回避しないための回避
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回避しないための回避
見て見ぬふりするみなさん、ごきげんよう。
わりと最近の不倫報道で、成田悠輔さんの名前を目にしました。なんとなくメディアで彼の名前を見るのは久しぶりな気がします。わたしが大学生のころ、日本のメディアでちょくちょく露出していたのを見かけたことがあって、将来有望な学者って印象だったけど、いつの間にか天才にまで担ぎ上げられていたので、日本のメディアは肩書きで天才のラベルを貼りたがる傾向が強いと感じたのは、このあたりからだったと思う。
そんな成田さんの不倫報道を見て、メディアに重宝されはじめた頃の発言、「集団自決」を何の気なしに思い出しました。彼の代表作「集団自決」はずいぶん話題になりましたよね。たしか、そのあとしばらくして、山本太郎が官庁関連の広告に成田さんを起用していることを、岸田文雄に激しく問い質す姿を何かで見た気がします。
悪趣味な人間を政府が広告に起用していいのか、という趣旨だったことは覚えているし、「こういう人が政治家になるから、ポピュリズムが悪いものであるかのように扱われるんだなぁ」とプリッツを食べながら思ったことも記憶しています。ちなみにサラダ味です。
なぜか失言として扱われて問題視された成田さんの「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という発言は、わたしにとって驚くほど正論だったので、世間が老害を嫌うわりに老害を許容し、成田さんの指摘そのものを体現していることを、間の抜けた悪い冗談みたいに感じました。やっぱり文脈や内容よりも表現がすべてのようです。年寄りの血肉に寄生する側にとっては、格好の餌となったわけです。
ただ、本人も反省してしまったみたいだし、NYTという権威も悪趣味な表現として取り上げていたので、ここは媚びておきましょう。敬意を込めて、成田め(笑)
ということで、成田悠輔さんを生け贄にして、わたしをドローします。
わたしはこのnoteでは、敵国という表現をたびたび使っています。ロシア、中国、北朝鮮、韓国。このあたりを指す言葉として使っています。これ、政治思想と思われがちな表現だと自覚しながら使っているのです。なので、誤解はいちおう解いておこうかなって、思いました。というより、自分の中で「もやっ」とした気持ちをすっきりさせておきたいだけかもしれません。
これまでわたしの文章に付き合っていただけた方なら、人となりもなんとなく掴んでもらえたと思うので、不自然な表現という違和感より、「らしさ」として捉えてもらっていると信じています。そうでない方のほうが、もちろん多いと思うので、なぜわたしが特定の国家に対して敵国と言うのかをはっきりさせておきましょう。
まず、政治思想とは無関係だということです。わたしは政治に疎いし、政を生業にする人間を例外なく信用していません。信用できるのは過去になったとき、歴史が評価した人物くらいなものでしょう。ただ、無政府主義でもないので、誰かがやらなければならないと思っています。だから、他に能のない暇な人がやればいい、というのがわたしの気持ちです。
ちなみに生まれてからずっと、すべて白票を投じています。どの政党もどの議員も等しく支持しないという明確な意思の表明なのです。わざわざ投票所まで行くのがばかばかしいけど、行事として割り切っています。いつか政治家の名前を書ける日がくるのを切に願って。
だめですよ真似しちゃ。しっかり思想をもって、永久に無益な言い争いでもしていてください、国のために。言いたかったのは、そもそも、わたしは政治思想が薄いということなんです。
つぎに、敵国という表現を、わたしは単に敵国に対して使っています。事実、日本国に対して敵意を示し、敵対する国家への表現です。もう少し噛み砕くと、積極的に日本国へリスクを生む国家、組織、主義・思想に対してのみ使っている言葉なのです。猛暑日に外へ出たときに、「あっつ」と言うのと同じです。
「あれ? 韓国ってそうだっけ?」という問いには、「もちろん、敵国です」と答えます。基本的に特定の国に対して敵意を促す教育を政策として実行する時点で敵国ですし、いかなる場合においても外交を拒否し、実力行使をする相手は敵国です。二国間条約を一方的に破棄・違反するならなおさらです。ものすごく当たり前のことしか言っていないので、なんだか恥ずかしくなってきましたが、重要なのはこの次です。
わたしの中では整理できているけど、言語化するととても厄介なことがふたつあります。これも驚くほどふつうのことなのですが、その国の個人や企業が一律に敵なのかというと、個別の言動や思想に基づいて、敵かそうでないかを分けて考えています。なので、おそらく、民族主義的な思想は、個人を判断基準にするわたしにとって原理的に矛盾するので、そうした思想を持つ方は軒並み敵になるでしょうし、そうした言動は余さず敵です。わたしの権限や裁量の範囲内なら、そうした個人・企業を何かしらの手段で排除し、取引には応じません。これが仕事上で、わたしが扱いづらい人間だと言われる理由なのです。(笑)
歴史嫌いなわたしにとって、歴史なんてものは教訓と反省の材料に過ぎません。わたしは今を生きているので、過去の当事者ではない人間に責任を相続させるやり方にはついていけないし、愚劣極まりない手段だと認識しています。それに屈する側もまた、「政治的立場は難しいものだ」と言い訳をして、暗に責任を軽視する。そんな事なかれ主義にうんざりしています。
ただ、唯一救いがあるとするなら、この先、きっとこうした考えが主流になり、個人間の関係と国家の目的は大きくずれていくでしょう。これが国民国家の分断、あるいは限界というやつだと思います。
最後に、以前も言いましたけど、わたしの文章に無駄はないのですよ。これまでわたしにお付き合いしてくれた方なら、理解できますよね。そうでない方は、もう一度はじめからどーぞ。
