第4章 英雄誕生 ― 人魔大戦 ― 第2節 魔人襲来
【砦の一室】
僕はおぼろげに目を覚ました。
――あれ? どうして、寝てたんだっけ?
ぼんやりした頭で、直前の出来事を探る。砂の感触。痛み。タウゼンの声。噂――落城。
そこまで思い出したところで、
「あ! 兄ちゃん。目が覚めたね」
声の方を見ると、マウイがいた。相変わらず落ち着きのない、元気な顔。だが、目の奥だけが妙に硬い。
「もう怪我は大丈夫なのかな?」
マウイが僕の腕や胸元を気にする。ちょっとした英雄扱いみたいで、くすぐったい。試しに体を起こすと、まだ痛みは残る。でも動けないほどじゃない。
「うん。もう大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとう」
笑って返すと、マウイは少しだけほっとした顔をした。
「じいちゃんの話によると、昨日、話の途中で兄ちゃんが気を失ったんだって」
――気を失った。話の途中。
そうだ。
胸の奥に、冷たいものが戻ってくる。
僕は息を整えてから、できるだけ平静を装った。
「……ねえ、マウイ。ちょっと聞きたいんだけど」
「ん?」
「グランバルト城が落ちたって噂……あれ、本当なの?」
その瞬間、マウイの表情から色が抜けた。
「……おいらは信じてないけど。噂があるのは本当だよ……。兄ちゃんは、信じてるの?」
「まだ……わからない。この目で見たわけじゃないから……」
言い終えたあと、言葉の居場所がなくなった。
重い空気が、部屋の隅々にまで沈んでいく。
――迂闊だったか。
そう反省しかけたとき、扉が開いた。
「クレフ殿。気がつかれましたか? マウイが迷惑しておりませんかな?」
タウゼンが戻ってきた。淡々としている。その淡々が、かえって胸に刺さる。
「いえ。話し相手になってくれて、助かってますよ」
僕はマウイに向けて笑ってみせた。マウイも、それに合わせるように笑う。沈みかけた空気が、ぎりぎりで落ち切らずに済んだ。
タウゼンは一歩近づき、深く頭を下げた。
「先日は失礼しましたな。貴方にとって衝撃的なことのはずなのに、普通に言ってしまった。配慮が足りませんでした」
落城の噂のことだ。
「いえ……気にしてません。頭を上げてください」
タウゼンは顔を上げ、僕の様子を確かめるように目を細めた。
「その様子だと、体は回復したようですな」
「ええ。おかげさまで」
「とりあえず、皆の者にクレフ殿のことは話しておきました。今後は自由に砦内を散歩しても構いませぬぞ」
「わかりました。ありがとうございます」
「なーに、礼には及びませぬ」
タウゼンは誇るでもなく、当たり前のこととして言う。
僕は、そこで一度息を吸った。
今後の行動を決めるには、知らなすぎる。
「タウゼンさん。もう少し詳しい情勢を教えてもらえませんか。今後の行動の参考にしたいんです」
「うむ。ワシの知りえることなら教えよう」
「まず……ここからグランバルトまで、どのくらいの距離がありますか?」
「そうじゃの……だいたい北東に向かって、丸二日歩いたぐらいの距離かの」
北東。二日。
ここは、思った以上に南へ投げ出されている。
「魔人たちの動きは?」
タウゼンは、少しだけ言葉を選ぶ間を置いた。
「特に活発な動きはしておらぬようじゃ。奴らは、もうこの戦争は勝ったものと思ってる。偵察ぐらいしか出しておらぬな」
淡々とした声が続く。
「……とは言っても、見つかったが最後。何もなす術もなく殺される。……この砦の存在も、いつ知られるか……」
タウゼンは肩を落とした。
僕の知っている“魔人”なら、剣も、並の魔法も通じない。
有効な手段を思い浮かべようとして、うまくいかなかった。
「他に、人間の拠点は無いのですか?」
「残念ながら、主だった拠点はことごとく壊滅じゃよ。この砦の者たちも、近隣の町や施設の生き残りが集まって、ようやく成り立っておる」
最悪だ。
それでも、ここまで静かに話せるのが、逆に怖い。
――誰も、奇跡を当てにしていない。
その事実だけが、重く沈む。
ふと、懐の感触を確かめた。
そこから出てきた一冊の本。
セリザから借りた『人魔戦争の真実』。
反射的に頁をめくる。だが、内容は以前読んだ時と変わっていなかった。
当然か。
「その本は?」
タウゼンが視線を落とす。
「……人と魔が争ったとされる、古い戦の話です」
