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The Authority of Affection

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ジ オーソリティ オブ アフェクション

ラーメン好きのみなさん、ごきげんよう。

人にとって食とは、生きるうえで必要な動力源のひとつで、重要なライフラインです。それと同時に嗜好品でもあって、芸術性など本来の食以上の価値を持つ、資本主義的なステータスだったりします。ようするに贅沢品でもあるのです。だから、ミシュランガイドのような権威を作りたがるし、スターだけではなくビブグルマン・セレクテッドなどのカテゴリ分けもするのでしょう。「同じ金額を支払うなら、和幸よりとん八亭で食べたほうが、より満足感を得られます」という、誰かの主観的評価が下されるわけです。

わたしのようにおいしければ……最悪、まずくなければわりとなんでも満足する人にとっては、まったく余計なお世話なガイドなのです。と、こんなことを言うと、反権威主義的な思想の強めな人間に思われそうですが、権威には媚びるし、高級レストランで食事をすれば、なんだか得した気分になるので、ミシュランを否定しているわけではありません。もちろん、媚びるのと従うのは別だし、身銭を切ってまで行こうとも思いません。シンプルに他人の味覚を当てにしていないというのと、美食家ではないというだけです。

でも、こんなわたしでも、いわゆるグルメな人のお話を聞くのが好きなのです。結局、割合と比率、数学と化学の世界なのに、それを体感ベースにまで落とし込んで、時に意味付けまでする光景に、なぜ人は本質より、その上で成り立っている飾り付けに魅了されるのかを考えて楽しみたいからです。退屈な時は、あえて質問して語る勇姿を見るとほっこりします。

中でもラーメンを語る方に一定のリスペクトを持っています。

敵国の中国から派生したラーメンは、もう立派な日本の文化食——ソウルフードですが、日本的ジャンクフードとも思っています。

いわゆる「はやい、安い、うまい」なのですが、これは表面的な意味合いではなく、はやい=提供速度と回転(食べ終わる速度)、安い=料金設定と気軽さ、うまい=質と満足度、といった両義性があって、これがジャンクフードの定義を支えていると思っています。

ジャンクフードとは格式張った権威性ではなく、条件の緩い曖昧性であって、それが上記の三要素六要因ではないかなぁ、という話です。単にオペレーションの効率化というだけではないのがポイントです。つまり、誰でも気軽に済ませられる嗜好品であり、ライフラインであるといった、曖昧な立ち位置だと考えているのです。

その意味ではラーメンは立派なジャンクフードと言えると思います。

そして、そのラーメンを語る人がなぜ好きなのかというと、そんなものをなんとか権威付けようと必死にがんばっているように見えるからです。

ラーメン評論家的なポジションの方がまさにその最たる例で、わたしの知る限り、ハンバーガーやたこ焼きに評論家はいないけど、なぜかラーメンには存在します。さらに、食べ比べとしての感想は他の食にもあるけど、ラーメンは明らかに違ったポジションを取りにいっていて、また提供側もどこか「ラーメンは奥が深い」と、がんばって権威付けをします。ある意味では、料理のこだわりや奥深さは、すべてに共通しているにもかかわらず、なんだか特別感を出そうとしているのです。まるでフレンチや中華のあれと同じです。化学の前では、料理なんて統計的データにすぎないのに。

これがジャンクフードの定義と喧嘩をしていて、例の蟹ラーメンや和牛ラーメン、二郎系などといった一過性で不毛なものが生まれる要因になっていて、寿司や蕎麦のようにはいかない権威化の失敗例が増えるのだと感じています。

おそらく、料理における権威は、扱う素材や構成要素の語彙係数の多さではなく、文化的依存とブランド化が極めて重要なのではないかということです。

もし、わたしのこれらの仮説が正しいとするなら、海外由来で、寿司や蕎麦のような文化的な成り立ちを持たないラーメンを権威化するには、文化としての成熟さと時間、見せ方が重要になってくるのだろうと思います。平たくいえば、稼ごうとする前にブランド化の定着を優先し、継続する必要がある気がします。そういう意味ではミシュランガイドに掲載されるラーメン店は、戦略的に正しいと言えるのかも。饒舌に語るより黙々と見せるという、職人文化的な発想の方が優位なのかもしれません。

そして、そんな評論家的ポジションの必死さに踊らされ、「ラーメンはスープが命」的な理屈を並べ、製粉所がどうとか、加水率がなんだとか、動物系スープがうんたらなど、彼らの必死さは、好きの範疇を越え、職人的沈黙と対極にあって、権威化としては失敗する運命にあるから純粋に「かわいい」と思ってしまうのです。

あっ、このかわいいは前回の岡田斗司夫に対する「知的かわいい」とはまったく別物なので、そこだけは混同されたくないから言っておきます。今回のかわいいは、その言葉どおり、小動物やけなげにがんばる子供に向けるかわいいにかなり近いです。

明確に分類するなら、かわいいではなく、「kawaii」としておきましょう。

うん! わかりやすいです!


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