遊んでるように見えるSNS活動が、家族に一番理解されない理由
どうも、
メタバースで物語を紡ぐストーリーメイカーの久我レイジです。
SNSの活動は、家族になかなか認めてもらえません。それは、結果がなかなか出てこないからです。
これは不満でも、愚痴でもありません。
たぶん、そういうものなんだと思っています。
SNSの活動は、途中が一番見えにくい

SNSで何かを続けていると、自分の中では少しずつ手応えが積み上がっていきます。
何がダメだったのか。
次は何を試すのか。
前より迷わなくなった感覚。
でも、それは外からは見えません。
家族が見ているのは、今、生活がちゃんと回っているかどうか。
そこだけです。
結果が出ていない活動は、どうしても「途中」に見える。たぶん、それ以上でもそれ以下でもありません。
ゲーム配信は、遊んでいるように見えてしまう

たとえば、YouTubeの再生数を伸ばすために、
ゲーム配信をすることがあります。
本人は、いたって真面目です。
どこで人が離れるのか。
どんな流れなら最後まで見てもらえるのか。
数字を見て、考えて、修正しています。
でも、家族から見ると、ただゲームをしているだけに見えてしまう。
画面の向こうで何を考えているかは、どうしても伝わりません。
「家庭を見てほしい」という視線

「そんなことをやっている暇があるなら、
家庭のことに、もっと目を向けた方がいいんじゃないか」
言葉にされることもあります。
もしくは、そう言いたそうな目を向けられることもある。
責められているわけではない。
ただ、見ている優先順位が違う。
そういう話だと思っています。
遊びと仕事の境界が曖昧な世界

SNSの活動は、遊びと仕事の境界がとても分かりにくい。
特に、楽しそうに見えるものほど、真剣さは伝わりにくい。
本人がどれだけ考えていても、見え方は簡単には変わらない。
このズレは、努力で解決できるものでもない気がしています。
無理に理解してもらおうとしなくなった

以前は、ちゃんと説明した方がいいのかな、
と思っていました。
理解されないのは、自分の伝え方が悪いからじゃないかと。
でも、説明しなかったからといって、
何かが壊れたわけでもありません。
日常は、そのまま続いています。
家族が見ているのは、活動ではなく生活

家族が見ているのは、SNSの中身ではありません。
生活が回っているか。
無理をしていないか。
責任を放り出していないか。
そこさえ崩れていなければ、今は、それでいい。そう考えるようになりました。
それでも続けている理由

それでも、SNSの活動は続けています。
理由を聞かれても、うまく言葉にはできないと思います。
ただ、続けている時間の中でしか、見えないものがある。
結果にはなっていないけれど、何も起きていないわけでもない。
その感覚だけは、今も手元に残っています。
理解されない時間について

SNSで何かを続けるというのは、結果が出るまで、誤解されたままでいる時間を引き受けることなのかもしれません。
今は、まだ外に見えていないだけ。
説明できる段階じゃないだけ。
そう思いながら、今日も画面の前に座っています。
こちらもオススメ⬇️
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは作品づくりの活動費に使わせていただきます。応援していただけると、とても励みになります!