「好き」に1mmも妥協しない | 今ここを綴る 016
今日の帰り道にふと頭によぎった感覚です。
突然、無性に歌える人になりたいという気持ちが湧き上がり、
それであれば、どんな曲を歌えるようになりたいかと考えたところ、
(メロディのハミングではなく、歌詞を歌う場合、)今の私が心の底から歌いたい曲は3曲しかないかもしれない、と感じたのでした。
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そんなに少ないの!?
そして、それで最終決定をしていいの!?
今までも、好きなものを絞り切ること、決め切ることに恐れがありました。
それは、
「どんな物にも、どんな人にも良いところはあり、
それが分からないのだとしたら、私の感受性の問題だ」
という根深い(根強い?)マイルールがあるためだと認識しています。
自分さえその受け取り方が分かれば、どんな物もどんな人も「好き」の対象になるという発想です。
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ですが、この裏には、物事の価値が分からない場合は、自分に非があると責める心理が働いています。
その自覚は持っているのですが、それでも、
「何かを見捨てたくない」
「全ての物や人に居場所を与えたい」
「誰にもかわいそうな思いをさせたくない」
という信念のようなものにこだわってしまう自分を曲げることが出来ずにいます。
この価値観との向き合い方については、正直まだ答えが出せていません。
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そのはずが、今回は「好き」の大半が背景化され、その中での選りすぐりだけを抱き締めたくなっています。
手放しが進むと、てっきり許容できるものが増えていくイメージがありました。
そのため、許可を出せるものが歴然と減っていることにやや戸惑いを覚えています。
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ですが今日、頭に浮かんだ3曲の歌詞に改めて目を通した時に、
「これまでは世界の隅から隅まで光を届けるように放ってきた好きのエネルギーを、特定の景色にだけに集中して光を集めてみたい」
「この3曲の歌詞を好きだと言い切れる自分のことは、きっととても好き」
と感じたようです。
しかも、こうして考えてみると、
「これほどの気持ちで「好き」を許可できる楽曲が3曲もあるのだとしたら、それってとても多いのでは…!」
と思えました。
こういう発想から、今自分が手にしている「ある」を実感する方法もあるようです。
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自分のそばにいてほしい「好き」には、1mmも妥協しないでみること。
「好きな歌詞に限らず、そういう整理整頓をする夏にしてみては?」
好きな言葉たちが、そのように背中を押してくれた気持ちになった帰り道でした。
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この note では下記記事にあるように、ツインレイ・ツインレイプロセスという概念を崇めず無碍にせず、括弧で包むように取り扱っています。
自己理解を深めたい、現実逃避扱いを受けやすい精神世界の概念を利用する感覚を追体験したい。
そういうご関心を持っている方に少しでも何かお届けできれば幸いです。
