針を落とす前に、街が鳴っていた ― ジャズは“場所”から生まれた音だった
ジャズの生まれた街 | 記憶の針を落とす Vol.29
音は、どこで生まれるのか。
その問いを、前回の終わりに残してきた。
音楽は、いつもどこかで、
突然生まれるように語られる。
しかし、そこには必ず、
街があり、人がいて、
いくつもの時間が折り重なっている。
これは、ジャズが生まれる前に鳴っていたひとつの街の話だ。
ニュースが呼び起こしたもの
ニューオリンズの洪水のニュースを見たとき、しばらく画面から目を離すことができなかった。遠い国の出来事のはずなのに、なぜか他人事には思えなかった。
理由ははっきりしている。
ニューオリンズという街には、私の記憶と音楽が、いくつも結びついているからだ。

ニューオリンズへ向かったギタリスト

洪水の映像を見ながら、私はある日本人ギタリストの顔を思い出していた。
山岸潤史さん。
1970年代から、日本のブルース界を牽引してきたギタリストだ。
ラジオ番組の制作で一度だけお会いしたことがある。
そのときにいただいた、山岸さんのサイン入りのオリジナル・ギターピックは、いまでも私の宝物のひとつだ。
それから数年後、山岸さんはニューオリンズに移住し、現地で活動を続けている。それまでにシカゴへ渡り、現地のブルースに飛び込んでいった日本人ギタリストやピアニストは何人かいた。
だが、ニューオリンズと聞いたとき、私は意外に思った記憶がある。
意外に思ったのは

ニューオリンズは、「ジャズの生まれた街」と呼ばれている。
だが、ジャズだけではない。
ドクター・ジョンやネヴィル・ブラザーズに代表されるニューオリンズ・ファンク。ダーティ・ダズン・ブラス・バンドなどが演奏する独特のグルーヴは、ニューオリンズ・サウンドと呼ばれる。
この街には、ほかのどこにもない音楽文化の層がある。
その話は、また別の機会に書こうと思う。
今回は、なぜニューオリンズから、あの音が生まれたのか。
その“手前”の話をしたい。
川と港と、戦争のあと
1865年、アメリカ史上最大の内戦、南北戦争が終結する。
リンカーンが、ゲティスバーグで「人民の、人民による、人民のための政府」と語った演説を、教科書で読んだ記憶がある人も多いだろう。
この演説の後、北軍は勝利へ向かい、奴隷解放宣言も出された。
そして、当時の軍には、楽団が従軍していた。
兵士の士気を高め、命令や合図を伝えるために、音楽は不可欠なものだった。
南北合わせて、約70万人が命を落とした戦争が終わり、兵士たちはそれぞれの故郷へ帰っていく。
その帰路にあたる場所のひとつが、ニューオリンズだった。
鉄道がまだ整っていない時代、人と物の流れを担っていたのは、川を行き交う船だった。ミシシッピー川の河口に位置するこの街には、人と物、そして音が集まっていく。
戦争は終わった。
だが、街には、まだ行き先を決めきれない何かが、静かに流れ込もうとしていた。
楽器が街にあふれた日

戦争が終わると、不要になった軍服、銃、そして楽器が大量に放出される。ニューオリンズの街は、中古の楽器であふれ返った。
供給過多となった楽器の値段は暴落する。
解放直後の貧しい黒人たちにも、管楽器や打楽器が届くようになった。
偶然ではない。
歴史の歯車が、そう回ったのだ。
想像してみてほしい。
名前も記録に残っていない、ある若い男のことを。
昨日まで奴隷として綿花畑で働いていた。
解放されたとはいえ、行くあてはない。
街角の露店に、くすんだトランペットが一本、転がっていた。
値段を聞いたら、拍子抜けするほど安かった。
彼がそれを手にしたのは、音楽をやりたかったからではないかもしれない。 食うためだったかもしれない。 あるいは、ただ何かを握っていたかっただけかもしれない。
その夜、酒場の隅で最初の音を出したとき、 それが百年後に世界中で鳴り続ける音の、最初の一粒だったとは、 彼自身もきっと知らなかった。
その音は、誰の年表にも残らないまま街に溶けていった。
余談だが、このとき放出された軍服や銃の一部は、後に日本にも持ち込まれる。大政奉還後の内戦で、新政府軍も旧幕府軍も洋式の軍服を着ていたのは、この南北戦争の影響だと言われている。
世界は、思っている以上につながっている。
夜になると、街は鳴りはじめる

