第2章 魔法王国フォーレスト 第10節 許された道
結界守の背中は、白かった。
装束の白ではない。森の闇を拒むような、異質な白だ。
「来い。案内する」
短い言葉だけで十分だった。
クレフは、セリザとゼラスと並び、黙ってその背を追う。
森の奥は、音が薄い。
鳥の羽ばたきも、葉擦れも、遠い世界の出来事みたいに小さい。
(拒まれなかった……)
さきほどの一言が、頭の中で何度も反響する。
森が拒まなかった。
それが答えだ――。
胸のざわめきは消えない。
それが幸運なのか。
それとも、選ばれたのか。
「……結界守、さん」
思い切って呼びかけると、白い背は歩みを止めることなく、低く言った。
「声を張るな。森が聞く」
森が、聞く。
その言葉に、クレフは背筋が冷えた。
セリザが一歩近づき、声を抑える。
「この森は、結界の一部です。
侵入者だけでなく――“意図”も測る」
「意図……?」
「害意、虚偽、恐怖。そういったものに反応する。
だから、気配を乱さないこと」
ゼラスは静かに辺りを見回し、短く息を吐いた。
「噂以上だな……。森そのものが、関門か」
その落ち着き方が、クレフの胸に引っかかる。
彼は、初めてのはずなのに。
まるで“知っている者”のように振る舞っていた。
やがて結界守は、一本の古木の前で足を止めた。
見た目は、ただの木だ。
だが根元の地面は妙に滑らかで、
土のはずなのに、石のように硬い“線”が走っている。
結界守は腰元から札を取り出した。
紙片のように薄いそれを、古木の幹へそっと添える。
「――通る」
たった一言。
次の瞬間、
空気がひとつ鳴った。
目には見えない膜が、ぱちりと弾けたような感覚。
クレフは思わず目を瞬かせる。
古木の根元に、裂け目が現れていた。
いや、最初からそこにあったものが――
“見えるようになった”のだ。
「……これが、秘密の通路……」
セリザが静かに頷く。
「はい。ここから先はフォーレストの内側。
許可なき者は、辿り着けません」
ゼラスは裂け目を見つめたまま、
ほんの僅かに口元を歪めた。
笑みにも、安堵にも見えない。
何か別の感情。
クレフの胸が、再びざわつく。
(この男は……本当にただの旅人なのか?)
「入れ」
結界守が先に裂け目へ足を踏み入れる。
内側は思ったよりも狭く、石の回廊が続いていた。
湿った冷気が、肌にまとわりつく。
足音が響くたび、回廊のどこかで同じ音が返ってくる。
まるで、見えない誰かが並んで歩いているようだった。
しばらく進むと、前方に光が差し込む。
出口だ。
結界守は立ち止まり、振り返らずに言う。
「ここから先は、お前たちの足だ」
「案内は……ここまで?」
「森の役目は終わった」
そう言い残して、白い背は回廊の闇へと溶けていった。
本当に、溶けたように見えた。
クレフは言葉を失う。
セリザが小さく息を吐いた。
「……結界守は、そういう存在です。
姿を見せる時点で、異例に近い」
異例。
その言葉が、先ほどの“拒まれなかった”と重なり、
クレフの喉がわずかに渇く。
三人は出口へ向かった。
裂け目を抜けた先――
そこには、森ではない森が広がっていた。
木々の姿は変わらない。
だが、空気が違う。
香りが澄み、葉の緑がどこか濃い。
遠くに、塔が見えた。
石造りの尖塔が、森の海から突き出している。
「……フォーレスト」
クレフが呟くと、セリザは小さく微笑んだ。
「ようこそ。魔法王国へ」
その瞬間、
クレフの背中を、冷たい感覚が撫でた。
――見られている。
森のさらに奥。
誰の目にも触れぬ場所で、影が揺れた気がした。
そしてクレフは、まだ知らない。
“鍵”が揃いつつあると言われた、その意味を。
ゼラスが運命の中心にいるという言葉の、本当の重さを。
――第11節へ続く。
