【連載小説 江田村たんけん記】(20)
二十. 昭和二十年七月下旬
数日来、尚子は迷っていた。
平助という叔父がいることは知っていた。しかし祖母の葬儀の際、短く紹介されたきり会っていない。それが突然自分の本当の父だと教えられても戸惑いしかない。
会いたいとは思う。だが同時に不安もある。
――何て言おうかしら。どんな顔をすればいいかしら。
あの日以来、近くまで行っては引き返すことを何度か繰り返していた。
その日も心が決まらないまま歩いていたら、気づいたときには平助の家の前にいた。
少し前屈みになりながら、生け垣の隙間から庭を覗き込む。誰もいないようだ。
――仕方ないわね。じゃあ、帰るとしますか。
尚子はほっとしたが、同じくらいがっかりした。
その時背後から声がした。
「誰だ?」
尚子はしゃんと背筋を伸ばして振り返った。顰め面の男が立っている。
「あっ、私、尚子です。沢の尚子です」
平助の眉がぴくっと動いた。尚子の顔をじろっと見たが、尚子と視線が合うと慌てて目を逸らした。
「尚子、さんか。儂に何か用か?」
「いいえ、あのう、近くを通りかかったので……」
「そうか。気をつけて帰れ」
平助はぼそっと言った。平助は怒ったような顔で、尚子を残してずんずんと家に向かって歩く。
「待って下さい」
尚子は先程の不安を忘れたように平助の後を追う。
平助は急いで玄関に入ると、尚子の目の前で後ろ手に戸を閉めた。平助は戸を手で押さえたまま、その場に立っていた。土間に寝そべっていたタマが頭を擡げた。
いいんじゃ。平助は首を振った。タマは再び前足の上に頭を落として目を閉じた
平助は、太助に尚子を託した時、今後一切親子の名乗りを上げないと約束した。
――今更どの面下げて、父親だと名乗れと言うんじゃ。
暫くすると尚子が立ち去る足音が聞こえた。これでいいんじゃ。平助は足音が聞こえなくなった後も引き戸を背に佇んでいた。
尚子は門を出る時、母屋を振り向いた。戸は閉まったままだった。ふうっ。足元に目を落として坂を下る。
――私もびっくりしたけど、お父さんも驚いていたみたい。
男の人は困った時に決まって怒った顔をする。でも顔を見ることができたし、少しだが声も聞けた。
――この次は絶対お父さんって呼びかけてみよう。
坂を下る頃には、尚子の足取りは軽くなっていた。
二十一. 昭和二十年八月三日(その1)
空には雲の峰が立って、頭上では太陽が胡座を掻いていた。じっとしていても汗が噴き出してくる。
いつの世も良からぬ事を考える輩はいるもので、戦争中だろうがお構いなしだ。
二人の男が、地図を片手に江田村への道を探していた。兄貴分の方を田処裕二、弟分の方は山本哲治、通称テツといった。
「確かに、この辺りのはずなんだが」
「兄貴、本当にここなんッスか。担がれたんじゃないんッスか」
テツが不平を漏らした。辺りは木々が生い茂り、鬱蒼として光が入らないので、昼間でも薄暗かった。二人は手分けして一時間以上も、滝ノ口バス停の駐車場から滝に至るまでの道を虱潰しに探していた。
「いや、間違いない。ここまでは、この地図通りで来られたからな」
田処は、ポケットから地図を取り出した。
「ほら、ここに滝みたいな絵が書いてあるだろ。これがさっきの滝だと思うんだ」
「それにしても下手くそッスね」
田処が地図と言っている紙切れには、いくつかの線と印と文字が書き込んであった。田処が示す先を見ると、確かに滝みたいな絵もある。そこから延びた線の端っこに、赤い『×』と『江田』という文字が書いてあった。
「なあ、テツ。手書きの地図なんて、子供の時に読んだスティーブンソンの『宝島』みたいで、わくわくするだろ」
「『宝島』ッスか。さすが兄貴、学あるッスね」
「土台こんなものは、本人が分かればいいんだ。他人が見て、簡単に分かったらつまんないだろ。描いた奴の頭ん中を想像するんだよ。何せ、お宝の地図だぞ。少しは頭を使うんだよ、頭を。そうすりゃ見つけた時の有り難みが違うってわけよ」
「そんなもんッスか」
「まあ、お前には無理だろうがな。少し休むか」
二人は木の根元に腰を下ろして滝で汲んだ水を飲んだ。
「でも、兄貴。そのお宝の地図ってのは、どこで手に入れたんッスか」
「それがな、この間の空襲の後だ。瓦礫の下敷きになって呻いてるヤツがいてな。俺が引き摺り出してやったわけよ」
「へーっ、兄貴が、人助け、ッスか」
「うるせえ。結局そいつは、死んじまったんだが、ずっとうなされていてな。譫言で何だか言ってたんだが、何せ声が小さくってな。耳をくっつけて何とか聞き取れたのは、『えだむら』と『もってる』だか『まってる』って単語だけだけでな、それだけじゃ何のことだかさっぱりだ。だからてぇんで背嚢やらポケットやらを探ったらな、結構な額の現金と小さな袋に入った砂金、それにこの地図があったってわけよ」
