味噌カツの行列に、運命は紛れ込んでいた
20年越しの交流、バックパッカー時代からのソウルメイト
20代前半のバックパッカー旅で名古屋の矢場とんの行列に並んでいたとき、偶然出会った女性・かなさん(仮名)との話。夜中に名古屋城に弾かれ、最上階のホテルで朝まで語り合い、一緒に朝日を見た。そして15年の沈黙を越え、大きな手術を前に書きなぐったメッセージが、再びつないだ縁について。人生の不思議さと素晴らしさを、AuDHD当事者の目線でお届けします。
AuDHD(ASD×ADHD)とは、自閉スペクトラム症と注意欠如・多動症を併せ持つ神経発達特性のこと。くらっくらはその当事者である。
第一章:矢場とんの行列という、奇跡の交差点
人生とは、まことに奇妙な仕組みで動いているものである。
転換点は、いつも予告なく訪れる。しかも神様は意地が悪いことに、その転換点を、誰も目をつけないような場所に仕込んでおく。歴史的な記念碑でもなく、ドラマティックな夕暮れでもなく —— 名古屋の味噌カツ屋の行列に、である。20年後にそれを知ることになる当時の私は、そんなことなど露ほども知らず、ただひたすら味噌カツを食べることだけを考えていた。
これは今から20年前、20代前半の頃の話である。
ADHDが今よりずっと活発で、常に刺激を求めていた時期だった。行動力だけは人一倍あった。計画を立てることが苦手な代わりに、思いついたら即行動するという才能だけは、神様が惜しみなく授けてくださった。かくしてリュックひとつを背負い、バックパッカーとして各地を転々とする旅に出ていたのである。
予定は立てない。地元である神奈川県川崎市を出発し、関東を出て、とにかく南西に行こう。「なんとなく沖縄方面に向かう。行ったことのない場所に行く。」という、ただそれだけを羅針盤に、ひたすら移動し続けていた。
そのころ、年間300本以上の映画を観るという習慣があった。映画鑑賞が、生きがいだったのである。スクリーンの中に広がる別の人生を覗き見ながら、自分の中に溜まっていく何かを少しずつ消化していた。外へ外へ飛び出すことと、暗闇の中でスクリーンを見つめることは、きっと同じ行為だったのだと今は思う。
なんとなく名古屋へたどり着いたのも、そういう流れのなかでのことだった。
名古屋に来た以上、味噌カツを食べねばなるまい。そういう観光客らしい決意を持って、名物の味噌かつ「矢場とん」—— 確か錦店だったと記憶している —— へと向かった。しかし世の中はそう甘くない。店の前には、すでに長蛇の行列が形成されていた。
刺激を求め続ける者にとって、待つことは苦手だ。しかし食い意地は人一倍ある。かくして20名ほどの行列の最後尾に加わり、空を見たり、足元を見たり、通行人を観察したりしながら時間をやり過ごしていたのである。
しばらく並んでいると、店員さんが「お先、1名様どうぞ」と案内をし、何人か前に並んでいた1名が先に入店していった。
そんなとき、前に並んでいる女性が目に止まった。
一人で来ている風体だった。旅人特有の、どこか気負いのない身軽さがあった。
ADHDが生み出す衝動は、ときに人を大胆にする。心臓を口から出す覚悟で、話しかけた。
「一人は早いんですね」
わが生涯でも指折りの謎の一言である。自分でも何を言っているのか分からなかった。しかしその女性 —— のちに、「かなさん(仮)」と呼ぶことになる人物 —— は、好印象な雰囲気でにこやかに応じてくれた。
行列の待ち時間に、話は弾んだ。お互い関東から一人で旅行に来ていること。この後は予定が空いていること。映画好きであること ——
ずいぶん状況が似ていた。
特性のせいか、思ったことを口にせずにはいられない。
「食べた後、一緒に名古屋見物に行きませんか?」
俗にいうナンパであった。
返事は、「 yes 」だった。
かくして運命の歯車は、静かに、しかし確実に、回り始めた。
第二章:「お先、1名様どうぞ」という、残酷な一言
しかし、人生というものはそう簡単に順風満帆とはいかないものである。
その直後、事件が起きた。
「お先、1名様どうぞ」
お店のスタッフさんには、あらかじめ1名で来ていることを伝えていた。だから店員さんは当然の如く、かなさんを笑顔で店内へと誘導していく。何も悪くない二人の間で、生まれたばかりの小さな希望は音もなく粉砕されようとしていた。
当たり前のことだが、急に一人ぼっちになった。
思案した。さぁ、この先どうなる?
