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メタバースはSNSの限界を超えるか「見る」から「居る」へ変わる、つながりの形

どうも、メタバースで物語を紡ぐストーリーメイカーの久我レイジです。

SNSって、どこか流れていく場所なんですよね。
タイムラインを眺めてると、次々に新しい投稿が出てきて、気づいたらさっき何を見てたかも思い出せない。

でも、メタバースに入ると、それがピタッと止まるんです。時間じゃなくて、空間の中で人と出会うから、見るよりも、居ることがメインになる。


SNSが言葉の世界なら、メタバースは空気の世界に近いのかもしれません。同じ空気の中で笑って、話して、その瞬間がちゃんと記憶に残っていく。

情報の海じゃなくて、人の温度がある居場所の海へ。

今日は、メタバースが居場所になる理由について話してみます。


 情報の海に、漂うように生きる時代

SNSを開くと、まるで海みたいに情報が押し寄せてきます。新しい投稿、新しいトレンド、新しい誰かの意見。

それを追いかけているうちに、いつの間にか「流れに乗ること」自体が目的になっていく。

気づけば、発信も競争みたいになっていました。
いいねの数や再生回数が、自分の価値を映す鏡みたいに見えてくる。

でも、その数字が少しでも下がると、胸の奥がざわつく。本当は、ただ誰かと気持ちを分かち合いたかっただけなんですよね。

つながるために始めたはずの場所が、いつの間にか「比較」と「焦り」で満たされていた。


それでも、画面を閉じきれない。
誰かの反応ひとつに、まだつながっていたい気持ちが残っているから。

メタバースがくれる、空気のつながり

メタバースの中に入ると、不思議な静けさがあります。誰かの声が遠くから聞こえて、灯りの柔らかい部屋で人が笑っている。

そこでは、SNSのように投稿ボタンを押す必要もありません。ただ、その空間に居るだけで、ちゃんとつながれる。

僕が最初にclusterに入ったときも、そんな感覚でした。

文字もタイムラインもない世界で、アバターが肩を並べて座っているだけなのに、そこには空気の会話が流れていた。

クリエイターズマンションで誰かの部屋に遊びに行った夜、「おかえり」でも「久しぶり」でもない、ただの沈黙。

それが、なぜか心地よかったなと。

あれはきっと、情報ではなく存在でつながっていた瞬間なんだと思います。

SNSは言葉でつながるけれど、メタバースは空気でつながる。


同じ空間に居るというだけで、言葉よりも深く、やさしく、人と交われる。それが、この世界のいちばんの魔法だと思います。

現実と仮想のあいだで、生まれる居場所

VRの世界に入ると、どこか安心できると感じる人がいます。

顔を見せなくても、声を出さなくても、ちゃんと「ここにいる」と感じられる。現実ではうまく話せない人も、仮想の中では自然に笑えることがある。

僕もそのひとりです。
人見知りで、話しかけるまでに時間がかかるタイプ。

clusterのイベントで、誰かが「今日は無言勢で・・・」とつぶやいたあと、その人のアバターがステージの端で静かに拍手していました。

それだけのことなのに、なぜか胸の奥があたたかくなったんです。

テクノロジーって、一見すると冷たい仕組みのように見えますよね。でも本当は、安心できる距離をつくるためのものなのかもしれません。

現実と仮想、その境界は少しずつ曖昧になっている。

けれど、その曖昧さの中でこそ、人が素のままでいられる居場所が生まれている気がします。

テクノロジーの本質は、孤独を癒す力にある

便利さを追いかけてきたこの世界で、人が本当に求めていたのは、つながりよりも寄り添いなんだと思います。

SNSが人をつなげてきた時代の先に、メタバースは「一緒に居る」という体験をもたらした。
それは、言葉では届かない優しさを形にするテクノロジーです。


誰かがそばにいるだけで、画面の向こうでも心が少し軽くなる。そんな瞬間を生み出せる仕組みなら、それはもう立派な次のSNSだと思います。

テクノロジーは冷たくなんてない。
人の孤独を癒すために進化してきた、とても人間的な力です。

だから僕はこれからも、その力を居場所を見つける道具として使っていきたい。

誰かと一緒に、もう少し優しい空間を探していきたいと思います。


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