声(1)
【あらすじ】
『音声合成サービス』のアプリを取り扱っているパルス社に勤める乙顔恵美子は、上司の椎木拓人に、アプリの利用者が聞けるラジオ「ホイッスルラジオ」のパーソナリティの担当を引き継いでほしいと頼まれていたが、学生時代の声にまつわるトラウマにより断り続けていた。
事故で失った母親の声をアプリを活用して取り戻したいと希望を抱く恵美子の元に、母の旧友が訪れ、その際に母が過去にコミュニティラジオのパーソナリティを担当していた可能性を耳にすることとなる。
母の「声にならない声」を聴くために、ラジオの音源を手に入れたい恵美子は、母親に協力を仰ぐが断られてしまう。周囲の協力を得ながら恵美子はラジオの情報をつきとめていくが……。
【リンク】
2話
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3話
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4話
https://note.com/kuma_san_note/n/n63a218659ed0
5話
https://note.com/kuma_san_note/n/n6c1248c88980
6話
https://note.com/kuma_san_note/n/n01bcbbd8f16d
7話
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【本編】
「そういえば、確か誕生日だったな」
壁に貼られた店内メニューの『コロッケ定食』の達筆な手書き文字を眺めて、そんなことを思い浮かべた、平日の午後。
会社近くの定食屋。乙顔恵美子は、店員がコロッケ定食を運んできたタイミングで、割り箸をぱちんと割った。机の上のスマホを、椅子の背もたれにあるショルダーバッグにしまい込む。
目の前の白いお皿からはみ出しそうな、芸術的に細かく刻まれた山盛りの千切りキャベツ。
それは脱穀前に積まれた稲穂の束のようでもあり、高級レストランの背の高いモンブランのようでもあった。ソースをかけすぎたくないので、容器の傾け方を意識し、手際よく前腕を円の動きでコントロールする。とろりとした液体をキャベツの山の表面に振りまいた。
昨日は母の誕生日だった。
母の手作りのコロッケは、トントントン、ザクザクザクと小気味よくキャベツが刻まれる包丁のリズムから始まる。ぐつぐつとじゃがいもをゆでる鍋の音。ジュ―ッと油が反応してから、いい頃合いで漂う食欲をそそられるあの匂い。家族はみな元気にしているだろうか。
恵美子の家族は、恵美子が大学生の頃、遠い西の地へ越した。父親の転勤の都合で長崎への引越しを余儀なくされることとなったが、大学を変更したくない恵美子だけがそのまま東京の実家に残り、社会人となった現在も住み続けている。
流行病の影響もあって、しばらく家族の顔を見ていないことに気づく。
恵美子の父は長年造船業に携わっている。彼は造船技能者として、板材、型鋼などの鋼材を切断・加工形成したものを溶接により接合して組立て、構造物である船体を造る船殻工程に関わっていた。横浜の港の工場から、長崎の工場に移った現在も元気に勤めている。母は恵美子が幼少の頃、大手の保険会社に所属していたが、ある理由があって退職した。しばらくして他の仕事についたが、長く続けることはなく、今は自宅で主婦業をしている。五歳下の妹奈津は、大学生。卒後就職した会社の忙しさなどを理由に、恵美子は長崎の家からすっかり足が遠のいてしまった。
恵美子は母のコロッケが好きだった。
当時、母はフルタイムで働いていた。帰宅が遅く、帰ってからもばたばたと忙しなく動く姿が、今でも鮮明に思い出される。
洗濯物を取り込み、買い物してきた食材を冷蔵庫に入れ込んで、エプロンをする間もなく仕事着のスーツのまま食器を洗う。時間的な余裕はなく、手の込んだ料理は作れない。スーパーで購入した惣菜や、味付けができるレトルトの炒め物などに頼らざるをえなかったが、恵美子も奈津も母の忙しさを充分理解していたので、文句を言うこともなく子供達は素直に育った。
母は休日になると、コロッケを揚げた。
「お惣菜のコロッケもいいけれども、出来たてが一番よね」
と言いながら、一度に食べきれないほどのコロッケを大量に作って家族にふるまった。
「お母さん、もっとコロッケに色々入れてくれたらいいのに。コーンとかグリーンピースとか……」
奈津は惣菜のコロッケに入っている具材を挙げて、母のコロッケの物足りなさを訴えていた。
「お母さんの素朴なコロッケが好きだけどな」
恵美子は、奈津に対抗するように意見を述べた。母はそんな二人の様子を微笑ましく眺めながら、食べきれなかったコロッケを冷凍しはじめた。後日、そのコロッケをお弁当に入れてもらうのも、恵美子の楽しみの一つでもあった。
