円安か円高かという方向だけを見て、その都度、一面だけを切り取り、政府を批判する材料にしてはいないだろうか。
政府を批判してはいけないという話ではない。批判するにしても、まず円安と円高が誰にどのような影響を与え、政府に何ができて、何ができないのかを知る必要がある。
今回は、円安と円高のどちらが日本にとって得なのかをたどりながら、そのことを考えてみたい。
1ドル100円から150円になると、なぜ「円安」なのか
改めて、基礎的な話から一度見直してみたい。
1ドル100円だった為替相場が、1ドル150円になったとする。
同じ1ドルを買うために、以前は100円で済んだものが、150円必要になったということだ。
ドルに対する円の価値が下がる、これが円安だ。反対に、1ドル150円から100円になれば、円の価値が上がり、円高となる。

為替相場も、基本的にはほかの商品と同じように、売りたい人と買いたい人のバランスで決まる。
円を売ってドルを買いたい人が増えれば、円は安くなる。反対に、ドルを売って円を買いたい人が増えれば、円は高くなる。
日本銀行も、変動相場制では、為替相場は誰かが一方的に決めるものではなく、市場の需要と供給によって決まると説明している。
ただし、実際の為替市場は、それほど単純ではない。日本とアメリカの金利差、貿易による資金の移動、海外投資、政府や中央銀行の政策、将来への予想、投機的な売買まで、さまざまな要因が重なって変動する。
特に近年のドル円相場では、アメリカの金利動向が大きな影響を与えてきた。ただ、それだけですべての時期の円相場を説明できるわけではないことも、日本銀行の分析が示している。
円安を政府の失策だけで説明するのも、アメリカとの金利差だけで説明するのも、為替の一面しか見ていない。
円安で得をする人
1ドル100円のとき、アメリカで1万ドルを売り上げた日本企業が、その代金を円に換えれば100万円になる。
1ドル150円なら、同じ1万ドルが150万円になる。
海外での販売数量やドル建て価格が変わらなくても、円に換算した売上や利益は増える。このため、円安は一般に輸出企業の追い風とされる。
外国人から見れば、日本の商品やサービスも安くなる。1万円の商品は、1ドル100円なら100ドルだが、1ドル150円なら約67ドルで買える。日本への旅行費用も割安になるため、訪日観光客を呼び込む効果がある。
日本国内でつくった商品の価格競争力が高まり、海外へ出ていった工場を国内へ戻すきっかけにもなる。
しかし、工場は為替相場だけを見て移動するものではない。海外で部品を調達し、現地で生産し、その市場で販売する体制を整えた企業にとって、円安になったからといって、すぐ日本へ戻る理由にはならない。
かつての日本は、国内でつくった製品を海外へ輸出していた。いまは海外で生産から販売までを完結させる企業が増え、円安になっても、以前ほど日本からの輸出数量は伸びにくい。
一方、海外で得た利益を円へ換算した金額は、円安によって膨らむ。実際、海外売上の大きい企業にとって、円安は業績を押し上げる追い風になっている。
つまり、円安によって、輸出や海外事業の比率が高い企業の利益が増えても、それが国内の生産量や雇用の増加を意味するとは限らない。企業が得た利益を、設備投資や賃上げによって国内へどこまで戻すかは、別の問題になる。

円安で困る人
日本は、エネルギーや食料、さまざまな原材料を海外から輸入している。
同じ1ドル分の原材料を輸入する場合、1ドル100円なら100円で済むが、1ドル150円なら150円を支払わなければならない。
その影響は、まず電気代、ガス代、ガソリン代など、暮らしに欠かせない支出へ表れる。さらに、運送費や製造コストが上がれば、食品や日用品、外食、さまざまなサービスの価格にも広がっていく。
ここで、私がよく行く戸越銀座商店街の小さな中華料理店を思い浮かべてみる。
仕入れる食用油も、小麦粉も、多くが輸入品だ。円安が進むたびに、仕入れ値はじわりと上がっていく。
それでも、常連客の顔を思い浮かべれば、値上げには踏み切りにくい。結局、店主が身を削って帳尻を合わせる。
円安の負担というのは、こうして誰か一人の判断の重さに置き換わっていく。
円安による物価上昇が問題になるのは、円の数字だけが動くからではない。賃金の上昇が追いつかないまま、生活に必要な支出だけが増えるからだ。
今の日本で円安への不満が強いのも、そのためだろう。
円高になれば、暮らしは楽になるのか
円高になれば、海外から輸入するエネルギー、食料、原材料などを、少ない円で買えるようになる。
輸入企業の仕入れ負担は軽くなり、価格へ反映されれば、家計の負担も下がる。海外旅行へ行く人や、海外の商品を買う人にも有利になる。
その意味では、円の購買力が高まることになる。
しかし、円高になれば、日本の商品は海外から見て高くなる。
1ドル150円のときに1万円の商品は約67ドルだが、1ドル100円になれば100ドルになる。
日本企業がドル建て価格を変えなければ、円に換算した売上や利益は減る。価格を上げれば、海外で売れにくくなる。
