自分と向き合うことへの執着から解放される | 今ここを綴る 007
この note では下記記事にあるように、ツインレイ・ツインレイプロセスという概念を崇めず無碍にせず、括弧で包むように取り扱っています。
自己理解を深めたい、現実逃避扱いを受けやすい精神世界の概念を利用する感覚を追体験したい。
そういうご関心を持っている方に少しでも何かお届けできれば幸いです。
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日に日に書くことがなくなっていること。
日に日に自分と執拗に向き合うことを手放していること。
「書くこと」と「自分を知ること」が何より大好きだった私にとっては、大きな変化と言えます。
体重が変わったわけでもないのに、どことなく体が軽い状態。
体の締め付けがどこか和らぎ、体の輪郭が少し広がったような心持ち。
こうした移り変わりを段階的に踏んできましたが、この心境になる度に「これが精神的自立を深めている時の感覚なのかな」と思ってきました。
これまで「お相手に執着しないこと=精神的自立」と謳う記事を多く目にしてきました。
この考え自体には賛同しますが、おそらく精神的自立への道にはまだまだ続きがあるのでしょう。
今回感じているのが「自分への執着の手放し」なのですが、私にとってこれはお相手のことが気にならなくなるスイッチが入った時以上に、このふわっとした心地良さがもっと深くじんわりと体内を巡っています。
これは大変快いです。
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もしこの境地を見せてもらえたことが、ツインレイプロセスのおかげなのだとしたら…。
この概念に出会えたこと、そして、そのきっかけになってくれたお相手やその他の方(私は、プレツインレイと出会ったことでこの世界を知りました)には大きな感謝を感じずにはいられません。
この状態を維持できないこともあるかもしれませんので、体得したとはまだ言い難いですが、こういう景色があるのかと認識できたのであれば、もう大丈夫だと思っています。
そもそも維持できないものなのかもしれませんね。
そうだとしても、ただただその都度、それに気付いたら自分を戻してあげればいいのでしょう。
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日に日に書くことがなくなっていること。
日に日に自分と執拗に向き合うことを手放していること。
冒頭でこのように書きましたが、実は書きたいことや目を向けたいものがないわけではありません。
おそらくその作業を通じて、引き続き自分を知ることになるのでしょう。
結局「書くこと」や「自分を知ること」を止めることはないのでしょうが、これまでよりも軽やかに適切な距離を以て、これらの行為を携えられるように今は信じています。
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今日の記事は、何だか書けて良かったなあと思えています。
自分を何かしらから解放できている感覚に包まれた土曜日の朝でした。
