Dive(4)【創作】
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【4話 狐は舞い、猫もくる】
「昔は干潟が多く、アサリ、ハマグリ、バカ貝がたくさん取れましたが、今はほとんど……特に都会に行くほど埋め立て地が多くなっています。藻場では産卵にくるイカが取れていたし、砂地はエビがたくさん取れました。昔は豊富に生きていた生き物たちが、貧酵素の問題や、漁獲量の増加、水源の整地によって少なくなり、希少な存在になっています」
室内灯を落とした暗い教室の中で、三十人程の生徒たちがスクリーンに映し出された資料を静かに見つめている。教壇ではずんぐりした体型の男性が、ハンカチで汗を拭きながら、着慣れないブルーのYシャツ姿で、東京湾の海の歴史や環境問題について説明をしていた。
漁業組合の職員の一人、桜井くん。
彼は良明の同級生だ。
地元の高校の社会科の授業で、特別授業を依頼されている桜井くんの話の後に「昔から漁業に関わっていた生き証人」として、私はなぜか毎年助っ人を頼まれている。
私が話す内容は「海苔漁業の変革」について。江戸後期から始まった海苔の養殖は、昭和の時代までひとつひとつが手作業だった。雨天の日などは網を手作りし、竹やヨシも発注したり、刈り取りに行った。海苔のタネつけや採取、四角い枠に入れて、天日干しにする過程まで、全てが人間の手で行われていた。
今は機械化が進み、網も手作りしなくて良くなった。「べた流し」という方法で海面に網をはる。独特な形をした海苔の採取船で、網の下をくぐって、機械で採取し、獲れた海苔も全て機械で乾燥まで仕上げてくれる。
スクリーンに映し出された写真は、私の家のものや、漁師仲間、地元の資料館の展示物を桜井くんがまとめてくれたやつだ。貴重なモノクロ写真なども混じっている。
機械化で安定して高品質のものができるようになった反面、冬場の温暖化の影響で海水温が高くなり、海苔が育たなくなってきている。赤潮が発生しやすくなったり、海の状況が悪くなってきている……のあたりが、おそらく今流行りの「SDGz」やら「サステナブル」やらの内容にひっかかるのだろう。
高校生には退屈で、おそらく興味関心はない。
目の前の子も、こっくりこっくり居眠りして舟をこいでいるように見える。けれども学校の先生はこのような話が好きなのだ。公的機関は「やってる」感が大事なのか。私は、誰も聞いていないかもしれない可能性を胸に秘めながら、今、教壇に立っている。窓から見える雲が、近所のパン屋さんのチョココロネみたいな形をしているな、と集中力に欠けている自分を自覚した。
※
授業終了後に、喫茶店で桜井くんと遅い昼食をとった。
奢ってくれるというのも毎年のことだ。
桜井くんが緑の深いソファに座って真正面にいる。昔から比べるとお腹のお肉がついたせいか、腹部のYシャツのボタンが必死に耐えているような格好で、布がひっぱられているのがわかる。彼はナポリタンを頼み、私はえびグラタンを頼んだ。
「京子さんは、体調はどうなの?」
「おかげさまで相変わらずよ。低空飛行で頑張ってますよ」
「この前、良明と会ったよ。今は京子さんちにいるんだってね」
「そうなの、よっちゃんいると力仕事が助かるの」
「良明さ、祭りの笛を練習してるでしょ。今年はめずらしく『踊り』もやってるんだよね」
「え?『踊り』もやってんの?知らなかった」
えびグラタンをスプーンですくって、チーズがとろーんと伸びたタイミングで思わず目を丸くして驚いた。チーズをくるくると巻いて、やけどしないようにフーフーと息を吹きかける。
「よっちゃんは何の役の踊り?……待って待って!私が当てるから……えーとね、あれだ!『狐』でしょ!」
「さっすが!京子さん、よくわかったね」
良明が舞う姿。一瞬、背すじがぞくっとした。あぁ、狐のお面をつけてひらりとステップを踏むのが容易に想像できるなぁ。