楽器を手にした黒人たちは、歓楽街の酒場や街角で演奏するようになる。
酒場には、音楽が必要だった。
演奏する側には、仕事が必要だった。
ほんの少し前まで、奴隷として生きていた黒人たち。
解放されたとはいえ、生活の選択肢は、まだ狭かった。
かつての主人のもとで、これまでと同じ農作業を続けるか。
あるいは、楽器を手にして、ミュージシャンとして日銭を稼ぐか。
需要と供給が結びつき、音が街にあふれはじめる。
ジャズでトランペットやサックスといった管楽器が中心になっていったのは、こうした背景からだった。
音楽理論より先に、街の事情が、音を決めた。
つまりジャズとは、誰かが設計した音楽ではない。
人の流れと、歴史の偶然が、そのまま音になった。
アフリカのリズム、教会の祈り、行進曲、ブルース。
それぞれが溶け合いながら、ひとつの響きになっていく。
そうして、“あの音”は生まれた。
日が落ちると、ニューオリンズの歓楽街は、いつのまにか音で満たされていく。
酒場の奥から、通りへ。
通りから、隣の店へ。
音は壁を越え、境目を失いながら混ざり合っていく。
少なくとも、この街の音は、場所から生まれた。
音楽も、ガンボだった

ニューオリンズには、「ガンボ」というソウルフードがある。
手に入る食材をすべて鍋に放り込み、時間をかけて煮込む。
個性がぶつかり合い、やがてひとつの深いコクになる。
ガンボという言葉には「寄せ集め」や「ごちゃまぜ」、
どこか「やんちゃ」な響きがある。
川と港と、人と文化が交差してきたこの街では、
それが当たり前の作り方だった。
だから、音楽も“ガンボ”だった。
→ あの“混ざり合った街の音”を、そのまま味わえる一枚
針を落とす前に、街があった
レコードに針を落とすよりも前に、この街では、すでに音が鳴っていた。
戦争と、港と、楽器と、酒場。
そのすべてが重なった場所が、ニューオリンズだった。
忘れてはならないのは、その混沌が、剥奪と不条理の歴史という「重い影」によって炙り出されたものだということ。
自由を縛られた人々の、せめて音の中だけでも解放されたいという切実な飢餓感があったからこそ、あの街の音は今も、聴く者の胸を締めつける。
洪水のニュースを見ながら、私はそんな街のことを思っていた。
水に沈んだ通りの向こうに、かつて鳴っていた音を、人は忘れない。
山岸潤史さんが、その街を選んだ理由が少しだけ分かった気がした。
針を落とせば、そこにはジャズがある。
その音の向こうに、街の気配が残っている。
次にジャズを聴くとき、ぜひこの街の景色を想像してみてほしい。
そこには、ただ綺麗なメロディがあるだけではない。
生きるために楽器を手にした人々の気配が、少し違って聞こえるかもしれない。
私にとって、ニューオリンズを感じる一曲はミーターズの「Hey Pocky A-Way」だ。 派手さはない。むしろ、削ぎ落とされた音だ。
それでも、この街の地面の湿度と重さが、そのままグルーヴになっている。
街が鳴っている、と感じる。
あなたにとっての「ニューオリンズを感じる一曲」はなんだろう。
次回は、音楽の主役は、人から装置へと移る過程を書いてみたい。
例えば、サッチモがトランペットを吹くとき、
そこにはいつもニューオリンズの風が吹いている。
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🌙この流れは、ひとつの線でつながっている。
・Vol.28 | 人種の壁は、音で壊れた
— 音が混ざり始めた瞬間
・Vol.3|ブルースへの旅(ルーツ篇)
— すべては、ここから始まっていた
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
もしこの音が、あなたの記憶のどこかに触れたなら。
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この感覚は、実際の現場で身についたものでもあります。
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