出雲・岡山一人旅|強欲な自分を受け入れる。そば屋ハシゴの後の浄化
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(前回の記事が少し長くなったので、後半部分を切り分けて、加筆修正、再アップしています)
出雲大社の参拝を無事終えた私は、お腹も空いていて、出雲そばと出雲ぜんざい食べたい!とわくわくしながら、最初にくぐった「勢溜りの大鳥居」まで戻ってきた。
目の前の出雲ぜんざいの看板に目を奪われ、お店の中に吸い込まれた。
「あぁ、でもやっぱ、まずは蕎麦じゃない?」
迷って、一旦お店を出た。
少し歩くと、出雲そばと出雲ぜんざいのセットなるメニューが掲示されているお店があり、「これだ!」と思って飛び込んだ。
しかしこれが誤算だった。
楽しみにしていた蕎麦湯はなく、運ばれてきたそばは冷えておらず、ボソッとしていると感じた。
ぜんざいは普通においしかった。けれど、食べ終わった後に残ったのは「ここじゃなかった」という後悔だった。
なんで有名店を事前に調べておかなかったんだろう。
10時半に参拝が終わって、11時前から並び始めたら余裕で老舗のおいしいお蕎麦食べられてたのに。
まじでイケてないわ自分。でも、私はあきらめなかった。さっと調べて、私は向かった。
次の蕎麦屋へとね。
「荒木屋」さん。
ブラタモリとか、バナナマンのせっかくグルメとか、テレビが来ているという有名店を私は目指した。
荒木屋さんは混んでいて、並んでいた。

効率悪い自分をまた悔やんだけど、後悔しないように、食べなければならないのだ。
席に着けたのが、12時45分ごろかなと思う。
朝ごはんが10時45分だったので、食べられるか不安だったけど、本日2度目の「出雲そばと出雲ぜんざいのセット」を注文した。
お茶を飲みながらほっとして、ふと前方に目をやると、川端康成の書が飾ってある。
やっぱ老舗はすごい。まとう空気が違う。
お蕎麦もとっても美味しかった。冷えてつるつるしていた。さっき食べたばかりなのに、不思議とスルスル入った。喉越しが最高。

出雲そばは、薬味とつゆを1段目に入れて、食べ終えたら、その残りのつゆを2段目に移す。それが、「縁つなぎ」を意味する作法となるらしい。
さっきやったばかりだから手慣れたものだった。

老舗の味、食せてよかった~
でも最初からここ来られてたらよかったのに、ともやっぱり少しは思った。
本当は、大いに反省するべきかもしれない。
でもまぁ、終わったことはしょうがないさ。
前代未聞の、「そばとぜんざいのセット2連食」だけでしっかり満たされたお腹で、稲佐の浜のバス停を目指した。
帰り道は参道を歩いて一の鳥居までくぐっていくつもりだったんだけど、蕎麦アクシデントがあって荒木屋さんまで来たので、「神迎の道」を3分の1は歩いていた。私はまた参道を逸れて「神迎の道」を歩くことになった。戻らずそのまま稲佐の浜を目指すことにした。
都合よく神様のお導き、と自分を納得させようとした。

歩いていると、普段からの迷いの多さとか、どんくささとか、どうしようもない自分のネガティブな側面が次々頭の中に浮上してきた。
神聖な地に来たからといって、清らかな気持ちになるとは限らないのだ。
食べ過ぎている、というのも大いに関係していたかもしれない。
自分の駄目さ、醜さ、卑しさが止めどなく浮かんでくることを、私はただ受け入れていた。
むしろ、手放すために、こうしたドロドロしたネガティブな気持ちや過去の出来事が浮上してきているのだと解釈した。
一度、こうして自分の醜さを認識してしまうこと。
これもまた、出雲の地が与えてくれたありがたい浄化の一つなのかもしれない。

そんなことをぼんやり考えつつ、お腹いっぱいの私は、日御碕神社に行くためのバスを目指した。
バス停に着いた瞬間、血の気が一気に引いた。
え。
バスは5分前に行ったばかり。次は1時間半後。15時台になってしまう。
蕎麦のロスタイムが悔やまれた。
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