時間差があって私も店内に呼ばれた。当然、別々の席である。
別の方向を向くカンター席、彼女は別の世界の住人となった。声も届かない。目も合わない。
一人、赤みそのタレが輝く味噌カツと向き合った。
先に食事を終えた彼女が、店外へ消えた。
……終わった。
楽しかった名古屋見物も、ここまでか。変な期待をしてしまったせいで、この後はまた一人寂しく名古屋見物か。馬鹿な期待を膨らませた自分が悪かった。旅の恥は搔き捨て。うん、体現できたぜ。そんなことを思いながら、ゆっくりと味噌カツを嚙み締めた。
涙で味付けされた味噌カツは、妙に塩味が効いており、とても美味しかった。
行列に並んだ甲斐はあったのだ。それだけは確かである。
食事を終え、お会計。気持ちを切り替えて、一人旅を再開しよう。元々一人旅を予定していたんだし。そう心に言い聞かせながら外に出ると——。
第三章:外に出たら
なんと、彼女が待っていてくれているではないか。
しかも「この後、どこへ行く?」と。
驚愕した。それまでの覚悟も自己説得も、一瞬で崩壊した。喜びが洪水のように押し寄せ、「あ、えっ、え?」などと間の抜けた声を出しながら、すでに飛び上がっていた。速攻でポケットマップを広げると、近くに人気の神社を発見。「こ、こちらはいかがでしょうか」などと若干しどろもどろに提案し、二人で早速向かった。
かくして、名古屋見物は正式に開幕したのである。
人生とは、まことに予測不能なものだ。泣きながら食べた味噌カツの塩味が、この瞬間にすべて報われた。川崎市を出てとにかく南西を目指した旅が、まさかこんな形で報われるとは —— 沖縄はまだ遠かった。
第四章:久屋大通と電波塔と、夜中の名古屋城
神社の後、あてどなく名古屋の街を歩いた。
久屋大通にある緑地みたいな遊歩道を、並んで歩く。街路樹の続く広い道を二人で歩きながら、デートとはこういうことか、と内心ひとり悦に入っていた。なぜか電波塔を目指したりもした。至極の時間であった。
話は尽きなかった。映画の話、旅の話、どうでもいい話、人生の大切な話。彼女は聞き上手で、話し上手だった。会って1時間しか経っていないのに、まるで昔からの知人と話しているようだった。
日が暮れてきた頃、ずっと気になっていたことが脳裏をよぎる。
だが今は目の前の楽しみに浸りたかった。
というか、最初から気づいていたのだ。ただ今が楽しすぎて、言い出せなかっただけである。人生においてこの種の問題は、直視すればするほど解決から遠のくものだ。
日がすっかり暮れた頃、その気がかりが限界を超えた。意を決して切り出す。
「この後はどうします? 自分、ホテルを取ってなくて……特に予定が決まってないんですよね」
緊張の一瞬である。
旅をするなら宿の確保は早めにしておいた方が良い。しかし、ADHDゆえか細かい手配がとことん苦手なのである。言い訳は揃っている。しかし問題は解決していない。
思ったことを口にせずにはいられない。
「かなさんのホテルについて行っていいですか?」
言い切った瞬間、すでに清々しかった。もう悔いはない。頑張るだけ頑張った —— そう腹を括った、まさにその瞬間。
返答は、「 yes 」だった。
驚いた。お願いをしているこちらが驚いた。
人生とはかくも予測不能なものなのか。
かくして私は、川崎市を出てとにかく南西へ向かう旅の途中、名古屋で思わぬ僥倖に恵まれることとなったのである。
そうと決まれば善は急げ。コンビニで食料や酒を買い込み、ホテルへと向かった。
道すがら「名古屋城、見に行こう」という話になった。
名古屋城。夜中の名古屋城。
正気の沙汰ではない。しかしこの夜に正気を求めるのは酷というものだった。
向かった。当然、入れるわけがなかった。閉ざされた入り口の前で、二人でしばらく残念がった。名古屋城は夜闇の中にそびえ立ち、完全に私たちを無視していた。実に堂々たる無視っぷりであった。もちろん名古屋城に悪意はない。
テンション下げ下げで城を後にして、ホテルへ向かう。
するとビックリ。彼女が予約していたのは、駅前の高級ホテルの最上階だった。
テンションが一気にアゲアゲになった。恐るべし。
名古屋城への完敗など、もはや些末な出来事に成り下がった。人生とは、かくのごとく、喜悲が目まぐるしく入れ替わるものである。
第五章:最上階のホテルと、映画話と、滂沱の涙
最上階の部屋で、楽しく食事をした。
お互いの趣味である映画の話が始まると、時間が飛ぶように過ぎていった。彼女は自宅で衛星放送を契約しており、家庭のテレビで常に映画を映しているほどの映画好きだった。私は「年間300本観ている」と言うと、かなさんは目を輝かせた。映画の話というのは、人を驚くほど早く親密にするものである。
好きな作品や監督の話、印象に残った台詞、あのシーンのあの表情が忘れられないという話 —— 言葉がとめどなく溢れ出した。気づけば25時を大幅に過ぎていた。
それでも話は終わらなかった。
年上のかなさんは器量が大きく、何でも話を聞いてくれた。映画の話から旅の話になり、旅に出た理由、川崎市からリュックひとつで飛び出し、沖縄方面を目指しながらあてどなく移動し続けている。その根っこには、当時抱えていた悩みがあった。それは、「人生を楽しめていない感が強い」という事だった。今よりも自分の特性が活かせる何処かに行きたかった。そして、現実から逃げたいからでもあった。気づいたらそのことを、話していた。
