映画「ぼくの名前はラワン」
映画「ぼくの名前はラワン」(2022年/イギリス/クルド語・英語・イギリス手話(BSC)/90分)を2026年4月21日(火)、シネマ・チュプキ・タバタ(東京都北区東田端2-8-4)で観た。
ラワン少年はクルド人。家族と共にイラクを離れ、ギリシャ、ドイツ、フランスを経てイギリスに逃れてきた。生まれつき耳が聞こえない「ろう者」であるラワン君は英ダービーにある王立ダービーろう学校に入る。
手話を覚え、次第に友だちとも溶け合うようになったが、イギリス政府によって手話の上達具合によっては強制送還される恐れが出てくる。
これは善意の映画である。それは間違いない。だが、私はあえてこの作品の限界だと思えることを指摘したい。
「普通」になるように強いられる?少数派
それはラワン君がろう者であるという社会における少数派であること。そして私もメンタルを病んだことがあり、健常者の中では少数派の立場におかれた経験から、この映画を観て思うことがあるからだ。
映画はラワン君が話し言葉の発音の練習をしているところから始まる。要するに話が出来る「普通の人」になるよう練習をしているのだ。それはもちろん、ろう者という少数派が多数派である健常者に合わせるという「合理的」な理由があるからだろう。
だが、そこに何らかの上下関係が垣間見えるのも事実である。そしてそうしたところには差別、偏見が生まれがちである。
ろう者が話せるように努める一方で、健常者たちが手話を学ぼうとするケースは必ずしも多くないように思える。
私自身メンタルを病み、会社を休職することがあり、復職するため課された条件のひとつにいわゆる「リワーク」を「卒業」するということがあった。リワークとは復職支援の施設のことだ。
そこでどういうことをやったかといえば、自らの心の推移を過去にさかのぼってみる「振り返り」。そしてリワークで復職を目指している他の人たちと同じ新聞記事を読んで一緒にディスカッションすること。

私は特に後者のようなことが苦手というか嫌でメンタルにマイナスが及んだのではないかという気持ちがあったので、そういった条件が課されるということは苦痛以外の何物でもなかった。
要するに会社がリワークを復職の条件にするのは、他の社員たちつまり健常者たちのように「普通」になって戻らせるということなのである。あえて強い言い方をするならば、会社にとって使い勝手のよい人間になってからならば職場に復帰させるということだろう。
大きな会社には産業医というのがいる。専門家である。しかし考えてみれば、産業医は会社に雇われているのであって、「会社にとって都合のいい人材となって戻らせる」という会社のポリシーに表立っては逆らえないだろう。雇い主の前では、産業医にも生活があるのだ。
そしてメンタルヘルスに関する会社の方針などは健常者が決めるのが普通だ。当事者たちの声は反映されない。だが、目を海外に転じると当事者たちの意見をそうした方針に反映させようという流れになっているそうだ。例えば、ベルギーはそうした国の一つだ。
手話というひとつの言語
さて、ラワン君は二重、三重のくびきにかけられている。ろう者であること。国を持たない最大の民族であるクルド人であること。そしてイラクを逃れてきて難民認定を求めているという立場。
ろう学校のソフィー先生は自身が7歳まで話すことが出来なかったということをラワン君に云う。ソフィー先生はラワン君にしゃべりたくないのならそれでいいという。「ここでは自分に素直でいるように」とも言った。
理解できたのは同じ経験を持つからだ。
こんな話が聖書にあるという。
人間があまりにもおごり高ぶってしまったことに怒った神さまは、人間の言葉をバラバラにしてしまい、互いに意思疎通を難しくしてしまった。
とするならば、そのバラバラにされた言語のひとつは手話だったのかもしれないし、その意味では手話は、英語に対するポルトガル語かもしれないし、日本語に対するマレー語のようなものなのかもしれない。
そらに想像力をたくましくするならば、手話は人類が初めて獲得した言語のひとつなのではないだろうか。
映画の終りのクライマックスに向かって、難民申請中のラワン君を難民として認めるかどうか、すなわち強制送還するかどうかを手話の習得レベルを政府の検査官が査定して決めるという場面がある。
そうこうするうち2022年3月、イギリス手話(BSC)が同国の公用語の一つとするBSC法が成立する。そしてラワン君は難民として認められることになり、強制送還を免れるのである。
英政府、日本政府の人権感覚
手話を公用語の一つに認めるイギリス政府の姿勢は進んでいるように見えるが、一方で明らかに難民の要件を満たしているであろうラワン君を強制送還しようとする人権感覚には疑問がわく。
もちろん今の日本政府のことを考えてみると、昨年の参議院選挙で「日本人ファースト」を掲げる参政党が躍進、入管は日本人の安心・安全のため不法滞在外国人をゼロにする政策を推進して強制退去に力を入れている。ここでは人権への配慮などうかがうことは出来ない。
そしてこの映画のキーワードは「ホーム」すなわち「居場所」である。少数派の人たちにとって居場所があるかどうかは、その社会そしてそこの人々の成熟度を測る格好の物差しではないかと思う。
少数者であった経験からこの映画の限界のようなところを指摘してきたが、強調しておきたいのはこの映画はよく出来ている、人間の善意のドキュメンタリーであるということだ。
多くの人に見て頂き、考えてほしい作品だ。
