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不都合な対称性——なぜ「男尊女卑」も「女尊男卑」も間違っているのか

※連載予告:全7回+番外編シリーズに寄せて
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はじめに——一枚の思考実験から


ある男女論の文脈で、繰り返し参照されてきた一篇の漫画がある。設定はこうだ。

世界からある日、男性の性欲が完全に消滅する。その結果、何が起きるか。

漫画は連鎖を描く。
高級ホテル、高級バー、高級レストラン、ブランドショップ——その大半が経営的に立ち行かなくなる。デートの構造が変わる。プレゼントが消える。割り勘が常態化する。男性が女性を「綺麗だ」と称賛する動機が失われる。そして恋愛感情の発生そのものが減衰し、少子化がさらに加速し、経済が危機に陥る——。

この漫画は、しばしば「不都合な真実を突いている」として援用され、しばしば「典型的なミソジニーの戯画だ」として退けられてきた。どちらの反応も、私には不十分に思える。なぜなら、この漫画が提示しているのは経験的命題であり、経験的命題は感情ではなくデータと理論によって検証されるべきだからだ。

本シリーズが取り組むのは、まさにこの検証作業である。漫画が暗黙に主張しているテーゼ——「性をめぐる非対称な構造が、社会の経済的・文化的秩序の少なからぬ部分を駆動している」——は、どこまで正しく、どこから誤っているのか。それを、社会心理学、進化心理学、経済学、刑法学、統計学、思想史を横断しながら、可能なかぎり厳密に検討する。

結論を先に言えば、この漫画は「ある特定の領域に限れば驚くほど正確であり、社会全体に外挿した瞬間に決定的に誤る」。なぜそうなのか。それを説明するために、私は二十数本の論考を書くことになった。本稿はその全体への案内である。

なぜこの問いは「答えられない」ことになっているのか


ジェンダーをめぐる議論には、奇妙な構造的特徴がある。それは、問いが二つの陣営に分割され、どちらの陣営も相手の最良の論点を見ないことで成立しているという点だ。

一方の陣営は言う。日本は世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数で148カ国中118位、G7で最下位の、先進国でも際立ってジェンダー不平等な社会である、と。これは事実だ。データは存在する。

もう一方の陣営は言う。日本の女性は男性より幸福だと回答し、労働市場からの退出オプションを社会的に承認され、性的市場では選択権を持ち、離婚時には高い確率で子の親権を獲得する。「人生イージーモード」という言葉が象徴的に流通している、と。これらの主張の少なからぬ部分もまた、データで裏付けることができる。

ここで多くの議論が止まる。一方は「公的指標が示す構造的劣位」を、もう一方は「私的・主観的領域における優位」を、それぞれ自陣の決定的証拠として提示し、相手の証拠を「指標の取り方がおかしい」「例外的事案だ」「内面化された抑圧だ」と処理する。両者は同じ部屋にいながら、別々の現実を見ている。

私の立場は、どちらの陣営にも与しない。私が主張するのは、両方の証拠が同時に正しいということ、そしてその同時的正しさを記述できる枠組みが存在する、ということだ。それを本シリーズでは「領域分離的非対称性モデル(domain-separated asymmetry model)」と呼ぶ。

このモデルの基本主張は単純である。社会におけるジェンダー非対称性は、領域ごとに、非対称の向きが異なる。政治・経済・公的意思決定の領域では男性側に優位がある。教育・健康の領域ではほぼ平等が達成されている。主観的厚生・性的市場・労働退出オプション・「強さ」の文化的定義・責任の引き受け方をめぐっては、女性側に構造的な優位、あるいは選択肢の偏在がある。自殺・過労死・労災死・路上生活では男性側が、性暴力被害では女性側が、それぞれ不均衡な被害を負っている。

これらは矛盾していない。矛盾して見えるのは、私たちが「どちらが優位か」という単一の問いを立ててしまうからだ。正しい問いは「どの領域で、どの向きの、どれほどの非対称が、なぜ存在するのか」である。本シリーズは、この問いに領域ごとに答えていく試みである。

