観測ログ①:意識とは何か、あるいは受信しているだけなのかもしれない話
最近、「エコーチェンバー」という言葉を知った。
壁に音が反響する部屋のことらしい。
そこから転じて、SNSが同じ意見の人ばかりを集めて、
似た価値観だけが増幅されていく現象を指すようになったという。
レコメンドを開けば、毎回似た動画が流れてくる。
同じ話題。同じノリ。
同じ価値観。同じ欲求。
要するにコレのことだ。
その中にいると、だんだんそれしかない世界に見えてくる。
「みんなそう」なんて思えてくる。
不思議なものである。
昔から流行というものはあった。
しかし、
最近の“バズ”は、ちょっと規模感がおかしい。
一度何かに火がつくと、社会全体が一斉にそこへ向かってうごめき始める。
異常な視聴回数。街ごと取り囲む長蛇の列。
まるで巨大なひとつの生き物のような。
受信機の話
最近、そんなことをぼんやり考えていたら、
こんな話が流れてきた。
「意識は、脳が作っているのではなく、“受信している”だけかもしれない」
という話。
少し変わった話題に興味を持てば、関連動画や記事が次々と流れてくる。
AI
量子力学
哲学
宇宙
都市伝説
オカルト
だんだん怪しくなってくる。
自分だけが考えているつもりでも、ネットの海を漂っていると、
似たようなことを考えている人間が、次々と視界に入り込んでくる。
そして気づけば、そんな情報ばかり眺めている。
考えてみれば、自分も立派な“反響室の住人”だなと、
ニヤリともしてしまう。
この、脳が意識を「受信している」という話を、
もう少し詳しく調べてみる。
それはつまり、
脳は意識を生み出しているのではなく、
フィルタリングしているだけではないか。
意識そのものは別の場所に存在していて、
脳はそれを「今この瞬間に必要なサイズ」に絞っているだけ、という。
ある哲学者によれば、それは蛇口のようなものであり、
宇宙全体に流れている巨大な意識を、
イチ人間が扱える量に絞って、チョロチョロ流しているのだ、と。
まったく意味が解らない。
この話を直に聞かされている人がいたならば、
どんな表情をしていたのだろう、などと、
急激に興味が離れ始める。
だがここで、ふと
最近感じていた“巨大な流れ”の感覚とつながって、立ち止まる。
「宇宙意識」という寄せ付け難い言葉を、
「世論」「空気」とか「みんなそんな感じ」と置き換えると、
どうだろう?
急に認知に現実の肌触りが加わる。
なんとなく今こういう空気だよね。
みんな、良いって言ってるらしいよ。
これ次に、バズりそうじゃない?
そういう感覚。
巨大な海流のような。
個人の意思より先に、空気が流れている感じ。
もっと大きな流れの中で、“選ばされている”ような感覚。
そうまるで、
巨大な宇宙の意識から、まとめてチューニングでもされているような。
── 今、この一文を読んだ人は、どんな表情を浮かべているのだろうか。
映画と観客の話
こういう話を見ていると、昔から似たことを考えている人間は結構いる。
たとえばインド哲学には、
「アートマン」と「ブラフマン」という概念がある。
アートマンは個人の魂。
ブラフマンは宇宙そのもの。
そしてヴェーダーンタ哲学では、
「アートマン=ブラフマン」
つまり、個人の意識と宇宙の意識は、結局同じものだと言う。
よく映画で例えられる。
映画の登場人物は、泣いたり怒ったりしながら生きている。
でも観客は、それをただ見ている。
感情移入しながらも、「これは映画だ」と知っている存在として。
この“見ている側”がアートマン。
そして映画館そのもの、
あるいは映写機の光そのものがブラフマン、みたいな話。
宇宙意識全体が「ブラフマン」で、
映し出されているものが、個人の意識で、
それを感情移入しながらも鑑賞しているのが「アートマン」。
たしかこんな世界観だ。
30点くらいの解説だと思って聞いてほしい。
そう、
スピリチュアルでしかない。
なのだが。
「意識は受信しているだけかもしれない」
という話と並べると、
もしや同じことを言っているのだろうか、と思えなくもない。
この手の話は、いろんな場所に転がっている。
プラトンのイデア論しかり、
