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【短編】ポスト(1/5)

あらすじ:
私はT大学の生涯教育セミナーの帰りに、車窓から見えた古いポストに引かれるように、矢田駅で降りた。ポストのあった辺りを目指す。暑い日だった。途中コンビニで涼んで水を買った。店を出た途端、私は目眩を起こして倒れたらしい。気がつくと、私は子供の頃過ごした町の一角に佇んでいた……。

1.矢田町

 あの日、なぜこれまで一度も降りたことがなかった矢田駅で下車したのか、今なおその理由もその時の気持ちも上手く説明できない。だが切っ掛けになった物だけは覚えている。それは、車窓からちらりと見えた、昔ながらの赤い円筒形の古ぼけた郵便ポストだった。

 その日は、横浜にあるT大学が開催する生涯教育セミナーに出席しての帰りだった。だるように暑い日だった。

 今年は冷夏という長期予報で、事実七月に入ってからも昨日までは真夏日が数えるほどしかなかったのに、今日は打って変わって日差しが強く、午前中から三十度に迫る勢いだった。
 バス停まで少し早足で歩いただけで、汗がしたたり落ちてくるほどだった。とりわけ汗かきの私には辛い。在職中はデスクワークが主だったので、日中外を歩くことはほとんどなかった。背中に貼り付いたシャツが気持ち悪い。気力がえたが、先回は親戚の葬儀で欠席したため、続けて休むわけにはいかなかった。

 私は六十の手習いで英会話を始めた。親切にも勧めてくれたのは妻だ。
「これでも、やってみたら」
 どこで手に入れたのか知らないが、妻がT大学の生涯教育セミナー紹介のパンフレットを指で摘まんで目の前でぶらぶら振っていた。私が受け取るまで止めないのがわかっているので、仕方なく手に取る。
 気乗りしないままパラパラとめくっていると、思ったより講座の種類は多く分野も広範囲に渡ることがわかった。特にやりたいことはなかったが、
「毎日家でごろごろしてるよりましでしょう。私に五月蠅うるさく言われることもないし……」
 と妻は私が決断するまで側を離れる気はないらしい。
 どうせなら少しでも実用的なものをと、ほとんど使う機会があるとは思えなかったが、『初めての英会話』という講座を選んだ。午前十時から二時間、毎週火曜日、約三ヶ月十二回の講義となっていた。
 それでも「火曜日だけなの。毎日っていうのはないの?」と妻は手厳しい。私が反発しようとすると、先手を打って「冗談よ、冗談」とさらりとかわす。
 妻は幼なじみで、小学校、高校とも同級生だった。とかく当時の力関係や距離感は大人になってもそのまま持ち越されるようで、何ともやりづらい。

 セミナーが開催される会場のT大学の学生会館ビルまでは、自宅からバスと電車を乗り継いで片道一時間半ほど要する。乗り継ぎが悪いと二時間近く掛かることもある。昼食をって帰ると家に着くのは三時を過ぎることもあり、それだけで一日が終わった気分になる。失敗したかなと悔やむが、一旦始めたら最後までやり抜く。それが私の中の決めごとだ。それに途中で放り投げたら妻から何と言われるか知れたものではない。


 うっ。
 セミナーが終わって学生会館ビルの玄関から一歩踏み出た途端、全身にへばりつく熱気に全身を包まれて一瞬息が止まる。今は既に三十五度を超えているかも知れない。路面からの照り返しで体感的には体温を超えている。空ではぎらぎらとした太陽がどっしり胡座あぐらいている。冷房で閉じていた全身の毛穴という毛穴が一斉に開き、汗が噴き出してきた。
 たまらずに直ぐに近くの喫茶店に飛び込んだ。そこで軽く昼食を摂りながら涼んでいると、一時的に生き返った気になった。
 腹拵はらごしえして気力も充実したところで、温気の中を再び駅まで歩く。

 京浜東北線のT駅から一時過ぎの電車に乗り、横浜駅に着いたのが一時半頃だった。

 JR横浜駅から相鉄線横浜駅まで長い通路を歩く。やっと着いた改札の前で、電光掲示板の一番上に急行の表示があるのを確認した……つもりだった。
 改札を抜けた時、発車のベルが鳴った。別に急いで帰る必要があるわけではなかったが、けたたましいベルにき立てられるようにして、電車の行き先表示をろくに確認もせず、ホームに停まっていた車両に飛び乗った。動き出した後、流れた車内放送で間違えて各停に乗り込んだことに気づいた。
 しまった。急行と各停では停車するホームが違うことを失念していたことを悔やむが、後の祭りだった。
 きっと、この暑さのせいだ。