本シリーズの方法論的契約


有料の長文シリーズを始めるにあたって、読者と結ぶ知的契約を先に明示しておきたい。これは私が自分自身に課す制約でもある。

第一に、単一指標を絶対視しない。世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数(相対格差指標)と、国連の Gender Inequality Index(水準指標)では、日本の順位は118位前後と19位前後の間で激しく振れる。同じ国の同じ年を測って、これだけ動くのは、指標が異なる現実を切り取っているからだ。私はどの指標も「正しい/間違っている」とは言わない。それぞれが何を測り、何を測っていないかを精密に分解する。

第二に、反対側の論証を最強の形で提示する(steel-manning)。各回の終盤には必ず「予想される批判への先回り」の節を置く。そこで私は、私の論証に対する最も鋭い反論を、反対者自身が書くよりも強い形で書く。その上で応答する。応答できない反論については、応答できないと書く。

第三に、記述と規範を峻別する。「こうである」と「こうあるべきだ」は別の言明だ。本シリーズの大部分は記述に費やされる。社会がどう構造化されているかを正確に描くこと——それ自体が、規範的議論の前提として決定的に重要であり、かつ現在の言論空間で最も欠けているものだからだ。

第四に、結論を事実として売らない。私は確立された統計とピアレビューを経た学術理論を引用する。それらと、私自身の解釈・推論は、明確に区別して書く。読者が私の解釈に同意しないまま、提示されたデータと理論だけを持ち帰れるように書く。

第五に、修辞的攻撃を排する。この主題には、特定の性別への侮蔑を込めた語彙が無数に流通している。私はそれらを使わない。それは礼儀の問題であると同時に、論証の強度の問題でもある。侮蔑的な比喩は、それを書いた瞬間に、読者の半数を論証の入口で失わせる。同じ内容は、より冷徹な言葉で、より強く書ける。本シリーズはその実証でもある。

全7回が論じること


本編は7回構成である。論争性の低い回から高い回へと配列されている。これは戦略であると同時に、論証の構造でもある。後半の論争的命題は、前半で確立されるデータと理論の上にしか立たないからだ。

第1回「日本は本当に118位なのか——ジェンダー指標の方法論的批判」。世界経済フォーラム指数と国連指数の方法論的差異を分解する。なぜ同じ国が19位にも118位にもなるのか。政治エンパワーメント指標が過去半世紀の累積値を含む構造的帰結とは何か。「単一指標でジェンダーを語ること」そのものの認識論的限界を、シリーズ全体の出発点として据える。

第2回「主観的厚生のジェンダーギャップ——日本女性はなぜ男性より幸福と答えるのか」。Pew の国際調査、佐野・大竹をはじめとする国内研究の系統的レビュー。客観的劣位と主観的優位の乖離を、「適応的期待形成」「内面化された抑圧」「実質的選択肢の優位」という三つの仮説で検討し、それぞれの説明力を実証的に評価する。

第3回「性的市場の経済学——Baumeister & Vohs の Sexual Economics Theory を読む」。冒頭で触れた漫画の世界観を、主流社会心理学の言語に翻訳する。2004年の原論文を一次資料から精読し、「性は女性側の資源である」という命題の価格決定モデル、最小関心の原則、そしてこの理論への最も強力なフェミニスト的反論と、それへの再反論までを追う。

第4回「『強さ』の二つの定義——責任引き受けと役割拒否の文化的非対称」。現代社会が男性に valorize する「強さ」と、女性に valorize する「強さ」は、構造的に異なる向きを向いている。これを Erich Fromm の「二つの自由」——消極的自由(〜からの自由)と積極的自由(〜への自由)——の枠組みで定式化する。Carol Gilligan のケア倫理から2010年代の self-care 言説への倫理的反転を、思想史的に追跡する。

第5回「父親が親権を取れない国——日本の単独親権制度と責任の偏在」。第4回の抽象的命題を、最も具体的で反論しにくい制度——親権——で実証する。母親85〜90%対父親11〜13%という獲得率、「監護の継続性」原則の構造、母子家庭と父子家庭の経済格差、2026年4月施行の共同親権改正の意義と限界。「権利の獲得」と「責任の引き受け」が制度的に分離している領域の典型例として読む。