言った瞬間、自分の言葉が薄っぺらく感じた。
「ほほう……それは興味深いですな。見せて頂けませぬか?」
「すみません。グランバルトの関係者以外には見せるな、と言われていますので……」
タウゼンは小さく頷いた。
「そうですか……ならば仕方ありませぬな」
そのとき、外の通路を叩くような足音が近づき、扉が勢いよく開いた。
「タウゼンさん! 物見からの報告で、魔人らしき人影がこちらに向かってるそうです!」
息を切らした若者が告げた瞬間、部屋の温度が下がった。
だが――タウゼンは驚かない。慌てもない。
ただ、静かに呟いた。
「来るべき時が……来たようじゃの……」
「皆は?」
「すでに、戦える者は戦闘の準備をしております!」
「わかった。ワシもすぐに行く。皆を広間に集めておいてくれ」
「わかりました!」
若者はまた駆け去っていった。
扉が閉まる音が、やけに遠く聞こえる。
タウゼンは僕に向き直った。
「クレフ殿。おぬしは一刻も早く、ここを離れなされ」
「……えっ」
「祖国に戻るつもりなのであるならば、ここは逃げるべきじゃ。勝機は限りなくゼロに近いからのう」
言い方が、あまりに落ち着いている。
それが、決定事項だと突きつけてくる。
「タウゼンさん達は……どうするつもりなんですか?」
「ワシらに逃げ道はない。元より、ここを察知された時は死に物狂いで戦い、散っていくつもりじゃ」
死を、覚悟の上で。
その覚悟の重みが、言葉の形で転がり落ちてきた。
マウイが、僕の前に小さな袋と剣を差し出した。
「はい、これ。兄ちゃんの持ち物だよ」
受け取る指が、ほんの少し震えた。
タウゼンは、淡々と締めくくる。
「今から出れば、発見されることなく出ることもできるじゃろう。ワシらにできることはここまでじゃ。すまぬな」
「いえ……ここまでして頂いて、本当に感謝してます。ありがとうございます」
そう言いながら、胸の奥では別の声が騒いでいた。
――このまま、逃げていいのか。
タウゼンとマウイが部屋を出ていく。
「じゃあね……兄ちゃん」
マウイの言葉には、軽さがない。
“戻れないかもしれない”と知っている声だ。
扉が閉まり、静寂が戻る。
……僕は、何をしている?
僕より小さな少年が戦うのに、僕は――。
僕は、剣を握り直し、後を追った。
【砦・広間】
通路を抜けると、突き当たりが広間になっていた。
そこに、武器を携えた若者たちが集まっている。
僕が入った瞬間、視線が刺さった。
広間の中心にいたタウゼンが、僕を見据える。
「クレフ殿! まだ砦を出なかったのですか?」
僕は、喉の奥から声を引きずり出した。
「僕も戦います! 参戦させてください!」
「何を言われる! あなたは死んではならぬお方。我らと運命を共にさせるわけにはゆかぬ!」
タウゼンの声が、初めて荒くなる。
「せめて我らの犠牲を、意味あるものとさせて欲しいのじゃ……」
懇願に近かった。
僕は一瞬揺れた。けれど、そこで折れたら――ここに来た意味が消える。
「確かに、僕が加わったところで戦況が覆るわけじゃない。むしろ犬死にする可能性が高いと思います」
言葉が冷たいのは、わかっている。
それでも、続けた。
「でも……ここにいる皆さんを見捨てるなんてこと、僕にはできません!」
タウゼンが目を閉じる。
マウイが、僕の名を呼ばないまま、息を飲んだ。
しばらくの沈黙の後――タウゼンは、ゆっくりと目を開けた。
「……決意は堅いようじゃな」
そして、短く頷く。
「わかった。共に戦おう」
僕は、広間の空気の重さを、全身で受け止めた。
――戦いは、もう始まっている。
ここに立つ、と決めた瞬間から。
第3節へ続く
第4章「人魔大戦」第2節、ここまでお読みいただきありがとうございます。
落城の噂。
静かに迫る魔人の影。
そして――逃げるか、残るか。
クレフはまだ何も理解していません。
それでも、理屈より先に動いてしまう“選択”が、彼という人間の本質です。
この章は、激しい展開よりも“空気の重さ”を積み重ねていきます。
違和感はまだ断定されません。
世界はまだ説明されません。
けれど、確実に――何かが、ずれている。
次節では、さらに静かに、確実に、その“ズレ”を深めていきます。
もし少しでも続きが気になりましたら、スキやコメントで教えていただけると、とても励みになります。
引き続き、「グランバルト物語」をよろしくお願いいたします。
