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34歳のベートーヴェン、寡婦であったヨゼフィーネとの恋に陥る。彼女が💗不滅の恋人💗か?

 1804年34歳のベートーヴェンは、昨年よりは少ない作曲ではあったが、重要な曲を残している。

ピアノソナタ 第21番ワルトシュタイン op.52, 第22番 op.53
交響曲第3番 変ホ長調 英雄(エロイカ)
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲 op.56

この年、アン・デア・ウィーン劇場の支配人が交代となり、J・ゾンライトナーとなった。

ヨーゼフ・ゾンライトナー

ヨーゼフ・ゾンライトナー( 1766年3月3日 - 1835年12月26日)は、オーストリアの法律家、台本作家、劇場監督、そして音楽愛好家。

ゾンライトナーは法律を学び、オーストリア政府の官僚として働いたが、彼の情熱は音楽と演劇にあった。

1804年の2月から8月までの短い期間、アン・デア・ウィーン劇場の芸術監督を務め、その後1804年から1814年までウィーンの宮廷劇場の事務局長を務めた

この時にベートーヴェンとの接点があり【フィデリオ】が創作されることとなる。

『フィデリオ』の台本レオノール、あるいは夫婦愛』を基に、『フィデリオ』の最初の台本をゾンライトナーが創り、ベートーヴェンは、この台本に感銘を受け、作曲に取り組むこととなる。
『フィデリオ』は、1805年に初演され、あまり高評価を得ず、のちに改訂され、今残っている形となったそうである。

ゾンライトナーは、劇場監督として、ベートーヴェンの作品を積極的に上演し、ベートーヴェンの音楽を広めることに貢献。
ベートーヴェンを経済的に支援した。

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ヨゼフィーネのこと。
「不滅の恋人」への手紙は、ベートーヴェンの死後、彼の遺品の中から発見され、現在ではベートーヴェンの最も有名な手紙の一つとなっている。

遺品の中にあったということは、出せなかった、あるいは出さなかった手紙ということになる。

3通の手紙の内容は、日付は7月6日と7月7日、年号は不記載。
しかし、研究の結果、1812年に書かれたもの(えっ、再婚後?)だそうだ。
内容は、非常に情熱的で、愛と苦悩が入り混じったものだそうで、

「私の天使、私のすべて、私のもう一人の私」
あなたなしでは生きられない。あなたが自分の人生そのものである…

ベートーヴェンは、愛する相手との関係が困難であることを示唆しており、二人の関係には身分的にも障害があり、簡単には結ばれない運命にあることを悟っている。また、相手の幸せを願うあまり、自分の愛が相手の負担になることを恐れていた。

ベートーヴェンは、手紙の中で自分の芸術への情熱にも触れており、愛する相手のために、自分の音楽を通して永遠の愛を表現したいと考えている、ことにも触れていた。

ベートーヴェンとヨゼフィーネ・フォン・ブルンスヴィック(Josephine Brunsvik)のと関係は、ベートーヴェンが51歳の時迄続いていたようである。

ヨゼフィーネ・フォン・ブルンスヴィックについて
 
ヨゼフィーネは、ハンガリー貴族のブルンスヴィック家の出身で、美しく教養のある女性であった。
1799年にヨーゼフ・フォン・ダイム伯爵と結婚しましたが、ダイム伯爵は1804年に亡くなり、ダイム伯爵夫婦の子どもたちのピアノ教師として雇われていたベートーヴェンは、ヨゼフィーネの身近にいた。

しかし、身分の差もあり、結婚には至らなかった。
そしてヨゼフィーネは、1810年にバルト男爵と再婚。(このバルト男爵が曲者であった。)
この結婚は不幸なものだったそうだ。そこから、家族内も周囲もおかしなスパイラルに入ってしまい、困難な不愉快なことが起こり続ける。
そして、苦難の後、彼女は42歳、1821年で亡くなるのである。

ベートヴェンは、彼女に困ったことがあった時には対策を共に考える、相談相手となっていたようだ。

さて、彼女の姉にテレーゼがいるのだが…
以下のショパンの記事時にもテレーゼが登場し、ベートーヴェンがピアノソナタ24番を献呈したことになっているという。

ショパン ☆21歳 ウィーンからパリへ|kunori

テレーゼ・マルファッティ - Wikipedia

テレーゼ・ブルンスヴィック - Wikipedia

一体どちらのテレーゼが正解なのだろう。

ベートーヴェンの周囲に同世代の二人のテレーゼがいたことになる。


Beethoven: Triple Concerto




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ピアノソナタ第21番【ワルトシュタイン】

wikipediaより
フェルディナント・エルンスト・ヨーゼフ・ガブリエル・フォン・ヴァルトシュタイン・ウント・ヴァルテンベルク伯爵
(Graf Ferdinand Ernst Joseph Gabriel von Waldstein und Wartenberg、1762年3月24日 - 1823年5月26日)は、ドイツ系ボヘミアの貴族出身、芸術家のパトロンヴァルトシュタイン家の生まれで早くからベートーヴェンパトロンだった他、ボン宮中顧問官を務め、英国陸軍中尉、ドイツ騎士団司令官などの政治的、軍事的な役職に就いた。


ワルトシュタイン伯爵はベートーヴェンより8歳年上のお兄さん的存在であったのかもしれない。
ベートーヴェン が21歳の時にはもうかなり親しい関係になっていたのではないだろうか?

上のサイン帳への記載の訳がwikipediaに載っていた。
ベートーヴェンにウィーンへの旅立ちに際して、彼が贈った言葉

「親愛なるベートーヴェンへ! 長きにわたって叶わなかった望みを実現するために、君はヴィーンへ旅立とうとしている。モーツァルトの守護神はいまだにその護り子の死を悼み、涙している。汲めども尽くせぬハイドンのもとに、守護神は避難所を見いだしたが、そこは働きの場とはならなかった。彼を通して、更に別の人間と結び合いたいと望んでいるのだ。たゆまぬ鍛錬によって受けたまえ、モーツァルトの精神をハイドンの手から」1792年