【mbti】サイコパス・グレーゾーン 4
しつこく続編。
今回は ti 編。
つっても私、mbti の基本にそれほど詳しいわけじゃありません。
ti が何かと問われてもよくわからない。「う~~ん。オレ論みたいなモンですかね!」みたいなもや~んとしたイメージしか持ち合わせておりません。
ところが、先日たまたま「おすすめ」にあがってきてたnoterチグさんの記事。『タイプ別4つの世界観』がすごーく面白かった。
なので今回はチグさんの解説される ti 論に学ばせて頂きながら、己の ti についてアレコレ考えてみたいナと思います(^^)
(※ まったく面識がないお方ゆえ、おおっぴらにご紹介などする勇気なし。勝手にお名前出してすみません)
では、本題へ。
※ 以下抜粋は全てチグさんの記事よりのものとなります。
さっそくですが、4種類の世界観とは、以下のようなものになります。
1、自分が介在する一人称の世界観「Fi」
2、自分が不在の一人称の世界観「Ti」
3、自分が介在する三人称の世界観「Si」
4、自分が不在の三人称の世界観「Ni」
はいはい、さっそく面白い。
私、mbti の解説記事読むの大好きなんですが、チグさんの記事を読むとついつい頷きすぎて首のうしろが痛なってしまいます。
すっごく面白いのでチグさんの叡智の一部をご紹介。ti だけじゃなく他の3つの解説もすごく面白いので、ぜひ本物の記事をご堪能ください(チグさんとこで)。
●自分が不在の一人称の世界観「Ti」
16タイプでいう、
ISTP INTP ESTP ENTP
がこれに該当します。
自分自身が介在せず、且つ一人称的な世界観。
まさにアレです、論文とか、哲学書みたいな世界観です。「私」という一人称がほとんど登場しないけど、主観的な文体。
twitterとか掲示板とかもそうですかね。匿名性が高まるほどこの世界観に近づく気がします。
「自分の内側から、世界の内側を観察する」。そういう視点です。
(中略)
まとめ>
「Ti」タイプは自分を「探究」し、自分のスタイルを確立する。
何に出会うか、何と遭遇するか、何を発見するか、常に探究日々探究。というか「探究」こそが使命なんですね、この世界観って。
探究した経験を自分の経験値として蓄積できる。得たものを自分の意見や価値観として所有できる。自分自身のものにできる。
これも、他のタイプ……とくに「Si」や「Ni」には、あまりない感覚かもしれません。自分の意見なのかそれとも他人の意見なのか、その区別に、あまり重きを置いていない気がします。
ここで書かれているような立派な思考が私にもできているかはさておき。
「自分自身が介在せず、且つ一人称的な世界観」
コレが刺さる。まさに、と思って。
こんなにシンプルで的確な言語化が他にあるだろーか。いや、見たことない。
今回はずーっとサイコパスの記事を書いておったのですが、そのキーワードのひとつが「共感力」。
サイコパスには共感力が足りてない。そして私にも。
個人的な感覚なので目に見える根拠を示せと言われると難しいのですが、
「私の共感力って他人にだけでなく、自分自身に対しても発揮できていないのではないか」
というかんじのことをずーっと考えていました。
たとえばーーー
・自分の遺伝子(脳ミソ?)が統合失調症仕様?の可能性があると知った時(本で読んだ時)
・たまーに見るスライドショーが実は幻覚であったらしいことを知ったとき(睡眠関連幻覚というもののようですが)
・サイコパスの疑い?があることに気づいたとき
こういうことがあったとき、人って一般的・平均的には、自分自身の遺伝的不運や境遇や将来の病発症の可能性についてどれくらい思い悩むものなのか。
統合失調症って昔でいうところの精神分裂病のことです。更に時代を遡れば「キ〇ガイ」とか「狂人」とか「キツネ憑き」とか言われて後ろ指さされてたタイプのおそろしがられ系病。
巷ではファッション発達障害がブームだそうですが、さすがにファッションとしてすら名乗りたくない類の病でありましょう。
ーーーしかしです。遺伝子検査の結果から「もしかして私、結構崖っぷちにいるのでは?(統合失調症の)」という可能性に気がついてからも、不安や恐怖に苛まれるってよりは、どことなくオモロイ感覚のほうが勝ってしまってる。自分のドコがどーなってそうなってんだろおおおおおお。という興味が勝つわけですムボーにも(やっぱり頭がオカシイのかもしれない)。
なんでかどこか他人事。「自分自身のこと」として受け取れていないようなっていうか。
自分が不在の一人称の世界観「Ti」
そういう私の「不在な感覚」を、チグさんの解説はズバっと見事に言語化してくれているように思えて、ものすごく、ものすごーーーく、驚いた。
世のサイコパスの皆さんのことはよくわかりませんが(会ったことがないので)、少なし私の共感力は他人に対しても自分自身に対しても平等に、イマイチなかんじでしか働かない。
もしかしてこういう特徴が「自分自身が介在せず、且つ一人称的な世界観」を成立させるのに一役かっているのでは?とも思ったり(違うかもですが)。
脳内再生、人間ってほんっとうにオモシロイもんですネ。
