『生くる』執行草舟が刻む、血と涙の人生哲学
執行草舟氏の『生くる』を手にしたのは、人生の節目で自分自身の生き方を問い直したくなった時だった。
表題の「生くる」という力強い表記に引き寄せられ、読み始めた瞬間から心を鷲掴みにされた。
著者自身が考え、体験し、確信に至った事柄だけを綴った短文集である。
本書は単なる人生訓ではなく、武士道の精神を現代に甦らせ、血と涙が沁み込んだ人生観を突きつける一冊だ。
読み終えた今、付箋だらけの本を手に、胸の奥が熱くなるのを感じる。
これから一章ずつ読み返し、咀嚼し続けたいと思う。
本書で最も心に突き刺さったのは、「恩」についての考察である。
著者は言う。
「支えてくれたものは、知性でもなく、忠や孝といった高尚なものでもなかった。思想や哲学でもない。ほんの少しの人の情けだった」と。
人間は世間との関係の中で生きる以上、何らかの束縛から逃れられない。
その中で最良のものが「恩」であり、恩による束縛こそが、他の束縛から自由になり、自分自身の人生を歩む原動力になるという。
無償の愛についても深く考えさせられた。
損得抜きの愛など存在しないが、相手に「この世に生きて良かった」と感じさせる施しこそが、無償の愛の正体ではないか。
この視点は私にとって新たな指針となった。
もう一つの核心は「判断力」だ。
判断を下せば取れる行動は一つしかない。
行動さえしなければ、人間は誰だっていつでも自分は正しいと言っていられる。
だからこそ、善人でいたい人間は判断を避ける。
可能性をいくら考えても、それは可能性でしかない。
肚を練るには、絶え間ない判断の連続しかない。
そして判断を下せば、責任はすべて自己に帰する。
涙を知る人間になるのだ。
この言葉は、自分自身に痛いほど響いた。
批判や評論は簡単だが、判断を下し、信じたものを信じ切る心こそが判断力の極点である。
疑う行為は精神を卑しくし、体を壊すだけ。
信ずれば信ずるほど、人生は稔り豊かになるという。
末っ子に接する時も、この「信ずる心」を持ちたいと強く思った。
武士道の精神が本書全体を貫いている。
武士道とは武士という階層ができてから生じたものではない。
武の精神とは目的のために死をも厭わぬその考え方にある。
また日本食文化の背骨が失われつつある「骨抜き」の現実を指摘する点も印象深かった。
文化とは理性を超えたものであり、人間の地の底に打ち込まれている。
時間淘汰を潜り抜けてきた慣習や思想には、現代の我々が忘れがちな叡智が宿っている。
「背負った荷物が多く重いほど、人物は磨かれる」、「生きることは捨てること」、「転禍招福」こうした言葉の一つひとつに重みがある。
著者は「自らの自発的な意志で行なうことは、たとえ合理的でなくとも、必ず自分自身の糧となり自己の人生を拓く」と断言する。
断じて行なえば鬼神もこれを避く、という気概だ。
恨みについて、飛躍について、時間について、自信について。
耳障りの良い言葉は一切ない。
難解に感じる箇所もあるが、読み進めるほどに忘れていた何かを思い出させるような、小さな光の穴が開く感覚があった。
本書は現代版『修身教授録』のようにも感じる。
言葉の定義が厳密で、著者が考えに考え抜いた痕跡が随所にある。
人を創るとは、人に荷を負わせ、鍛えることに等しい。
見方を変えれば、苛むことになる。
祈り願いつつ、苛むのだ。
そんな覚悟を、私も持ちたいと思った。
夜空の星座に憧れ、星を目指して生きるのが人間だという一文も、心に残る。
『生くる』は、全ての人におすすめできる本ではないかもしれない。
古典的で古風に感じる部分もあるだろう。
しかし、だからこそ価値がある。
日本の歴史や伝統が好きで、古き良き文化が消えゆくのを惜しむ人、人生の軸をしっかり持ちたい人、判断し、責任を負いながら生き抜きたい人にこそ読んでほしい。
読むと居住まいを正さずにはいられなくなる。
咀嚼しきれない箇所は、何度も手元に置いて読み返すことで、じわじわと血肉となる。
執行草舟氏の言葉は、理屈を超えた確信に満ちている。
私自身、信ずることによってのみ、小なりといえども、何らかの実りを得てきた。
原動力は信ずる心だけであった。
この一文が、私の今後の生き方に大きな影響を与えている。
人生とは本当に面白いもので、信ずれば嬉しくなり、体の調子も良くなる。
そんな著者の体験談も、説得力がある。
この本に出逢えたことは、人生の幸せの一つだ。
あなたも是非『生くる』を読んでみてほしい。
そこに、自身の人生を生き抜くための、静かで強靭な力が宿っているはずだ。
鬼頭 和秀