そうなると、国内でつくって輸出するより、海外に工場を移して現地生産したほうが採算に合うという判断が生まれる。
円高で輸入品が安くなっても、その結果として国内の工場や雇用が失われれば、家計が豊かになるとは限らない。商品価格が下がっても、働く場所や賃金が失われれば、その恩恵を受けられない人が出てくる。
円安を「悪」、円高を「善」と決めてしまえば、国内の工場や雇用に及ぶ影響は見えなくなる。
1ドル360円が支えた高度経済成長
戦後の日本では、1ドル360円の固定相場が長く続いた。
今の感覚から見れば、極端な円安だ。
これは、日本の商品を海外から見て安くし、輸出産業の成長を支えた。
自動車、家電、鉄鋼、造船など、日本で生産した商品が海外へ売られ、その売上が企業の成長を支え、国内の賃金や設備投資にもつながった。
輸出によって企業が成長し、雇用が増え、所得が増えれば、国内で商品を買う人も増える。輸出の増加が、そのまま国内経済の成長へつながりやすい構造があった。
ただし、1ドル360円だったから、日本が高度成長できたわけではない。
若い人口、技術導入、旺盛な国内需要、設備投資、社会インフラの整備など、複数の条件が重なっていた。円安は、その成長を後押しした要因の一つだった。
1971年、アメリカのニクソン大統領がドルと金の交換停止を発表し、それまでの国際通貨体制は大きく揺らいだ。いわゆるドルショックが起こる。
固定相場制は維持できなくなり、日本も変動相場制へ移る。円は1ドル360円から、長い時間をかけて上昇していった。日本銀行の過去の説明でも、1971年以降、円の対外的な購買力が大きく高まったことが指摘されている。
プラザ合意で、何が変わったのか

プラザ合意後、円高はさらに加速した。
1985年9月、アメリカ、日本、西ドイツ、フランス、イギリスの五か国は、ニューヨークのプラザホテルに集まった。
そこで合意されたのが、ドル高を是正するための協調行動だった。
その翌年、私は上京し、六本木にある会社で働き始めた。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、1955年のドクが故障した部品を見て、「Made in Japan」と書かれているから壊れたのだと考える場面がある。それに対して、1985年から来たマーティは、最高の製品はみんな日本製ではないかと驚く。わずか30年の間に、日本製品への評価はそれほど大きく変わっていた。
その変化は、自動車にも表れていた。1970年代の二度の石油危機をきっかけに、燃費のよい日本車がアメリカで支持を広げ、1980年代には品質の高さでも評価されるようになった。日本車の販売が伸びるにつれ、GMやフォードなどの米国メーカーは、自国市場で厳しい競争にさらされていった。
さらに、アメリカが巨額の貿易赤字を抱えるなか、日本からの輸入増加は、貿易収支の数字だけではなく、自国の工場と雇用を脅かす問題として受け止められるようになった。
プラザ合意を受け、各国は協調してドルを売り、自国通貨を買った。円も急速に上昇し、日本企業の輸出採算は悪化していく。
企業は生産コストを下げるため、アメリカやアジアなどへ工場を移していった。海外生産には、輸送費を減らし、現地市場へ近づき、為替変動の影響を受けにくくする利点がある。
その一方で、国内の工場が移れば、部品を納めていた企業や周辺の雇用にも影響が及び、地域で生まれていた消費も失われる。
片山財務大臣も、過去の1ドル70円、80円台の円高によって、国外へ移転した産業を目の当たりにしたと述べている。
一度海外へ移った生産拠点は、為替が円安になったからといって、すぐ国内へ戻すことはできない。
円高によって輸入品を安く買えるようになった一方で、企業の海外移転が進み、国内の生産と雇用は縮小した。物価だけを見れば歓迎すべき円高も、工場や地域経済まで見れば、違う姿を見せる。
政府は円相場を自由に動かせるのか
円安が進むと、「政府はなぜ止めないのか」という声が出る。
新聞の見出しにも、その見方は表れている。
毎日新聞は社説で「円安進行で為替介入 対症療法では是正できぬ」と批判し、日本経済新聞も「政府と日銀は円安に真正面から向き合え」と対応を求めた。
円安が家計を圧迫している以上、政府や日本銀行の対応が問われるのは当然だろう。“政策への批判”は、メディアの重要な役割でもある。
ただ、過去を振り返れば、円高が進んだ時代には、「輸出産業を守れなかった」「工場と雇用を海外へ流出させた」と政府の責任が問われてきた。
円安なら放置した責任を問われ、円高なら産業を守れなかった責任を問われる。それでは、政府はどちらへ動かせば正解なのだろう。
為替によって実際に困っている人の声を伝えることと、為替の一面だけを取り出して政権批判へ結びつけることは同じではない。
最初から政府を批判する結論があり、その材料として円安や円高が使われているのなら、読者に必要な情報は失われてしまう。