「それを、ちゃっかり頂戴したって……」
最後まで言う前に、テツは頭を小突かれた。
「人聞きの悪いこと言うな。そいつにはもう必要ないんだから有効活用だ。ひいては人助けってわけだ。それにな、砂金と地図で、俺はピーンと来たんだ。蛇の道は蛇と言ってな、前に顔見知りの金貸しから聞いた話を、思い出したってわけよ」
「どんな話ッスか」
「うん、それがな。戦争前から月に一回ぐらいの頻度で、砂金を持ち込む男がいたそうだ。中背の太った男でな、いつも少量なんで取り立てて気にはしてなかったそうだがな」
「瓦礫の下敷きになったのは、そいつだったんッスか」
「先走らず黙って聞け。男は戦争が始まってからばったり来なくなったが、半年ぐらい前にひょっこり現れたそうだ。いつもは一人だったが、その時は屈強な若者が一緒だった。今度は砂金ではなく現金を持ち込んできたそうだ。それも何と一万円もだ。それをドルとポンドに交換していったと言うんだ」
「敵国の金じゃないッスか。そんなことできるんッスか」
「裏じゃ何だって揃うんだよ。金貸しは甘い密の臭いを嗅いだんだな。それで手下に跡を付けさせたが、そいつはそれきり行方知れずって話だ」
「ねこばばして、ずらかったんじゃないッスか」
「それならそれで、噂ぐらい立つってもんだ。何せ狭い世界だからな。話が長くなったがな、俺は死んだ男がその手下だと推理したわけよ。尾行に成功して戻ってくるところを、運悪く空襲に遭ったってわけだ。つまりこの地図の江田ってところが尾行していった先でな、そこには砂金と現金がたっぷりとあるってことだ。たっぷりとな。庄という所が起点なんだが、その場所がどこだか中々分からなくてな。それ調べるのにだいぶ時間を喰っちまった」
「さすが兄貴ッスね。ところで、どんなお宝ッスかね」
「お前、先程の話聞いてなかったのか?」
田処はテツの頭をどづいた。
上空に微かに爆音が聞こえてきた。
「アメリカの爆撃機だな。こんな所にまで来るようじゃ、日本が負けるのも時間の問題だな」
田処は見上げながらチッと舌を打った。
「でもラジオや新聞では、連戦連勝だって威勢がいいッスよ」
「バカ、あんなの当てになるかよ。見ろ。現に、あいつらに我が物顔で飛ばれても、もう日本軍は何もできないじゃないか。そういうこった。これだけ堂々と来られりゃ、お前みたいな馬鹿でもそれくらい分かるだろ。さあ、休憩は終わりだ」
田処は腕時計で確認しながら言った。ケツを蹴り上げられる前に、テツは立ち上がった。
その時、辰夫は庭にいた。
航空機のエンジンが発する爆裂音が微かに聞こえてきた。心臓がどくんと波打った。手の平で庇を作って空を見上げた。遙か上空できらりと光るものがある。小さすぎてはっきりと形は分からないが、あれはアメリカの爆撃機だと確信した。こんな田舎の上空を、アメリカの爆撃機が、しかも一機だけじゃなく十数機が編隊を組んで飛んでいることが、辰夫には衝撃だった。
途端に青ざめてがたがた震えだした。この村に来て五ヶ月になるが、初めてのことだった。平穏な日々に埋もれて薄れ掛けていた空襲の恐怖を体はしっかりと覚えていた。
いつの間にか爆裂音を聞きつけた源三も庭に出て来た。辰夫の肩を強く抱きしめながら、
「大丈夫じゃ。こんな小さな村には攻撃などして来ん」
と言った。辰夫は少し落ち着いてきた。
「お前のお父さんは、空襲で東京が焼野原になったらしいと言っていたが、福岡はどうなんだ? B―29とやらが、飛んできていたか?」
辰夫は黙って頷きながら、急に福岡にいる両親のことがいても立っても居られないほど心配になった。
「お父さんやお母さんは大丈夫かな?」
辰夫が眉を顰めた。
「大丈夫じゃ、お父さんが付いておるからのう」
源三は辰夫の肩を二、三度叩いて、また抱きしめた。飛行機を目で追いかけながら、
「それに、もうすぐ戦争は終わる」
と呟いた。
「じゃあ、また僕たち三人で暮らせるんだね」
「そうじゃ。それまでの辛抱じゃ」
源三は爆撃機が見えたことを不安に思ったが、おくびにも出さなかった。
爆裂音は虎之の耳にも届いていた。
――いかん。結界が破れたようだ。だが儂の力ではどうにもできん。
虎之は上空を睨んだ。
――何事もなければいいんだが。村の奴らがうるさく聞いてきたら、心配いらんと押し切るしかないな。やれやれ面倒なことだ。
虎之の表情が曇った。頭を振りながら、そそくさと社務所に戻った。
<続く>
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートお願いします。また読んで頂けるよう、引き続き頑張ります。