「私は昔から、あの子は動物っぽいところがあるってずっと思ってた」
「僕はさぁ、こんなにおじさんになっちゃってさ。ザ・中年を自分でも感じるんだけど、良明は何あれ!スタイルも崩れないしさぁ、服装はシンプルだけどおしゃれだしさ、年は取ったけどイケオジの塊みたいな感じで嫉妬しちゃう。僕もアメリカに行ったら変わるかな、ブラッド・ピットみたいになっちゃおうかな」
私と桜井くんは大きく笑い合った。桜井くんはお腹をぽんぽんと叩いている。
「ブラピにならなくていいわよ。腹筋も六つに割らなくていい。桜井くんはそのまんまでいいの」
「京子さんは感じない?あいつめちゃめちゃ昔からモテてるんだよ」
「わかるような気もする。無駄に色気を振りまいているなぁとは思う。ましてや、ひとつ屋根の下に一緒にいると、いくら鈍感な私でも感じます。でもあの子、小さい頃からちっとも変わってないわ」
砂まみれや泥んこまみれでけらけら笑ったり、カエルをつかまえてきて私を驚かせたり、かけっこに夢中になって派手に転んで、涙をこらえている姿を今でも思い出す。
良明は狙ってあのように生きている訳ではない、と伯母の立場として思う。彼はあくまでも自然体のままだ。私の妹の陽子とそのあたりはもしかして似ているのかもしれない。私は地味だったが陽子は華があった。彼女もどこに行っても周囲の人目を惹く子だった。
桜井くんの話を聞いて、良明の変化をさらに感じた。彼は若い頃から、田舎の閉鎖的な世界に飽き飽きしている様子が見て取れた。だからこそ、早々と出て行ってしまったのだと思う。しかしここ数年。少しずつこの村へ帰ってくる頻度が多くなった。心境の変化があったのかはよくわからないが、祭礼に本腰を入れて参加しようとしている姿勢が、今までの彼とはまた違ってきていることを感じさせた。
桜井くんの車で私の自宅へ送ってもらった。
帰ると、路地裏で良明と鈴ちゃんが電柱で「だるまさんがころんだ」をして遊んでいた。良明は大げさに倒れそうなそぶりをしたり、わざと変な恰好をして、鈴ちゃんをくすくす笑わせていた。
「亜子が急に会社に呼び出されちゃったみたいで、俺が保育園に迎えに行ってきた」
皆で自宅へ入って、鈴ちゃんは塗り絵をし始めた。アンパンマンの塗り絵を少しはみ出しながらも赤いクレヨンで丁寧に塗っている。先日の「真っ黒な絵」の話を私は思い出していた。
「桜井くんと学校に行ってきた。今の若者は変わった、何を考えているのかよくわからないって同年代の人たちからよく聞くけど、私から見ると、それは昔っから変わってない。やっぱり昔も、それこそ咲や良明が高校の頃だって、私は子どもたちが何を考えているのかよくわからなかったし、自分自身の時だってわからなかった」
「そんなもんかもね」と良明はコーヒーカップを片手に持って、片手はポケットに手を入れながら柱にもたれていた。
私は話しながら、その昔、この海で亡くなった女の子のことを思い出していた。あの子はまだ高校生で良明たちと年が近かったように思う。寒い雪の日に海で遺体が浮かび上がった。人が少ない田舎町ではかなり大きな出来事であった。新聞やニュースにも取り上げられ、しばらく報道陣が村中を歩き回っていた。自殺か事故かは結局わからず、いじめられていたのでは?という噂も度々聞こえてきた。
それからだ。この村の子供たちへの大人の監視の目が強くなったのは。市は各教育機関に心理士を置いたり、いじめへの反対運動イベントを積極的に行ったりして、子供たちに寄り添おうと努力している。しかし、私から見るとやや空回りしている印象もあった。それは、この前の鈴ちゃんの真っ黒な絵事件についても思うところでもあった。
頭を切り替えて、今日あった出来事を良明に報告する。
「桜井くんに『うちの夫ってどういう人だった?』って聞いてみた」
「サクはなんて言ってた?」
「『おじさんは穏やかでやさしくて静か』って彼は言ってたわ」
