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僕がコメディを書く理由

揺れた。震度はゼロだが、確かに揺れた。

あれは忘れもしない大学2回生の春。放送部に所属していた僕は、脚本家を目指す3つ年上の先輩に誘われ、生まれて初めて生の舞台を鑑賞した。三谷幸喜さんの傑作「君となら」である。父親よりも年上の恋人が、突然娘の自宅を訪れたことで巻き起こる抱腹絶倒のホームコメディ。文字どおり腹を抱えて笑った。隣には、当時付き合っていた彼女が座っていたのだが、控えめで真面目な性格の彼女が、ちょっと引くくらい大笑いしていたのを覚えている。

終盤、大阪の近鉄劇場は確かに揺れた。満席の観客から溢れ出る笑い声と拍手が充満する空間の中で、こんな世界があるのかと大きな衝撃を受けた瞬間だった。

好きな音楽を流すラジオ番組が作りたい。そんな理由で入部した放送部だったが、気付けば、見よう見まねでラジオドラマを作り始めていた。三谷作品はもちろん、同じ関西で人気が出始めていたヨーロッパ企画にも刺激を受けた。校内放送や文化祭で作品を発表し、4回生の時に応募したNHK大学放送コンテストでは入賞もできた。発表会場は揺れなかったが、打ち上げで飲めない酒を飲んだ帰り道の町並みは、揺れに揺れた。

ただ、不思議とプロになりたいという気持ちは沸かなかった。あんなに凄いものを見せられて、自分などがなれる訳がないという固定観念が、がっしりと根付いてしまったのだろう。

3つ年上の先輩は、卒業後、東京で小劇団の座付作家となった。何度か下北沢の公演にも足を運んだが、終演後、関係者に囲まれている先輩の姿を目にした時、もう別世界の人になったのだと、少し感傷的になったりもした。単に気弱で近づく勇気がなかっただけなのに、あれこれ御託を並べながら、小田急線に飛び乗った。

そんなキラキラとした世界を横目に、僕はどこにでもいるお笑い演劇好きの青年として、ごくごく普通に会社員となった。父親が転勤族で転校するたびに大泣きしていたのに、おもちゃ屋のバイトで本物のヤクザのおじさんに、「本当はたまごっちあるんやろ!」と胸ぐらを掴まれたのに、なぜか全国転勤のある小売業の会社に就職した。そして数年後、5歳の一人娘と離れ北海道で2年半の単身赴任をし、店内に残った雪で足を滑らせ怪我をしたおじさんは、またしても本物のヤクザだった。歴史は繰り返す。一度目も二度目も悲劇として。マルクスの嘘つき。

それでも、大きな栄光もないが挫折もなく、それなりにキャリアアップしながら、順風満帆なサラリーマン生活を送っていた。だからこそ、と言えるのかもしれない。40歳を過ぎた頃から、仕事で得た経験を何らかの文章で表現する場を作りたいという気持ちが芽生え始めた。

「この先、俺はずっとこのままでいいのか?」
「閉ざされたドアの向こうに、何かがあるはずだ!」
「まだ、限界だなんて認めちゃいないぜ!」

完全なるミスチル世代あるあるだ。

ちょうどその頃、大好きだったコラムニストの小田嶋隆さんが亡くなった。世の中のもやもやした空気をちょっとひねくれた文体で言語化し、クルリと回ってピタリと着地する切れ味鋭いコラムがもう読めない。そう思うと無性に寂しくなった。そんなことも影響していたのかもしれない。

しかし、自分ごときが何を書けるのか、そもそも何を書きたいのか、仕事や家族を犠牲にせず書く時間などあるのか。相変わらずあれこれ御託を並べながら、もじもじとやり過ごしていた。

そんな時、noteの存在を知った。何となくここは安心なのでは、という直感があった。勢いに任せ、昨年8月に仕事での体験を綴ったエッセイを4~5本投稿した。創作大賞なるものを知り、一応ハッシュタグも付けた。数日後、他のエッセイを読んで度肝を抜かれた。面白い、泣ける、心揺さぶられる、そんな作品がゴロゴロ転がっているではないか。慌ててハッシュタグを消し、しばし寝込んだ。