一口かじると衣がカリッと音を立てて、サクサクッとした食感が口いっぱいに広がる。中からはホクホクと湯気を立たせたじゃがいもたちが顔をのぞかせた。母のコロッケはじゃがいもを完全につぶさず、ゴロゴロと塊が残っているのが特徴的だ。コロッケだけでもおいしいが、キャベツのシャキシャキ感、みずみずしさとの組み合わせも、相性抜群である。この瞬間、恵美子の体にはあたたかいエネルギーが充填される。合わせ鏡のように、お互いに似通った笑顔を交わした。
幼い頃から変わらない母の陽だまりのような笑顔。やさしくまなざす大きな瞳。はぐれないように手繰り寄せた手のひらのぬくもり。恵美子は母が大好きだった。もう、彼女は今年で何歳になるのだろう。
定食屋を後にした。昼休みの時間内に戻れるよう、まっすぐ帰社する。パン屋が隣接した小さなスーパーと個人経営のカメラ屋、のぼりにたい焼きのイラストが描かれた和菓子屋の横を通って、年月を感じさせる錆びた歩道橋を渡り、新幹線の陸橋の下をくぐりぬける。りんごマークのスマートフォンショップの向かい側にある、大きなガラス張りの建物に、恵美子の勤め先のオフィスがある。ビルの五階までエレベーターで上がり廊下を小走りに歩いて室内に入った。
室内のはしっこに存在している透明なせまいガラスの向こう側の個室ブースで、椎木拓人が帰ってきた恵美子に気づき、右手でつかんでいたイルカのぬいぐるみを頭上に掲げた。
椎木は恵美子の上司で、パルス社という会社の社員だ。彼が持っているのは会社のイメージキャラクターのイルカの『ルカちゃん』。設定はメス。まつげとリボンがついていて愛らしい表情をしている。
椎木は細身な優男であるが、独特で控えめなユーモアを持っており、その柔和な雰囲気からは想像もつかない視野の広さや意見のするどさに、上層部も信頼を置いていた。
恵美子が就職したパルス社が扱うのは『音声合成サービス』。コンピューターを使用し、人間の声を真似た音声を人工的に生成する。テキストに打ち込んだ文字を、生成された声が読み上げるシステムを開発し、それらは簡単にアプリで使用することができる。
サービスの活用具体例を挙げると、カーナビゲーション、店内放送のアナウンス、コールセンター、教育分野など、様々な企業や公的団体、民間団体が参入している。個人使用もできる。自身の音声情報をあらかじめアプリに入力すると、テキストを打つだけで、まるで自分が話したかのような音声を作り出すことができる。こちらはV-tuberや、介護分野などで幅広く活用されている。
「これからラジオだから、おとさんはシーッね!」
椎木は口に人差し指を当てて、ガラス越しに恵美子に話しかけ目配せをした。恵美子はオッケーサインを胸元に作って椎木へ見せ、自身のデスクへ戻る。
「さて、本日もホイッスルラジオが始まりました。この番組はわたくし椎木が担当させて頂きます。よろしくお願いします。本日の内容は当社のサービスを利用されている方たちの『声』についてご紹介をしていきたいと思っています。と、その前に今日の『声』にまつわる話。今日は『可聴音』について」
椎木はアプリの利用者が聞けるラジオのパーソナリティを担当している。音声合成サービスを扱っている会社がわざわざAIではない声で配信する事に、疑問を持たれることは多い。それは、当然の疑問だと恵美子は思う。通常ならこの番組は、合成した音声がいかに流暢に話せるのか、違和感なく相手に情報伝達できるのかを、顧客にお披露目できる良いチャンスだからだ。
だが、椎木はあくまでも生身の人間が伝えるということにこだわった。
「いくら機械やコンピューターが優れた世の中になっても、僕は人間が発する声の質感に優るものはないと思っている。本当に大切な事はやっぱり、きれいに伝えなくていいんだよ。たどたどしくたって弱々しくたって、自分の声で伝えたいでしょ?」
椎木はこともなげに恵美子に説明した。彼は彼なりのスタンスや軸がある。恵美子はそんな彼の信念を好ましく思っていた。理屈はよくわからないが、彼の発言には確かな温度と重みを感じた。
「まあ、そうやって言っておけば、僕が噛んだり言い間違ったりしても、許してくれるかなぁという狙いもあるんだけどさ」
椎木は頭をかきながら、最後にきちんと自身をオチにつかってその場の空気を和ませた。
恵美子は彼の意見には、毎回100%近く賛同した。彼のアイディアがうまく運ぶように部下として力を尽くした。けれども恵美子は、最近彼が提案してきたある一つの意見には、最後までイエスと首を縦に振ることができなかった。
その提案は、彼が務めている『ホイッスルラジオ』のパーソナリティの担当を恵美子に引き継がせたいという申し出だ。
「ちょっと……私なんかには務まらないですよ」
と、考える余地もなく、椎木に結論を伝える。
「私、変な声だし……大きな声が出ないし……コンプレックスなんです」
「おとさんの声、僕好きなんだけどな。けっこうラジオのパーソナリティ向けだと思ってる」
椎木の返事は予想外だった。しかし彼は、消極的な彼女の返事を聞いてから、以後、強く意見を伝えてくることはなかった。
恵美子は自身の声にまつわる苦い思い出があった。
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