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恐怖をエンタメに変えたスポーツ体験の舞台裏─NIKE MONSTER HOUSE(2004)

仕事場の記憶 Vol.1


このシリーズは、私が長年立ち続けてきた“現場”の記憶です。
変化の激しい時代の中で、自分がこれまでどんな現場に立ち、どんな熱狂を作ってきた人間なのか。その足跡を具体的に残すために、この「仕事場の記憶」を綴っています。
光と音の温度、人の表情、空気の重さ――言葉では残らないものを記録しています。


2004年の春。

NIKEの担当から「こんなことをやりたい」と企画書を見せられた。
タイトルは「NIKE MONSTER HOUSE」。
お化け屋敷とスポーツを掛け合わせる——W+Kが立てたコンセプトは、一読して面白かった。 面白かった分だけ、怖かった。

これを本当に現実の空間として成立させられるか。
コンセプトの面白さを、体験の面白さに変換できるか。
それが私の仕事だった。

舞台として選ばれたのは皇居外苑・科学技術館。
来場者は、スポーツでもホラーでもない、その中間にある“不気味な高揚”へと誘い込まれていった。

私にとっても、ナイキで初めて挑んだ大型プロジェクトであり、「体験でブランドを語る」という仕事の核心に触れた現場だった。

この“怪物空間”がどのように形づくられたのか──
その舞台裏を記録しておきたい。


企画の始まり──お化け屋敷×スポーツ体験


では、この“怪物空間”はどのようにして形になっていったのか。
アテネ五輪が開催されたこの年、NIKEはグローバルテーマ「SPEED」を掲げ、世界各国で同時期にキャンペーンを展開していた。

ナイキジャパンが選んだテーマは――「恐怖をエンタメに変える」こと。

ここから《NIKE MONSTER HOUSE》の具体的な構想が始まった。

ベースとなるコンセプトは、広告代理店Wieden+Kennedy(W+K)が立案。

日本の夏の風物詩「お化け屋敷」をモチーフに、ナイキが契約するトップアスリートたちを“モンスター”に見立てた。

来場者がアスリートの領域を疑似体験できる、前例のないインタラクティブ空間を構想した。


会場選定──東京・皇居外苑「科学技術館」


最初の大きな壁は会場探しだった。

「東京ビッグサイトのような一般的な会場ではなく、誰も使っていない場所を」というクライアントの要望。

渋谷のクラブ、六本木の廃ビルなど約80件を内覧した末に、最終的に選ばれたのが皇居外苑・科学技術館だった。

  • 東京の中心という立地

  • 放射状に9つの部屋が並ぶ構造(種目ごとのゾーニングに最適)

  • 「Emperor Place」の一角という象徴性

外資系企業NIKEジャパンにとっても、米国本社への説明がしやすい会場だった。

皇居外苑・科学技術館

モンスターたちの挑戦


参加者が実際に体を動かし、アスリートの領域に挑む体験設計。

制作協力にはテレビ装置メーカーのテルミック社。
磁気センサーや回転数連動のミニチュア機構を独自開発した。

最初に決まったモンスターは、当時ツールドフランスで奇跡の7連覇を継続していたランス・アームストロング選手。

余談ですが、数年後にアームストロング選手は、ドーピングによりタイトルが剥奪されてしまいます。残念に思います。

6人のモンスターが選ばれ、それぞれの特色を考慮した体感ゲームが作られていく


6つのモンスター体感型ゲーム


①ランス・チャレンジ:ランス・アームストロング

サイクルマシンの回転数がミニチュア人形レースに連動。

ランス・チャレンジ


②セリーナ・チャレンジ:セリーナ・ウィリアムズ

ピッチングマシンの高速ボールを打ち返すテニス体験。

セリーナ・チャレンジ


③ポーラ・チャレンジ:ポーラ・ラドクリフ

クロストレーナーを使い、腕と脚を同時に動かす有酸素競技。

ポーラ・チャレンジ


④タブセ・チャレンジ:田臥勇太

ドリブルで障害物を抜け、障害物を突破するバスケットゲーム。

タブセ・チャレンジ


⑤カズオ・チャレンジ:松井稼頭央

壁の向こうから投げられるボールを的に投げ返す反射ゲーム。

カズオ・チャレンジ


⑥タカハラ・チャレンジ:高原直泰

墓場を模したコースをドリブルで突破するサッカー体験。

タカハラ・チャレンジ


6種目すべての総合ポイントで“最強の挑戦者”を決定する構成。
スポーツと遊び心が融合した、まさに「体験型スポーツアトラクション」だった。


現場の記憶──静寂の科学技術館に響く歓声


開催期間は8月中旬の約10日間。

当時はネット広告がまだ盛んではなく、告知は限られていた。

それでも体験者の満足度は高く、リピーターが連日訪れるほどの盛り上がりとなった。

途中、アメリカ・オレゴンのNIKE本社の首脳陣が、プライベートジェットで来日し、モンスターハウスを視察。

全種目を体験したあと、「GREAT!」と笑顔で残したひと言が、今でも強く印象に残っている。


予算と情熱──“面白さ”を最優先した時代


日本全体が不況の渦中にあった2000年代初頭。
当初の予算は約5,000万円。

しかし、テストを重ねるたびに、もっと完成度を上げたいという現場の熱が高まり、最終的には約3倍規模のプロジェクトになった。

予算が膨らむたびに、胃が痛くなった。
けれど不思議なことに、NIKEの担当者たちは一度も「削れ」と言わなかった。

「もっと楽しく、もっと印象的に」——その一点に迷いがなかった。
あの時代のあの熱量は、今思い返しても少し信じられない。

その熱意が、この“怪物イベント”を現実にした。


まとめ──NIKEを“好きにさせる”現場


NIKE MONSTER HOUSEは、私にとってナイキジャパンで初めて本格的に受注した大型案件だった。

「NIKEを好きになってもらいたい。」

クライアントのその言葉を、私は今でも覚えている。

好きになってもらうために、説明しない。体験させる。
その発想がこの現場で身体に入った。

それ以来、私はイベントの設計をするとき、必ず一つだけ自分に問う。
「これは、説明か。それとも体験か。」

MONSTER HOUSEは、私にとってその問いの出発点だった。


もし、企画や台本が固まりきらないまま立ち止まっている感覚があれば、
下記の記事に考え方をまとめています。

「企画や台本が固まりきらないまま、立ち止まっている方へ」


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

光と音の交差点で生まれた、
小さな“現場の記憶”を残しています。

「スキ」や「フォロー」で、次の現場へ灯りをつないでください。


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次の記事:Vol.2|NIKE ONE FOOT(2007年)


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浅川幸三 | クリエイティブプロデューサー 共感でも、違和感でも。 何かが残ったなら、それで本望です。 サポートは次の一行のために。

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