かなさんは話を遮らずに話を、聞いてくれた。
思いが、悩みがとめどなく出続ける。
2時間以上話し続けただろうか。
かなさんはあくび一つせずに話を聞いてくれている。
うれしすぎた。感情が溢れすぎてしまい、滂沱の涙を流した。
常に刺激を求め、外へ外へ飛び出していた者が、見知らぬ女性の前で滝の様な涙を流している。
不思議な感覚だった。彼女は、ただ静かに、ずっと聞いていてくれた。年上の落ち着きというより、かなさんの大きすぎる器量、人間性に包まれている様だった。
やがて窓の外が白み始めた。
ホテルの最上階の窓から、二人で朝日を見た。
最高だった。と今でも思う。オレンジとも金色ともつかない、なんともいえない暖かな色が名古屋の街を染めていった。言葉では説明できない。ただ、確かに最高だった。人生において、言葉を必要としない瞬間がある。あの朝は、そういう瞬間だった。
第六章:長文メールの往復と、15年の静寂
別れた後も、頻繁にメールのやり取りをした。旅先での出来事の報告。映画の感想。近況報告。
文章を書くと長くなる性質がある。毎回長文を送りながら「ここまで長文は嫌がられるかな」と、少し不安になっていた。
しかし返ってきたのは、私が送った以上の長文だった。
うれしかった。
しかし、月日が経ち、お互いの環境も生活も変わり、段々と連絡を取る回数は減っていった。
そして、ここ15年ほどはお互い連絡は取らず、年賀状のやり取りが1回ほどあっただけだった。
正直、この関係はもう終わりかな、と考えていた時期もある。趣味や趣向が合うからといって、直接会わない友人といつまでも連絡だけを取り続けることに、億劫になっていたのかもしれない。今はお互い家族を持っている。私のために時間を割いてもらうのは申し訳ない気がする。そんな遠慮が、気づかぬうちに15年の静寂を作っていた。
今はもう、お互いの人生は変わった。仕事も、住む場所も、体も、心も。
しかし人生は、そこで終わらなかった。
第七章:手術を前に、書きなぐった
私は、2026年3月、デービッド手術 —— 自己弁温存大動脈基部人工血管置換術を受けるために、東京大学医学部附属病院に入院した。ロイス・ディーツ症候群という指定難病の治療のためである。
手術に向けて執刀医からは懇切丁寧な説明を受けたが、、、
正直、私は「いくら日本一有名な大学病院での手術とあっても、死ぬ可能性がある」とパニックになり、いつもの特性が暴れだし「今までの自分の思いを皆に伝えたい!」と5,000文字以上の近況報告メッセージを作った。
過去連絡を取ったことがある人たちに一方的に送り付けた。
もちろん、かなさんにも送った。大きな手術を控え、不安な思いをを書きなぐった。
すると、かなさんからの返信がすぐに来た。
ありがたかった。15年の空白が一瞬で埋まった。
術後のメッセージ交換
ありがたいことに術後にも身体を気遣うメッセージを送ってくれた。
私の身体には11本の管が繋がれており、首を動かすこともかなわない。
制限ばかりの入院生活で心身ともに疲弊していた頃、彼女は計ったように何度もメッセージをくれた。入院生活が暇にならないよう、笑えて仕方がない、長文を送ってくれた。不自由な身体を幸福に思えるような思考も教えてくれた。退院後も、主治医からの安静に過ごすためのルールでがんじがらめにされた療養生活が苦にならないよう、これまた長文を送って励ましてくれた。
ありがたい。
とてもありがたい。
かなさんらのメッセージの終わりにはいつもこんな文章が添えてある
また長文ですね。
わざとです。
ICUも出て、日々ちょっとずつ調子が良くなってきて、でも動けなくて、そしていよいよ本格的に退屈な時間との闘いの火蓋が切って落とされようとしているのではないかと思ったので。
でも今は私と娘さんを会わせてくれるべく早く元気にならなくてはいけないので、ちゃんと周りの言うこと聞いて安静にしててね。
お暇な時はLINEでもまた下さいな。
休憩中にポチポチしてお返事しますので。
「めっちゃ嬉しい! また長文が返ってきた」と思いながら読んだ。
15年の静寂が、まるで存在しなかったかのように。
第八章:人生は面白い
名古屋で出会って、20年が経った。
ソウルメイトとは、長年の沈黙を経てもなお、最初の一言に20年前と同じ熱量で応えてくれる人のことなのかもしれない。
もう少し体力が回復したら、娘と一緒にかなさん会いに行こう。
それまで頑張って生きよう。
人生、何が起こるかわからない。川崎市からリュックひとつで南西を目指した旅の途中、名古屋の味噌カツ屋の行列に運命が潜んでいるなんて、誰が思うだろう。「お先、1名様どうぞ」という店員さんのたった一言が、20年後の人生にも影響を与えているだなんて、誰が予測できるだろう。名古屋城の閉ざされた入り口の前で二人で残念がったあの夜が、今もこうして温かく胸の中にある。
人生は面白い。本当に、面白い。
▼手術前に送ったメッセージはこちら