第6回「自由意志という前提——刑法責任論と神経科学の現代的対話」。本シリーズで最も専門的な回。日本刑法学の道義的責任論、他行為可能性、相対的非決定論からやわらかな決定論への移行を整理した上で、神経科学的決定論が「通常の人間は自由意志を持つ」という刑法の自明視された前提をどう侵食しているかを論じる。これは「現行刑法を解体せよ」という主張ではない。法体系の哲学的前提と、科学的知見の乖離を、相対化の作業として精密に検討する試みである。

第7回「領域分離的非対称性モデル——シリーズ統合」。第1回から第6回までを統合し、全領域の非対称マトリックスを提示する。領域間の相互依存——ある領域の非対称を解消する政策が、別の領域の非対称を悪化させうるという構造——を分析し、「どちらが優位か」という問いの誤りから、「どの非対称を、どの順序で、どの程度解消すべきか」という生産的な問いへの移行を示す。

番外編について


本編7回は、いわば論証の幹である。だが、この主題は幹だけでは説明し尽くせない。本編完結後、枝として15回前後の番外編を順次公開する。

番外編は五つのグループに分かれる。
制度分析編は、女性専用車両、痴漢冤罪と不同意性交等罪、男女別の公衆空間といった、日常的に観察される制度を責任非対称の枠組みで分析する。
進化心理学・社会心理学編は、Joyce Benenson の『Warriors and Worriers』や Shelley Taylor の Tend-and-Befriend 理論を一次資料から精読し、本編が前提とする命題に「なぜそうなっているか」の説明を与える。
思想史・哲学編は、Houellebecq、Esther Vilar、Schopenhauer から Camille Paglia までの系譜をたどる。
国際比較編は、韓国の苛烈な性別政治分極化、中国・東アジアの婚姻市場、そして「平等が進むほど職業選択が分岐する」北欧のジェンダー・パラドックスを通して、領域分離モデルの汎用性を検証する。
日本社会論編は、弱者男性論の系譜、セックスレス化、婚活市場の経済学を扱う。

番外編は本編を読まずとも単体で読めるように書くが、本編と相互参照することで、全体が一つの体系をなすように設計する。本編と番外編を合わせた総量は、新書換算で複数冊分になる。これは note 上の連載という形式で、どこまで体系的かつ実証的な民間論考が可能かという、一つの実験でもある。

誰のための論考か


最後に、この論考が誰のために書かれているかを述べておきたい。

これは、ジェンダーをめぐる議論にいいかげんうんざりしている人のための論考である。どちらの陣営のスローガンにも与せず、しかしこの主題が重要であることは理解していて、感情ではなくデータと論理で考えたい——そういう人のために書いている。

これは、自分が属する性別が一方的に被害者だ、あるいは一方的に加害者だ、という単純な物語に違和感を持ってきた人のための論考でもある。本シリーズの主張は、どちらの性別も、ある領域では構造的不利を、別の領域では構造的優位を負っている、というものだ。この非対称の地図を正確に描くこと——それは、特定の性別を糾弾するためではなく、議論を二項対立の泥沼から引き上げるためにある。

そして率直に言えば、これは書き手である私自身のための論考でもある。私は長年、この主題について散発的に考え、書いてきた。その断片を、一つの体系として組み上げる作業を、私はずっと先延ばしにしてきた。本シリーズはその清算である。

予告編である本稿は無料で公開する。第2回以降は基本有料となる。価格に見合う密度——一回あたり一万字を超える、説明を省略しない記述——を約束する。論証の途中で読者を置き去りにしないこと、反対側の最良の論点から目を逸らさないこと、結論を事実と偽らないこと。これが、対価をいただくにあたって私が差し出す保証である。

不都合なのは、真実が一方の性別にとってだけ不都合なのではない、ということだ。真実は、単純な物語を必要としているすべての人にとって、等しく不都合である。その不都合な対称性を、これから二十数回にわたって、可能なかぎり正確に描いていく。

第1回は近く公開する。

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※本シリーズで提示する統計・学術理論はすべて出典を明示する。引用元の解釈と筆者自身の推論は本文中で区別して記述する。本シリーズは特定の性別・集団への敵意を目的とするものではなく、社会構造の記述的分析を目的とする。

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