幸運にもコロナではなかったが、note熱にうなされながらブラウジングしていると、400字程度の短いショートショートの応募に出会った。ベットに寝転びながら試しに書いてみると、驚くほどすんなりできた。まさか自分が小説を書けるとは。悪夢から解放され、36℃に下がった平熱で他の作品を読んでみた。今度は脳天をカチ割られた。またもや慌ててハッシュタグを消した。

そんなこんなで、だましだまし投稿はするものの、このままダラダラと続けてはいけないと思っていた。この歳から始めるのだ。自分にしか書けないものを書かなければ。そう考えた時、

憧れのコメディ × 仕事での経験
= お店を舞台にしたシチュエーションコメディ

そんな方程式が出来上がった。

三谷さんのエッセイによると、シチュエーションコメディの定義は3つ。

「一話完結」
「場面設定が固定されている」
「主人公が成長しない」

なるほど、テレビドラマで言えば「王様のレストラン」や「HR 」、映画で言うと「ラジオの時間」や「THE 有頂天ホテル」などがまさにそうだ。

まずは、note内の作品を読んでみた。しかし思いのほか、ド直球のコメディ小説は少なかった。残念ではあるものの、ほっと一安心したのも事実だ。もしもまた、傑作の数々を見せつけられていたら、僕の身体は一体どうなっていたのやら。度肝を抜かれ、脳天をカチ割られたら、もう手足くらいしか残ってない。まあ右手さえあれば、書けなくはないが。

とは言え、参考にするものがないのも不安だった。書店を見渡しても、コメディに特化した小説はなかなか見当たらない。困ったものだとKindle内を探索していると、とある作品のノベライズを発見した。迷わずタップし、そのまま読んだ。

目から鱗だった。目の前にあったではないか。一話完結で、場面設定が限定的で、主人公が成長しないという3つの定義を満たした連作短編が。日曜夕方に、お茶の間を爆笑の渦に巻き込む国民的大人気コメディが。

『小説 ちびまる子ちゃん 大爆笑スペシャル』。

子供向けに書かれたものではあったが、アニメの世界観を見事に再現した正真正銘のコメディ小説だった。タイトルに、自ら「大爆笑」と付ける自信も大したものだが、その名に恥じぬ面白さ。何度も声に出して笑った。

「ズバリ! こんな話が書きたいのでしょーう!」

小さなスマホ画面の前で、僕は丸尾くんになっていた。

それにしても、なぜコメディ小説はこんなにもマイナーなのか? 小説という表現方法に適していないのか、はたまた需要がないのか、もしくはその両方か。いずれにしても望むところだ。失うものなど何もない。そんな想いで、ようやく僕なりのコメディ小説を書き始めた。大型ショッピングモールの2Fにあるカジュアル衣料品店「ネイロ」を舞台に繰り広げられる一話完結のシチュエーションコメディ。お店の中で巻き起こるあらゆる物語を描くという意味で、「In shop」というタイトルにした。

下手くそでも、つまらなくても、スベっていても、笑わそうという努力だけは、読者は汲んでくれるはずだ。汲んでくれたからどうなるわけでもないが、まあなんと言うか、ちょっとは大目に見てほしい。たとえ無残な結果になったとしても、失敗を恐れず挑戦し続けていく所存だ。高ければ高い壁の方が、登った時気持ちいい……うん、やめよう。

衝撃を受けたあの日から、今年で28年目の春を迎える。放送部に置き忘れた夢の欠片を取り戻……いや、そんなものは存在しない。あっても、ミキサーの隙間に挟まった菓子パンの欠片くらいだ。3つ年上の先輩とも長らく連絡は取っていないし、引くくらい大笑いしていた彼女も現在の奥さんではない。

リアルな人生には、良くできたコメディのような華麗な伏線回収はめったに起こらない。名前も顔も知らない、会ったこともない誰かが、作品の中に見つけた自分だけの伏線を拾い上げ、握りしめたり、気付かぬまま落としたり、カッとなって投げ捨てたり、大切な人に渡したりしながら、そっと日常に張り巡らされていく。そうしていつかどこかで、同じ想いを抱えた誰かに、運良く回収されることもある。

僕が拾ったまる子の声も、回り回って誰かに届くだろうか?

「あたしゃうれしいよ。あんたが書き続けてくれて」

いつの日か、そんな風に言ってくれたら、僕もうれしいよ、ベイビー。


第2回灯火杯にエントリーします。
よろしくお願いします。

結果はこちら↓


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