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「反応しすぎる仕事」をやめたら、変なことを考え始めた

自分は、仕事は楽しめている方だと思う。

企画でも、プロマネでも、業務設計でも。

基本的には、
「どうすればもっとよく回るのか」を考えている時間が好きだ。


ただ一方で、ここ数年、
少しずつ強くなっていた違和感がある。

説明コストの増大だ。

自分が扱うテーマは、
どうしても抽象度が高くなりやすい。

背景。目的。構造。リスク。

そういう、まだ形になっていないものを扱うことが多い。


すると、
相手によって、必要な説明の階層が大きく変わる。

上流では通じる話が、現場では抽象的すぎる。

現場感覚で話したものは、上流では解像度が足りない。

そのため、その間を、何度も往復する。

トップのいる高層階から、現場の地上階まで、
階段マラソンをしているような感覚だ。

もちろん、必要な仕事ではある。

ただ、これが積み重なると、
少しずつ認知の体力を削っていく。

気づけば、

・ロジックが通じない前提で、別レイヤーの資料を作る
・説明が強すぎて角が立たないよう、AIを挟んで言葉を丸める
・噛み合っていないチャットの間に入り、延々と翻訳する

そんな時間が増えていた。

これは──

少しバランスが悪いな、と思い始めていた。


そこで2026年は、
ひとつテーマを決めている。

「反応しすぎない」

全部を拾わない。全部を背負わない。
全部説明し切ろうとしない。

そうやって、少しずつ余白を作ってみる。

それと同時に、空いたスペースに対して、

自分はなにを感じるのか、なにを考えるのか。
自分の興味は、自然とどこへ向かっていくのか。

それを、しれっと観察してみよう。


そんな実験を、はじめている。

静かになると、変なことを考え始める

すると、
徐々に変化を感じはじめる。

何かを「処理」していない時間が増えると、
頭の中に妙な空白ができる。

最初は、その空白にそわそわして、
いつもの「反応」が訪れていた。

そのため、こっそりAIにチャットを貼り付けて
話し相手になってもらって気を逸らしたり、

ここは担当者に完走してもらおう、と心に決めて、
淡白なレビュアーに徹したりもした。

そうしているうちに、実際の空白の時間が増えていく。

ぼーっと散歩したり、
YouTubeを流したまま別のことを考えたり、
意味もなく昔読んだ本を開いたりする。

それでも、平和に仕事は回っていく。

あぁ、そうなのか。
これが、この環境にとってあるべき姿なんだな

と思った。

そうしていくうちに、
すっと、それまで考えていた気配は消えて。

この実験は、安定した観察期を迎えていた。


ここまで、約二か月くらいだったと思う。


今までノイズに埋もれて見えていなかったものが、
少しずつ浮いてくる。

別に、深く考えようとしていたわけではない。

むしろ、考えないようにしていたくらいだ。

ただ、頭の中の交通量が減ると、
奥の方に沈んでいた思考が、勝手に表面へ上がってくる。

普段は仕事のノイズに埋もれていた思考が、急に浮かび始める。

余白に思わぬものが埋まり始める

最初は、仕事の延長だった。

「なぜ組織は、同じ失敗を繰り返すのか」
「なぜ人は、構造より空気を優先するのか」

そんな、いつもの問いだ。

ただ、その問いをぼんやり追いかけていると、
少しずつ、接続先がおかしくなり始める。

組織の話をしていたはずなのに、
文明の話になる。

情報伝達の話をしていたはずなのに、
宗教や神話へ繋がる。

AIの話をしていたはずなのに、
「そもそも知性とは何か」みたいな方向へ滑っていく。

──嫌な予感がする。

連休中には、
さらに妙な方向へ思考が滑り始めていた。

AI。

意識。

文明。

役割。

流れ。

継承。

人類は何を保存しようとしているのか。
なぜ生命は続こうとするのか。

──これは
ラインを越えているのでは。


実験開始から、まる4か月。

気づけば、noteへ、怪文書すれすれの記事を投稿していた。

しかも、
書いている時間は妙に楽しい。


普段の自分は、割と真面目に、
ビジネス論や思考法を語っている。

一方で、

「意識とは何か」
「AIによって最後まで残る人間の役割とは何か」
「なぜ人類は流れ続けようとするのか」

みたいなことを綴っている。

Udemyの受講生の方がこれを見かけたら、

「あっ、この講師って……」