実際、政府は、外国為替市場でドルを売って円を買うことで、円安を抑える介入ができる。反対に、円高を抑えたいときには、円を売ってドルを買う。ただし、政府が介入するだけで、好きな水準で円相場を固定できるわけではない。
世界の外国為替市場では、毎日、巨額の通貨が取引されている。一国の政府が、一度介入しても、円を売りたい人がそれ以上に多ければ、再び円安へ戻される。
財務省自身も、為替相場は基本的には経済の基礎的条件と市場の需給によって決まり、短期間の過度な変動や無秩序な動きに対して、安定を目的に介入すると説明している。
つまり政府は、円を常に高くすることでも、低くすることでもなく、急激な変動を抑えることを目指している。
企業が計画を立てられず、原材料費が短期間で跳ね上がり、家計の負担が突然増えるような動きは、円安でも円高でも望ましくない。
今回、日本は単独ではなく、アメリカと協調して円を買った。財務省は、2025年9月の日米財務大臣共同声明に基づく対応だったと説明している。

日本の政策運営への信頼と、アジア通貨への影響にも言及した。
ベッセント米財務長官は、アメリカの利益にもなる形で、日本を支えるために「必要なことは何でもする」と述べ、必要であれば再び協調介入する姿勢を示した。急激な円安は、韓国ウォンや中国人民元など、アジアの通貨にも影響を及ぼすとも説明している。
アメリカが円を買ったのは、日本への好意だけではない。円が大きく下落すれば、日本製品はアメリカ市場で安くなり、競争条件が変わる。アジア各国の通貨安を誘い、地域全体の為替相場が不安定になる可能性もある。円安は、もはや日本国内だけの問題ではない。
一方、ベッセント長官はNHKのインタビューで、協調介入には日本の政策運営への信頼を市場へ示す狙いがあったと説明し、日本の政策が着実に実施されているか確認する必要もあると述べた。
この発言について問われた片山財務大臣は、
「現時点で適切に運営していないと思ったら、そういう政府に協力する他国政府はいないと思いますから」
と答えた。アメリカが協調介入に応じたこと自体、日本の政策運営に一定の理解と信頼があるという見方だ。
為替介入は、円やドルを売買するだけの政策ではない。日頃の外交関係と国家間の信用も、その効果を左右している。
円安を止めるために、金利を上げればよいのか
円安の原因として、日本とアメリカの金利差がよく挙げられる。
日本よりアメリカの金利が高ければ、低い金利の円を売り、高い金利を得られるドルを買おうとする動きが生まれる。
それなら、日本銀行が金利を上げれば、円安は止まるのだろうか。
金利を上げれば、円を持つ魅力は高まりやすくなるが、企業の借入金利や住宅ローンの負担も増え、設備投資や住宅購入を減らす要因となる。さらに、国債の利払い費も増える。
円安を抑えるためだけに金利を上げ、その結果として国内経済を弱らせれば、何のための政策だったのか分からなくなる。反対に、景気への配慮を理由に低金利を続けても、円安による物価上昇が家計を圧迫する。どちらを選んでも、別の負担が生まれる。
為替を動かすためだけに金利を決めることはできない。
金利は、円相場だけではなく、日本の景気と暮らしを見ながら判断しなければならない。
日本にとって適切な水準は、いくらなのか
1ドル100円が正しく、150円が間違っているとは言えない。
まして、高度経済成長期の1ドル360円が、現在の日本にも適しているわけではない。産業構造も、貿易の内容も、企業の海外展開も、家計の暮らし方も変わっている。
重要なのは、円安か円高かという向きだけではない。どの水準にあり、どれほどの速さで動き、その変化に企業や家計が対応できるのかを見る必要がある。
日本にとって望ましい為替は、円の高さだけでは決まらない。産業構造や賃金、物価、企業の投資、家計への影響まで含めなければ、一つの数字を「正解」と呼ぶことはできない。
円安でも、円高でも
ここまで見てきたように、円安にも円高にも、利益を受ける側と負担を負う側がいる。政府や日本銀行の政策が為替に影響を与える以上、判断を誤れば批判されるのは当然だろう。しかし、為替は政府だけで決まるものではなく、介入や金利政策にも限界がある。
それでも、円が下がれば「なぜ止めなかった」と問われ、上がれば「なぜ産業を守れなかった」と責任を求められる。
どちらへ動いても政府が悪いというのなら、それは為替を考えているのではなく、政府を攻撃する材料を探しているだけではないだろうか。
為替によって苦しむ人の声を伝え、政策の誤りを問うことは必要だ。だからこそ、一つの側面だけを切り取らず、政府にできることと、一国の力では動かせないことを分けて考えなければならない。
事実を知ることは、政府を支持するためではない。批判するにしても、支持するにしても、強い見出しや都合のよい説明に流されず、自分で判断するためだ。
私の理解に誤りがあれば、ぜひご指摘いただきたい。
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