 私は電車内で何度も同じようなアナウンス(それぞれに重要なことだとは十分理解できるのだが)を聞かされるのが好きではない。
 電車が停止する度に、何とも間の抜けた音を立ててドアが開き、そこから人と冷気が流れ出ていく。代わりに汗だくの人と熱い空気が乗り込んでくる。発車時の音楽とアナウンスが流れ、また妙な音を立ててドアが閉まる。安全上の配慮からだろうが、二段階動作でドアが閉まるのをまどろっこいと思っている。
 この一連のせわしなさが、暑さで苛立いらだっている神経を逆撫でする。
 私はそれまで知らなかったが、車内の路線図で確認すると、横浜駅と海老名駅の間には各停が停まる駅が十七もある、つまりこの後十七回も駅に止まる度に、こんな不興なことが繰り返されるということだ。私はそう思うとうんざりした。流石にこのまま終点の海老名まで各停を使うのは辛い。
 そこで選択肢は二つある。次の駅で下りて横浜駅に引き返して急行に乗り換えるか、このまま各停で行って九駅先の二俣川駅で急行に乗り換えるか、だ。しかし乗り継ぎの時間を加味したら、両者の所要時間にそれ程大きな差があるとは思えなかった。そうなると、くそ暑いホームで乗り替えの電車を待つ回数が少ない方がいい。多少の不快さは我慢しよう。
 私は少し逡巡しゅんじゅんしたが後者を選んだ。


 電車は空いていた。座席に腰を下ろし、規則的な振動に身を任せていると、つい眠りに引き込まれそうになる。頭が落ちた反動で目が覚めた。その時、間もなく駅に着くとの車内放送で我に返った。駅名は聞きそびれた。
 欠伸あくびを抑えながら何とはなしに外に目をやると、窓から流れる景色の中、隣り合う民家のいらかと甍との狭間に、本の一瞬だが赤いポストが見えた気がした。それは、この頃ほとんど見かけなくなった円筒型でベレー帽みたいな頭頂のポストのように思えた。

 ふと私は次の駅で降りようと思った。

 ことさらそのポストを見たかったわけではない。
 だが、このまま真っ直ぐ帰宅しても、妻の「あら、早かったわね」という、時として嫌みにも聞こえるいたわりの言葉が待っているだけだ。
 妻に悪気がないのは分かる。ただそうに思えてしまうのは、自分の中に多少なりとも、これまで仕事にかこつけて家庭をかえりみなかったという負い目があるからだ。
 それでも家族のため一生懸命働いてきたんだという自負が、やりきれないまま行き場を失って心の隅に頓挫とんざしている。


 さて三分後、私は電車が去ったホームに立っていた。駅名標には『矢田』とある。はて。私は首をひねった。そもそもその駅名には覚えが無かった。もっとも、もう何年となくこの路線を利用しているが、急行か特急しか乗ったことがないため、それらが停車しない駅は未だに名前さえ知らない。覚える気がないから当然と言えば当然の話だ。認識していないものは、存在しないことと同じだ。
 ともあれホームで時刻表を調べると、結構各停の本数が多いことに驚く。この分だと帰りの電車の時間を気にしなくてもいいようだ。私は安心してポストを探すことにした。

 矢田駅は橋上駅だった。私は階段を上がって改札を出た。線路に平行に南北に二箇所の出口階段があるが、降りた先は共に踏切の直ぐ側で、どちらを選んでも距離的には大差ないようだ。ポストが見えた方の北口へ向かう。屋根と両側の壁で囲まれた階段は、蛍光灯と小さな窓があるものの昼間でも薄暗かった。
 私は外に出た途端、煌々こうこうと射す日差しに目眩めまいを覚えた。くらっとした。咄嗟とっさに階段の手すりを掴んでこらえた。五分ほどで治まった。
 これで今月に入って既に三度目だ。年齢を考えると、そろそろ一度ちゃんと脳ドックで検査してもらった方がいいと分かってはいるのだが、悪い結果を聞かされるのが恐いので、その都度疲れているだけだと、込み上げてくる不安を飲み下している。

 駅を出て道なりに北に向かう。線路沿いの川に掛かる橋を渡る。コンクリート製の角柱に『矢田橋』と彫られていた。橋を渡ると、道の両側に短く商店街が続く。途中の細い路地の角にひっそりとお地蔵様がまつられていた。昔はよく見かけたものだが、この頃はとんと目にすることはなくなった。私はしゃがんで手を合わせた。

 駅からここまでまだ百メートルも歩いていない。にもかかわらず、冷房のいた電車ですっかり引いていた汗がまた全身から吹き出してきた。体が緊急避難を欲している。見渡すと、数軒先にコンビニを見つけた。
 ――助かった。
 店内に駆け込み、しばし涼にひたって汗が引くのを待つ。それからおもむろに、飲み物の棚からペットボトル入りの水を取り出した。
 支払いを済ませて外へ一歩踏み出た瞬間、視界が真っ白になった。思わず目を閉じたが、まぶたの裏に光暈こううんが残る。頭の芯が冷たくなっていく。私は立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んだ。肩からずり落ちたバッグが床にぶつかって大きな音をたてた。
「大丈夫ですか」
 私を気遣う誰かの声が遠ざかっていった。

<続く>


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