量子力学で言うところの、非局所性であり。
時代を超え、ジャンルを超え。
どこか似たような概念に収束するのは、偶然なのだろうか。
なお専門家の意見は、
なにひとつ確認していない。
AIの話
そして最近、この手の話を考えていると、
どうしてもAIがちらつく。
AIとチャットをしていると、
まるで会話そのものを選んで返しているように見えるが、
仕組みとしてはそうではない。
確率で成り立っている。
今投げられたこの文言、この文脈。この順序。
それらをキーにして、
学習した膨大なデータの中から、
「今もっともそれっぽい断片」を引っ張ってきて、返す。
その断片が連結されると、
われわれには「意味のある回答」に見える。
そういう仕組みだ。
これは人間も、
かなり似たことをやっているように見える。
外から刺激を受けて。
過去の経験や記憶、場の空気。
そういうものを参照しながら、
「今もっともそれっぽい反応」を返している。
構造だけ見ると、結構似ている。
なんなら同じようにも見えてくる。
そう考えると、
先ほどの “受信” の理解の解像度も、上がってくる感覚がある。
それは、受信というより。
巨大なパターンの海から、その瞬間に必要なものが召喚されているような。
それは、人類の歴史であり。
文化であり。知識であり。感情であり。
そういうものが、全部ごった煮にされたなにか。
おや?
それってもう、ブラフマンなのでは?
とか思い始める。
もはや、脳は「意識の生成装置」だと考えるより、
「巨大な何かへの接続装置」だと思った方が、
理解しやすいのではないか。
などと考え始めたりもする。
苦々しい表情ではあるが、
まだ読み進めてくれていることに、感謝している。
選んでいる感覚の話
ただ、ここで当然疑問が出てくる。
私が日々、イチ人間個体として実感している
「自分で選んでいる感覚」とは、なんなのか。
今こうして、
特に生きるのに必要でもない妄想を延々と考えながら、
スマホをポチポチ打っているこの行為は、誰が決めているのか。
リベットの実験という話がある。
被験者に「好きなタイミングで手首を動かして」と指示して、
脳の活動を計測する実験。
結果、「動かそう」と意識する約0.5秒前に、
すでに脳の準備電位が立ち上がっていた。
つまり、意識が「動かす」と決める前に、脳はもう動き始めていた。
という話。
つまり、
意識が決める前に、脳はもう決定している。
意識は脳が決めたことを、
後追いで映しているだけなんですよ、というやつ。
おや?
受信機の話に、AIの仕組み。
さらには、実験の結果まで。
「これって…!?」
と、ザワつきそうになりはするものの、
都合の良い話もあったものだと思う。
なにせ、手首一本勝負で、
意識の話に決着をつけようというのだから。
いいや、おれでも測ってみてくれ、と言いたくはある。
たとえば、
「飲んだ帰りのラーメン、“どうぞ” の合図まで耐えられるか」
では、どうだろうか。
0.5秒より早く脳が決定しそうなので、
実験にはならないかもしれないが。
結局の話
本人は「自分で選んでいる」と思っている。
でも「見せられている」だけなのかもしれない。
流行を追っているわけではない。
自分が楽しいと思うから選んでいるだけだ。
そのコンテンツに魅力があるから、皆そこへ向かっているだけだ。
本当に?
巨大化していく、世間の空気・バズ・時代の流れ。
それは個人の意思の総和か。
それとも、何か別の巨大なパターンか。
── 宇宙の意識か。
わかることは何もない。
わたしたちが見る意識は、
作り上げたものか、なにかの投影か。
「私」が選んでいるのか選ばされているのか。
ただ、こんなことを考えているのが面白い。
それだけの話だ。
ふと視線を上げる。
閉店間際のスタバ。
皆が帰り支度をはじめている。
わたしもそろそろ席を立とう。
この文章を書いている最中、
顔見知りのバイトさんに、ディスプレイを覗かれていたらどうしよう
と、考えていた。
明日からバックヤードでは、
ブラフマン、と呼ばれているかもしれない。
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