と、なるかもしれない。

信頼に影響しないだろうか。

しかし、その点は安心してほしい。

講座側には、
まだ、侵食していない。

境界が薄くなる

しかし最近、
なんとなく繋がってきたことがある。

自分がやっていることは、
仕事も、創作も、たぶん根っこは同じなのだろう

ということだ。

自分は以前から、
「まずは構造」が気になる人間だったのだと思う。

人がどう動くのか。

組織はなぜ停滞するのか。

なぜ社会はその方向へ進むのか。

そして最近は、
AIによって、その構造へ触れる感覚そのものが、
少し変わり始めているように見える。

以前は、
分野や役割ごとに分かれていたものが、
急速に繋がり始めている。

ただ、その変化を眺めていると、不思議な感覚もある。

接続方法は大きく変わっているのに、
人類がやっていることそのものは、
昔からあまり変わっていない気もするのだ。

村、文明。
神話、宗教。
会社、肩書。
インターネット、SNS。

そして、AI。

人類は、時代ごとに違う「インターフェース」を使いながら、
同じようなことを延々と繰り返している。


つい最近までは、
「越境」という言葉そのものに価値があった。

技術者が経営を語る。
経営者が哲学を読む。
ビジネスの人間が創作をする。

そういうものは、「別の領域へ踏み込む行為」だった。
拡張、という付加価値だった。

だが最近は、少し感覚が変わってきている。

AIによって、そもそも個人が扱える範囲そのものが広がり始めた。

そのことにより、
「越える」という感覚そのものが薄れていく。

境界線が残っているから、越境になる。

だが、
その越えるための「境界」そのものが、少しずつ溶け始めている。

異文化。
異業種。
異分野。

そういう言葉から、少しずつ「異」が取れていく。

境界そのものが、再定義され始めている。

そう考え始めると、

仕事も、
組織論も、
哲学も、
オカルトも、全部

同じ盤上に載っているように見えてくる。

神話。
宗教。
文明。
哲学。
経済。
AI。

そういう、
人類が残してきたピースを拾いながら、
自分でそれを組み替えて楽しんでみる。

時代を超え、ジャンルを超えて
同じようなテーマに興味を持った先人たちと、

「お前もそこ、気になってたのか笑」

と、ニヤリと笑みを交わしながら。

そんな感覚だ。

しかもこのゲーム、コンテンツは無限大だ。
ネトフリより多いだろう。

終わらない。

サブスク料金も任意設定で、
かなり優秀な娯楽とも考えられる。

興味があれば、いかがだろうか。

もし、
ご趣味は?と聞かれた際には、

「リベラルアーツ」です。

と、装っておいてほしい。

思考を置いておく

もちろん、
本気で宇宙の真理を目指そう、とは思っていない。

人類は数千年、同じ問いを考え続けている。

こちらは、あと数十年で寿命である。

宇宙の真理と張り合うには、やや短命だ。

だから「答え」には興味が向かない。

「どことどこが繋がってしまうのか」を勝手に考える。

神話とAI。
宗教とインターフェース。
組織論と文明。

一見、別物に見えていたものが、
急に同じ構造へ重なり始める。

教科書で学んだ歴史や、触れたことのない文化に、
手触りのある感触が加わる。

その瞬間、にやりとしてしまう。

だから、これはもう、半分趣味なのだと思う。


現代は、
こういうものを、ただ置いておくだけでも、
どこかの誰かへ届く時代になった。

さらに今後、
AIの進化による検索・パーソナライズの拡張によって、
よりニッチなコンテンツの需要は増していくだろう。

しかも、あとから掘り返される可能性まである。

もし、いつか自分の、

ビジネスなのか、
ITシステム論なのか、
神話や哲学なのか、

ただのオカルトなのか。

雑多に混ざり合った思考のログが、
なにか新しい広がりとして萌芽する日が来たとしたら。

そんな、ちょっと面白いよね
という期待込みで、

これからも、ちょくちょく、
創作にも似たなにかを上げていきたいなと思う。

ただ、もしその怪しさが影響して、
Udemyの売上が急落したら。

すぐさま、この記事を削除する準備はできている。


この記事は有料設定にしていますが、本文はここまでで完結しています。
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怪文書もよければどうぞ

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