「まぁ、知ってる9割の人はそう言うだろうね」
「そうね、私もそう思う」
「じゃあ、目新しい情報はなかったってわけだ」
「そう、残念ながら。......よっちゃんは、うちの夫はどういう人だったと思う?」
「え?いきなりだな」
良明は視線を斜め上に向けて、手を顎について考えこんだ。
そして一分ほど経ったのちに「海」とひとことつぶやいた。
「海?」と私は聞き返す。
「そう、海みたいな人。深くて、底が知れない。おだやかで栄養もくれるんだけども、未知なる領域がある。誤解しないでほしいんだけども、いい意味できちんと『こわさ』もある。沈黙や余白をしっかりと持っている人」
思った以上の答えが返ってきて、私は呆気に取られた。
「何?なんか変なこと言った?俺?」と良明は少し不安そうな顔をした。
私はそんな自分をごまかすために「桜井くんがよっちゃんが昔からモテモテで大変だったって言ってたよー」と返事をせずに軽口をたたいた。
「そういう京子さんこそいい女だと思うよ」
良明は真面目な顔をしてこちらへ振り向いた。目の力強さが、本気であることを物語っている。
意外な返事の連続に、私は困惑した。
「子供が大人をからかわないでちょうだい。棺桶に片足つっこんでる人間に言うことじゃないわ」と、動揺を隠しきれずに、目を逸らしながらやや早口で返す。
「俺もすっかり大人なんです。昔から京子さんは素敵だなと思ってて.....あぁ!そうだ!」
良明はポンと手を打って、先ほどとは打って変わってきらきらした表情でこちらを見据えた。
「黒い絵!」
良明が発言したタイミングで、鈴ちゃんがちょうどこちらに近づいてきた。
「ねぇ、よっちゃん!Qooちゃんのオレンジジュース飲みたい」
良明が冷蔵庫にあるオレンジジュースを出してコップに注ぐ。鈴ちゃんはお行儀良くテーブルに座ってそれをこくんこくんと飲み始めた。
「黒は猫だって」
「へ?猫?」
「さっき、鈴と港に行って、よくこの辺にいる黒の野良猫に会った。鈴はその子と仲良しみたいなんだ。近寄って顔を腹にうずめてた。その時、ハッとして聞いてみた。『最近、猫の絵描いたりした?』って」
「えええ!そういうこと?」
「そう、そういうこと。鈴が好きなのはその黒猫なんだよな」
「猫ちゃん描いたの」
鈴ちゃんは辿々しく話し始めた。
「鈴ね、いつも猫ちゃんのお腹の黒のふわふわしたあったかい毛が好きなの。でもね、先生がなんだか怒ってるような感じがして、言えなかった。何度も聞いてきてこわかった。パパも聞いてきたけども、怒られちゃうと嫌だなと思って言えなかった」
「猫の絵、鈴はとてもよく描けたと思うから、今度おじちゃんに見せてみな」
鈴ちゃんは満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。
「ほら、心理士なんていらないっしょ?」と、鈴ちゃんの頭を撫でながら、良明は勝ち誇ったような顔をした。
迎えに来た亜子ちゃんに、私と良明から、鈴ちゃんの真っ黒な絵の正体は、猫の絵であったことを伝えた。
亜子ちゃんは仕事の疲れもあったのか、大粒の涙を流して鈴ちゃんを抱きしめた。誰だって、自分の子に欠陥があるというような行動をとられたら不安になる。亜子ちゃんもかなり心配だったのだろうと思う。
海は満ち潮で、気水域の水量は橋桁に近づいていた。
とぷんと、小さな魚が跳ねた気がした。
夕刻の空が、鈴ちゃんがさっきまで飲んでいたオレンジジュースのようにあたたかく染まって、亜子ちゃんと鈴ちゃんが乗った車を白くぴかぴかと照らしていた。
車が見えなくなるまで手を振った後、海の向こうに大きな船が浮かんでいるのが見えた。
変わっていく海と、いつまでも変わらない田舎の風景を重ねながら、私は在りし日の夫の笑顔を思い浮かべていた。
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