空想科学日記:遠目にエロい、近くで笑う。レトロソフビと“ちょうどいいブス”の構造
※この記事はナレーション版(stand.fm)もあります。
文章で構造を読むか。音で観察するか。
または、音と文章で取り込むか。
それでは、構造の中へ。
違和感に宿るエロス
世の中には、「なぜかモテるブス」がいる。
身なりは小綺麗で、髪も服もそこそこ整っている。
トレンドを程よく取り入れたコーディネートで街を歩けば、視線は自然と向かう。
だが近づいてみると、顔のパーツ配置や体格には“設計の乱れ”が感じられる。
それでも、彼女たちは確かにモテる。
しかも恋愛対象というより、どこか“性的な消費対象”としてのモテだ。
界隈ではこうした存在を「ちょうどいいブス」と呼び、ある種の“穴モテ構造”として語られる。
遠くから見ると、ちょっとエロい。
でも近くでよく観察すると「いや、ブスじゃん」というギャップがある。
しかしこの“違和感”こそが、視線を引きつけ、脳裏に残る。
人は、完璧には飽きる。
むしろ、少し歪んだ“ほころび”にこそ、欲望の引っかかりが生まれるのだ。
レトロソフビと“ズレた美”
この構造、実は特撮の世界でも同じことが起きている。
近年のレトロブームのなかで、1970年代製のソフビが再評価されている。
ブルマァク、マルサン、ポピーなど、当時の子どもたちに愛されたソフビメーカーが手がけた怪獣やウルトラマンたちだ。
だがこれらは、現代の精密なフィギュアと比べると明らかに“造形が甘い”。
目の位置がズレていたり、体のバランスがおかしかったり、塗装も雑だったりする。
ときには、あのウルトラマンでさえ「あれ?こんな顔だったっけ」と首をかしげるほど、テレビ画面の姿とはかけ離れている。
にもかかわらず、それらは今やプレミア価格で取引され、数十万円の価値がつくこともある。
さらには、当時のデザインを忠実に再現した“復刻版”ソフビも人気を博している。
完璧ではない。
むしろ、“似ていない”。
だがその“ズレ”が、懐かしさと欲望を刺激する。
レトロソフビとは、造形美ではなく“記憶の再構成物”なのだ。
ズレに宿る欲望の構造
人は「完璧な再現」よりも、「記憶の中の理想像」に惹かれる。
レトロソフビが魅力的なのは、それが“記憶の中のウルトラマン”だからだ。
正確ではないが、情緒的には正しい。
ズレているけど、なんかグッとくる。
これは、「ちょうどいいブス」が性的対象になる構造とまったく同じである。
完全無欠な美人は、むしろ遠い。
だが、ちょっとズレている彼女なら「俺でもいけそう」と思わせる。
整いすぎた美にはハードルがあるが、違和感には“入る隙間”がある。
この“隙間”こそが、エロスを生む。
造形としては不完全なのに、どこかそそられる。
その不完全さが、むしろ人の欲望を映す鏡として機能するのだ。
ズレ=抜け道。
完成度の低さ=編集可能性。
「見る者の記憶や願望で補完できる造形」こそが、レトロソフビとちょうどいいブスの共通点なのである。
我々はなぜ“ちょうどよさ”に惹かれるのか
現代人は、常に“観察される側”である。
SNSでは顔を整え、言葉を選び、完璧な像を演じる。
だからこそ、逆に“少し歪んだ存在”に惹かれる。
そこには、演出のないリアリティと、感情の安全地帯があるからだ。
“ちょうどいいブス”も、レトロソフビも、
「見る者の自己肯定感を壊さない」という重要な機能を持っている。
美人や最新造形フィギュアのような“完成品”は、我々に自信を失わせる。
だが、“ちょうどよさ”は、共犯性をつくる。
「俺でも抱ける」「俺でも買える」
その構造こそが、愛される秘密なのだ。
イズミ隊員の観察記録
愛されるとは、完璧であることではない。
むしろ“ズレ”の中にこそ、欲望と共犯の余地がある。
今日も隊員は、歪んだ顔の怪獣を見つめながら、なぜか心が落ち着くのを感じていた。
※記録者:イズミ隊員
地上での観察はSNSでも継続中。
怪獣とソフビの動向、国家のエラー、社会という構造物のひび割れを記録しています。
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