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noteには自動翻訳して欲しくないな、と脳内OSが混在している多言語話者として思った

多言語話者の私は多重人格者でもある

日本語で話している時の方が声のピッチが少し上がる。気をつけないと口角が下がって仏頂面になっている。目力はあまり使わない。

英語で話していると声が少し低音になって、目で表情を出す。笑顔も惜しまない。

ドイツ語だと英語よりもさらに低音になり、明らかに理屈っぽくなって顰めっ面が増える。

声色から表情まで変わってしまう。視線が変わるから、姿勢も多少変わる。

英独では相手の目を見据える。
低くもない自分の背をもっと伸ばす。
日本語では微妙に視線を逸らす。
頭(こうべ)を垂れる。

ドイツ語で日本語のように遜(へりくだ)ったら「どうしてそんなに謝るのか」と詰問されるだろう。

英語でドイツ語ほどはっきりとものを言ったり、Noを明確にするから、アメリカ人に「キツい(you are direct)」と評される。

日本語でドイツ語みたいに楯突いて理詰めで物事を主張することはない。情に訴える。

英語で日本語みたいに家族のことを謙遜して話さない。
子供はbeautifulでwonderfulだ。
私は子なしだけど。


使ってる言語によって、これだけ言語文化が違う。

人間の自分だって、脳内言語と使用言語がずれることがある。

だから、noteに私の文章を自動翻訳して欲しくない。

使用言語によって、対象読者層も違う。前提知識に差異がある。

これをみてみよう。

日本語で書いた印伝の話を英語にすると、妙に軽薄になっていた。
元文が軽量という話ももちろんある。

さらっと和文英訳を読むと文法的に間違いはさそうだ。

常に”I” で始まる文章が羅列にした稚拙な文体。
リズムが悪い、英語学習中の中学生みたいだ。

自動翻訳の文体が嫌いなあまり、完読する前に自動翻訳の設定を止めた。

それで、半ば仕方なく英語版を書いたわけだが、やはり言いたいことや言い方が変わる。

そんな書き手だから私は翻訳を苦手とするのだろう。

英語の脳と日本語の脳はまるでWindows OS とApple iOSのようだ。

自分が言ったこと、書いたことでさえもそのまま直訳ができない。私の投稿はだいたい二種類の別もの。

日本語との多言語話者の友人たちが、SNSの投稿で全く同じ文章を多言語で書いているのを見て感心する。

幸い、AIが下訳をしてくれる時代になった。

最後の校正や編集は、微妙なニュアンス変換や事実確認となるので翻訳もする気が起きる。
下訳を自分でやっていた昔は、それが苦行だった。

外務省の条約課での担当条約の翻訳を経て、公的文書の忠実な翻訳は随分と慣れた。

条約や交換公文を訳す時には特に、脳内エネルギーを高速度で消費する。
アウトプットの割にはエネルギー浪費この上ない。
旧型家電のようだ。

通訳だと私の脳の作りが都合が良い。
直訳すると分かりにくいことも相手に合わせて意訳する。
脳内シナプシスはパシパシ自然に繋がる。
省エネで脳を稼働させられる。
ゼロエミに近くなる。

呼吸や間に声色など、ノンバーバル コミュニケーションにも頼ってるのかもしれない。

もちろん、総理官邸での通訳では意訳は御法度だ。

表敬やレセプションでの通訳だと適度な意訳が話を円滑に進めていた。

最近では、話者があまりにも区切らず話すので、とても短くまとめたこともある。そういう瞬間的な判断力はある。

翻訳に必要な脳内持久力が付いていないのかもしれない。

語学的には私には長距離走より短距離走が向いている。
陸では走らないで歩くのが専門だし、俊足じゃないけど。

文章の性質や中身によって自動翻訳が適している場合とそうでないこともあるかもしれない。

この文章が英語に自動翻訳されるとどういうことになるか試してみよう。

この文章の英訳も気に入らなかったらnoteの自動翻訳はしばらくお蔵入りだ。

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