表現に正解はない。声も動きも重なり合うドラマ体験
どうも、久我レイジです。
僕がメタバースドラマ『クロスロード』を作っていて、ふと気づいたことがあります。この作品は、ただ誰かを楽しませるために作っているつもりだった。
でも最近、思いがけないメッセージや声をもらうことが増えて「表現の形は一つじゃない」という当たり前のことを、改めて実感させられています。
今回は、そんな声を受け取ったことで、自分の中にあった前提が少し変わった話をしたいと思います。
⬇️ラジオ形式でこちらではお伝えしています💁
声がなくても伝わる表現力|無言演技が可能にするドラマ体験

メタバースの中には、【無言勢】として活動している人がたくさんいます。VRやフルトラッキングを使って、言葉を使わずに演技をしたり、空気をつないだり・・・・それも立派な表現です。
無言である理由も人それぞれです。
声による身バレを避けるため
女性が嫌な相手に絡まれないようにする防御手段として
そしてもちろん、身体的・発声的な理由で声を出せない人もいます
でもどの理由であれ、表現への意志がある限り、声がなくても伝わるものはちゃんとあると僕は思っています。
クロスロードが示す未来|メタバース表現が想像を超えていく瞬間

この作品には、アバターを通じた演技があります。でも、演技する人と、声を出す人が別でもいい。
モーションを担当する人と、台詞を演じる人が別でも、感情はちゃんと伝わる。
声が出せなくても、表現はできる。
クロスロードという作品が、その手助けになる瞬間がある。
この『クロスロード』というドラマは、最初は僕ともう一人、2人だけで手探りしながら始めた作品でした。どうやったら表現になるのか、どうすれば物語として伝わるのか、悩みながら少しずつ積み上げてきた日々。
そんな中、ありがたいことに、少しずつ「一緒に関わりたい」と言ってくれる仲間が増えてきて、
今では、僕の想像を超えるスピードで作品が育ってきています。
楽しいをメインに創作してきたつもりでした。
でも今は、それだけじゃない。
誰かの役に立つ。
その可能性を持った作品が作れるということが、とても嬉しいと感じています。
創作の意味が、少しずつ変化してきているのを感じています。
メタバースで広がる表現の可能性・クリエイターが掴む新しい舞台

メタバースという空間には、現実の制限を超える力があります。
声を使わなくても、演技ができる
姿が見えなくても、感情は届く
役割が分かれていても、作品は完成する
一人じゃできないことでも、誰かと力を合わせれば表現はもっと自由になる。
『クロスロード』という作品は、その小さな実験でもあります。
アバターアクター、声優、編集、演出…
それぞれの役割がつながって、ひとつの物語を形にしていく。
それぞれが無理なく関われて、気軽に表現できる場所になればいいなと、今はそんなふうに思っています。
表現は人を救えるか?メタバース作品が誰かの力になる瞬間

たった一人でもいい。
この作品を通して「声が出せないから」「声を使わないと決めたから」と表現を諦めていた人が、もう一度「やってみよう」と思えたり、活動の場を少しでも広げられるなら・・・・クロスロードという作品を続けてきて、本当によかったと思えます。
声がなくても、表現はできる。
僕はこれからも、そう信じて活動していきたいと思います。
そして、『クロスロード』という交差点で、これからも誰かと出会い、一緒に作品を作っていけたら嬉しいです。
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