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インドネシアでみた、原爆の捉え方🇮🇩

海外旅行に出かけると海外の方たちと
話す機会があると思います

どこからきたのか、名前は何か、これからの予定
お互いの国の文化など

なにかしら少しは話すと思います

とても新鮮な時間で、僕はあの雑談が好きです

しかし、この間まで自分が滞在していた
インドネシア🇮🇩での自己紹介は

時に、重力が自分にだけ1.5倍降りかかってきます

彼らの反応に対する反応に困るのです

そんな僕のささやかな悩みだった体験談を
ここで話させてください!!




こんにちは!ヒロシと言います

「福井から歩いて南アフリカまで」
という旅を掲げて、現在インドネシアを歩いています

バリ島のデンパサールを出発して、
首都のジャカルタを目指してて

インドネシアを歩いていると
多くの人に囲まれることがよくあるんですが

”Dari mana?"
(どっからきたん?)

"Dari Jepang"
(日本だよ)

”Aduhhh!! Nama kamu siapa?"
(うわっ!名前なに?)

”Aku Hiroshi."
(ヒロシだよ)

”Ohhh! HIROSHI  MA!  NAGASAKI ! Bom Atom !"
(うおおお ヒロシ・マ!!長崎!! 原爆!!!)


彼らに自己紹介をすると、2〜3人に1人は
出会って20秒ほどで原爆の話を持ち込んでくる

いたって悪気はなさそうで、しかしあんな笑顔で
原爆について発言する姿は初めて見る光景

こちらも反応にすごく困る


いきなり歴史についてかよ!!

今、読んでくださっている方の一部には
「いや叱れよ!」「お前ほんとに日本人かよ」

気分を悪くさせてしまった方が
いるかもしれませんが

原爆投下は、インドネシアが日本からの独立を
早めたきっかけになったと言われています

インドネシアの至るところで、
1945.8.17(独立記念日)の数字を見かけます

原爆が投下されたのは
広島で1945.8.6 長崎で8.9

日本が連合国に対してポツダム宣言を受諾したのが
1945.8.15なわけだから

いかに独立への動きが
常に高まっていたのかがうかがえます

ちなみにインドネシアの独立を宣言した、
スカルノ初代大統領(デヴィ夫人の旦那さん)
はやはりインドネシアの英雄のようで

家に肖像画が飾られてあったり、

彼が眠っているとされるJava TimurのBlitarという町を訪れた際は
彼の似顔絵の旗を至るところで見ることができます

話が少しそれてしまいましたが、

その歴史の認識もあって
笑顔で日本の戦争について詰められると
そうなんだよ~くらいしか返せなかった

必要以上に原爆の話を続ける人たちには

“Itu bahaya sekali”
(めっちゃ危ないんだぜ)

くらいは伝えておいた

「たくさんの人が死ぬんだよ、怖いんやで」
と喉まで出かかったけれど

ジャワ島で多くの人々が
日本軍に過酷な労働を強いられ、命を落とした

そんな過去もあります

なかなか言えなかった
伝える勇気は全くなかった

本当に彼らに悪気はあるように見えなくて
恐らくだけど

「日本について知ってるぜ俺!私!」
くらいの感覚なんだと思う

そこまで、せめないであげてほしい


一応、聞いてみる。

「日本は好きなの?」

答えは皆そろってYes

特に好きなのは
バイクのHONDAとアニメNARUTO

続いてバイクSUZUKIやアニメONE PIECEだそうで

(ホンダとナルトは圧倒的人気ナンバーワン)


知っている日本の音楽ある?ときくと
大体この曲が返ってきます

僕はどちらのアニメも見たことがないので
全くわかりませんが

この曲すごく人気です
(彼らのおかげで、最近この音楽にはまってます)

また話がそれてしまった!
とにかく、とても親日のイメージを受けます



また、戦争に関しての貴重なお話を
ほんの少しだけ聞く機会がありました

1926年生まれのあるお爺さんが
16〜19歳の時に体験した、日本軍に対するイメージについてです


日本軍がジャワ島にやってきた時の島の住民たちの反応は、本で読んだことがあり、ある程度は読んで知っていたつもりでした

しかし、実際に体験した人から聞くことは
より想像を掻き立てました

その体験談を、次のnoteでまた紹介します


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