今はただ器と化している | 今ここを綴る 008
この note では下記記事にあるように、ツインレイ・ツインレイプロセスという概念を崇めず無碍にせず、括弧で包むように取り扱っています。
自己理解を深めたい、現実逃避扱いを受けやすい精神世界の概念を利用する感覚を追体験したい。
そういうご関心を持っている方に少しでも何かお届けできれば幸いです。
:::::::::::::::::::::
今ここを、行動で積み重ねる日々が続いています。
読んだり、観たり、書いたり、会ったり、移動したり、仕事したり、自己メンテナンスをしたり。
脳は何も考えたくないのか、何も浮かんできません。
読んだ本や観た作品でピンときたことを書き留めることはあっても、そこから自分の意見や視点を交ぜるところには至りません。
ただの器状態ですね。
自分で補給したいと思って選んだ栄養を、ただただ取り込んでいる。
その栄養分は、まだエネルギーに変換されていないままのようです。
ですが、体内に重さを残すことなく、壁からしっかりと吸収され、霧散している感覚があります。
:::::::::::::::::::::
だからなのでしょうか。
その分、親戚や友人からのお声がけが舞い込んだり、職場でも昨日だけで2つも大きな動きを予感させる話を耳にしました。
こちらに、意図や目標、意気込みなどが失せていることと比例して、外での変化が大きくなるという現象は、これまでにも度々あったように振り返ります。
これに関しては、自分の内側のエネルギー運動というのは、大変な高解像度で把握できるため、相対的に外での出来事が穏やかに見えるというからくりもあり得そうです。
ですが、そうだとしても、今回のお声がけや職場での出来事は一つひとつがあまりにも濃厚で驚きが隠せません。
:::::::::::::::::::::
これらの大きな出来事を受け止めるために、ここ2ヶ月ほどは妙にランニングに出掛けたくなってしまっていたのでしょうか。
「これから大きなわくわくを届けるから、体力つけて待っていてね」と。
思えば先日、ようやく自分を労わるための病院の予約も出来たのでした。
そして今朝は、たまたまいた実家で、たまたまついていたテレビ番組から聞こえた「(チャレンジする時は)怖がらないこと」に妙に勇気をもらっていたのですが、これらの出来事に対するエールなのでしょうか。
:::::::::::::::::::::
いずれにせよ、目の前に転がってきたことや、ふっと頭に浮かんだことをただ拾い上げ、進めてみればいいのだと思います。
その時に湧き上がる不安や戸惑いは、何もその出来事が悪者だと告げているわけではないのですから。
